Invidia
ディルはいつも通りリシェの着替えを手伝う、リシェの身の回りの世話をするのが当たり前になっていた。
着替えも終わった頃、扉をノックして入ってきたのは執事だった。
「お嬢様、少々よろしいでしょうか」
執事アサリアはリシェの侍女であるディルを『お嬢様』と呼ぶ、ディルは「はい」と返事を返す。
「王室より、召喚状にございます。ディル様に…」
「私ですか…」
「王宮の使いの者も外に」
リシェも何かの間違いではないかと思ったが、召喚状は確かにディルに宛てられたものになっていた。
ディルはペーパナイフで封を切ると内容を確かめた。
「リシェ様がよろしいのでしたら…」
「行ってまいれ、王宮の呼び出しを拒否するわけにもいきません」
「屋敷の事は私にお任せ下さい」
執事はディルにそう言ってお辞儀をした。
「ディル、貴女は私の使用人である事を忘れないように」
「御意…」
ディルは迎えに来た王宮の使用人と共に王宮に出向いた。馬車に揺られ、その道の先には城が見えていた。
城に入ると導かれるままに歩いた。そして、大きな扉の前に着くと、その扉が開かれた。国王と女王、王子と王女もそこにいた。
「ルーンベルク家のディル・ブラッド、その名は闇の刃にございます。」
「よく参った。」
「ご用件は何でございましょう」
「其方、イルを倒した時の剣捌き、実に見事であった。」
「お褒めに預かり光栄です」
「しかし我らは英雄を一人失った。」
「申し訳ございません」
「謝罪などいらぬ、ただその腕を見込んで頼みがある」
「何でしょう」
「王宮に仕え、剣士として、使用人として働かぬか」
「ありがたきお言葉…、しかし、私はあくまでルーンベルク家の侍女、主を裏切るような事はできません」
国王は女王と顔を見合わせた。王宮に仕えるというだけで名誉であり、何人もの人間が王宮に仕えた。だが、ディルは躊躇せず断った。
「国に仕えれば金にも困らぬ、何不自由なく生活も出来る、王立騎士団に入ることもまた名誉なことなのだぞ?」
「国王陛下、私はどのような輝かしい勲章を与えられ、褒美を与えられようと、我が主以外に仕えるつもりはございません。」
ディルがそう言うと、国王は笑った。特に気を悪くした様子でもなく、むしろ嬉しそうだった。
「其方の忠誠心、感服いたす。そなたの主が羨ましい」
「私は当然の事をしているだけです。」
リシェは退屈していた。ディルがいないことがこんなにつまらない事なのだろうか、だが今日の相手は役者で、その舞台を観るだけだ、遠くから見ているだけでいいのだ。
「お嬢様、そろそろ時間です。」
「はい…」
どこか寂しそうな返事が返ってくる、ディルが来てからと云うもの、毎日のようにそばにいて当たり前になっていた。それが今はいないのだから無理もない、いるのが当たり前になっていた。
「お嬢様がまだ結婚をしたくない事も、私はよく知っております。最初は私も、何故彼女がここに来て、貴女が侍女として指名したのか分かりませんでした。ですが、今は分かる気がします。」
そう言うと、リシェは執事の方を見た。年齢もリシェとはそう離れていない、もしかしたらディルと同じくらいなのではないだろうか…
「リシェ様がおやすみになった後、お嬢様はよくリシェ様の事で相談に来るので、本当に貴女の事を考えていらっしゃる」
「ではお願いです、今回の相手、丁重にお断りして下さい。」
「私がどの程度お役に立てるでしょう。」
執事はポケットから手帳を出して予定を見ると、時計を見て微笑した。
「参りましょう、予定が狂わぬうちに…。」
リシェは支度を済ませると、執事と共に相手の待つ場所へと向かった。
そこは王立歌劇場だった。リシェはそこが嫌いだ、オペラが嫌いだというわけでもないが、嫌いだった。
リシェはVIP席に案内されたが、実はあまり好きではない。
「退屈と退屈の相乗効果は計り知れない睡魔を呼びますか、ご主人様」
執事はリシェの気持ちを的確に言い当てる、そして王族専用の特別席を見ると、そこは念入りに準備されていた。
そして人影が見える、綺麗に着飾った者達、王族のご一行様だ。
「いらっしゃいましたか」
執事はその中に漆黒のドレスを纏った女性を見て呟いた。
「ディル…?」
リシェは思わず声を零す。
「今宵、悲劇は惨劇に変わる」
「貴方、ディルに似てるわね」
「ええ、じっくりと教えられましたから、彼女に踏み躙られる度に私の血が、肉が、歓喜に震えるのです」
「そう云う趣味でしたか…」
「ですが、王族の方と一緒では、仕事が出来ませんね。ここは私が一肌脱ぎましょう」
そう言うと執事は上着を脱いでカーテンの陰で着替え始めた。
「脱いだ…」
その後ろ姿を見て気づいた。前にディルと話していた見知らぬ男、髪型と服装を変えた後ろ姿が似ていた。そして最後に眼鏡をかける。
「完璧」
自画自賛する執事に呆れていると会場が暗くなり、舞台に明かりが燈る。
身分の違う二人が出会い、愛し合うが、二人は結ばれる事なく自ら死を選ぶ、ありふれた悲劇の典型だ。
「張り巡らされた意図は、その一筋を断ち切れば崩壊する。」
執事はそう言い残してリシェの元から離れた。ディルの方を見ると、彼女も何時の間にかいなくなっていた。舞台が始まるとリシェは一人で退屈していた。
“領主の息子サミルは街で絡まれて暴行を受け、たまたま逃げ込んだ娼館で娼婦ミシェルと出会う、彼女は彼を匿い助けた。領主の子は娼館の女に恋をし、二人は密会するようになる。だが、長くは隠しておけない、何者かの密告によって領主にばれてしまい、領主は息子に外出を禁止した。それでも忘れる事など出来ず、領主は女を始末しようと企んだ、そして命令した。その女は魔女だと噂を広げさせ、そして領主は彼女を処刑するように命じた。”
『ああ、どうして私が愛する者をこの手で殺めなくてはならないのか、もしも神がいるならば、どうか今すぐこの運命を断ち給え!』
最後は運命に逆らえず、彼は彼女を殺め、皆の見ている前で自らもその剣で胸を刺して幕が降りる、それがこの舞台の終幕だ。
だが、執事のアサリアと侍女のディルが舞台で演じている、どうしてあの二人が舞台にいるのかは分からない、そして誰もそれを変だとは思っていないようだ。
『このような運命ならば、私は喜んで神の前に跪きましょう』
この世で結ばれることがないのなら喜んで死のうという事だ、それは二人が命を絶つためのきっかけだ。だが彼の持つ剣の切先は、領主に向けられ、領主の死を以って二人は結ばれ…
「リシェ様…?」
振り向くとアサリアが立っていた。劇はまだ続いていた。ディルも国王の傍に立っていた。夢でも見ていたのだろうか…。そして、舞台は終わった。
「では、舞台も終わったことですし、本日の主役に会いに参りましょうか」
アサリアはリシェにそう言うと、二人で婚約者ノエルのいる控室に向かった。
ディルは国王にお辞儀をすると退席した。そして観客も皆帰った後、誰もいなくなった舞台にディルはいた。まるで闇に溶け込むように、ディルの姿は見えなかった。
控室をノックし、アサリアは扉を開く、中にはノエルが待っていた。
「お待ちしておりました」
アサリアはノエルにお辞儀をした。ノエルは余程嬉しかったのかリシェに駆け寄る、だがアサリアはそれを止めた。
「リシェ様がお怪我をしたらどうするのです。」
「ああ、すまない…、立ち話もなんですから、どうぞ中へ」
「一言、貴方の演技は何とも言いがたい、一言で言えば最悪です」
「な…」
「これはあくまで私の意見なので、気にしないで下さい」
「良かったと思いますが…」
リシェの言葉でノエルの表情が明るくなる、アサリアは気に入らなかったのか視線を逸らしていた。
「舞台の用意は出来ましたよ」
遅れて来たディルが声をかけた。
「さあ、ノエル様も参りましょう、最高の舞台へ」
アサリアは一歩退くとディルに後を委ねる事にして、自分はリシェの後ろに従う。ノエルもリシェが一緒では拒むわけにもいかず、ただそれに従うしかなかった。
誰もいない舞台は静かに闇の底に沈んでいた。足音だけが響いている。
「ご主人様はこちらへ」
ディルはリシェを抱きかかえる、暗闇の中とは云え、リシェは恥ずかしくなった。
アサリアが蝋燭に火を灯すと、闇の中に光の筋が見えた気がした。何かがそこにある、圧迫感だけが伝わってきた。
「張り巡らされた糸は、その一筋を断てば終幕を迎える。貴方はここで目の前の糸を切れば良い…、何があっても動かないこと…いいですね?」
「ああ、分かった」
「くれぐれも、その位置から後ろに下がらないように…」
ディルはノエルに鋏を渡すと、リシェを抱えたまま後ろに下がった。悪魔が耳元で囁く、薄明かりに照らされて不気味ささえ感じた。
ノエルが恐る恐る糸を切ると、それは闇の中を風を切る音だけを残して消えた。ガタガタと音がしたかと思うと舞台上にセットが組まれていった。人が組んでいるわけではない、糸を切れば仕掛けが動いてセットを組むようになっていたのだ。それも正確に組まれていく、何百という糸が複雑に入り組み、それを成し遂げていく。
リシェの感じた威圧感はそのセットが宙吊りになってそこにあったからなのだ。そして最後にノエルの背後に巨大な十字架が舞台上に突き刺さった。
「貴方が動かなくてよかった。もし後ろに下がっていたら、貴方はその十字架と共に深淵に落ちるところでした。」
悪魔がクスッと笑う、リシェは声が出なかった。
「ですが、貴方はどうして愛してもいない人と結婚なんてしようと…?」
「何を言っている」
ディルはやれやれといった感じでノエルを見た。アサリアは何がおかしいのかニヤついている…
「愚問でしたね、リシェ様は政略結婚にはご興味ないのです。」
「だからって今更引き下がるわけには」
「ご安心下さい、今なら引き下がれますから…、運命は二本目の意図を断ち切って…」
悪魔はナイフで目の前の一本の糸を切った。その糸は他の糸を引き、ノエルの身体を吊り上げて十字架に縛り付けた。
「お見事ですね」
アサリアが感心して糸を見ていた。
「ですが、一部に糸ではなくピアノ線が混じっているようですが…」
「その方がよく切れるでしょ?」
悪魔は可愛らしい笑みを見せていた。
「そうですね、これなら容易くバラバラになるでしょう。」
「よせ、やめろ!悪魔め!」
「あらあら、よくお分かりで…、ですが、悪魔は一度やると言ったことは、最後までしっかりやりますよ。」
ディルはリシェをしっかりと抱きながら、自分の方に顔を向けさせると、もう一本の糸を切った。
それはノエルの身体を切り刻み、十字架にしっかりと縛りついていた。
「死の天使は優しく微笑む…」
ディルは白い羽根を一つ、十字架の下に置いた。




