Acedia
ディルはポストから手紙を取ると屋敷の中に戻った。差出人はリシェの母親だった。
「またですか…」
悪魔はニヤリと笑った。彼女の親からくる手紙、見合い相手の写真は次のターゲットを告げていた。次はどんな人なのか、ディルは楽しみだった。
部屋に戻るとリシェにその手紙を渡す、リシェが再び手紙を返すので、それを受け取ってペーパーナイフで封を切った。便箋と写真を取り出してリシェに手渡す。
「相変わらず、母のセンスを疑う、、」
「ご主人様はどの様な方がお好みなのでしょう」
「貴女には関係のない事です。」
「申し訳ございません。」
リシェは手紙を一通り読むと、悪魔に渡した。
「両親が来るそうです、婚約者を連れて…勝手に婚約者を決めて…本当にどういうつもりなのでしょう…」
ディルは手紙を読む、今までは手紙が届いてから数日後に会っていたが、今回、手紙の届いた日付は正に今日だった。夕飯には間に合うようにと書いてあるので、それまでに全ての支度を済ませれば良いのだ。
「貴女は私の雇った侍女、いつも通り私の侍女として私に仕えて下さい。」
「はい…」
さすがに婚約者が二人も消えれば不審に思うだろう、だがそれはたまたま不幸が重なっただけに過ぎない、手紙を見る限り、娘を慰める母親の言葉がぎっしりと書かれていた。
そんな娘想って、母親は知人を通じて貴族階級の中でも有数の実力家の息子を連れてくるようだ。
「穏便に処理して下さい」
リシェはディルに無茶な注文をつけた。
「かしこまりました。」
悪魔はその命令を了承し、軽くお辞儀した。貴族階級の者を手にかけるのはそれだけで大事だと言うのに、その中でも有力な、その息子とはいえ手にかけるのは相当なリスクがある。
夕刻までは何事もなく過ぎた。ディルはディナーで使う食材を買いに出掛け、リシェは一人で留守番だ。一人と言っても、ディルがいない間は他の侍従が世話をするので、完全に一人と言うわけでもない…にもかかわらず、少し寂しかった。
「ふーん…アレが次の…」
屋根の上に立つ悪魔は、品定めするような目でデュークを見ていた。一緒に歩いている男性は父親だろう、そして女性の方はリシェの母親だ、掃除をしている時、リシェの部屋の棚に写真立てが伏せられて置いてあった。そこに入っていたのが母親の写真、その人物と同じだ。
買出しの終わったディルは屋根の上を飛ぶように駆け抜けて屋敷へと帰っていく、急いで出迎える仕度をしなくてはいけなかった。
「ボクにはまだ結婚なんて早すぎるよ」
デュークが父親に対してそう訴える。確かにデュークはまだ若く、これから色んな出会いもあるだろう。だが、父親はそんな息子の訴えなど聞かず、リシェの母親と今後の段取りなどを話し、談笑していた。そういう意味では、デュークはリシェと似たような境遇とも言えなくない。
「ただいま戻りました。」
ディルは買ってきたものを調理場に運び込み、料理人に渡した。
「あんた、なかなか良い目してるね。」
買ってきた食材を手にしながら、料理長がディルを労う。
「お褒めに預かり光栄です。」
「また今度頼むよ」
「ええ、機会がございましたら…」
丁寧なお辞儀をして、ディルは調理場を後にする、そして今度はテーブルの準備を始める。テーブルクロスを新しい物と取替え、食器を並べていく、そして調度準備が終わった頃、扉を叩く者があった。
ディルは玄関の扉を開けて出迎えた。少し遅れてリシェが走ってくる「お母様」などと言いながら普段は見せないような笑顔で、会いたかったと言わんばかりに…
それが演技であることはディルには分かっていた。リシェの母親が娘を抱擁して愛でている、まるで実の親子のようだと思った。実際実の親子ではあるが、普段のリシェからは想像できないことが多々ある。
「あら、貴女は…?」
ディルを見て、リシェの母親が訊いてくる。
「私は先週よりこちらで働かせていただいております、ディル・ブラッドと申します。」
「そう、しっかり働きなさいね」
リシェの母親はそれだけ言うと、リシェと再び話し込んでいた。そしてデュークと父親を紹介し、屋敷の奥へと歩いていった。ディルは黙ったままリシェの後に従っていた。するとデュークが突然後ろに飛ぶようにしてディルの横に来ると、ディルのほうを見ながら歩いていた。
「お姉さん、背高いねぇ、ボクもお姉さんみたいに綺麗なママだったら良かったのになぁ」
デュークはそう言って相変わらずディルを見ていた。
「あまり困らせるな」
父親の言葉でデュークは父親の隣に戻った。その後も何度か振り向いてディルを気にしている様子だったが、ディルは気にする様子もなく表情も変えなかった。
皆がテーブルにつくと、ディルはリシェの席の斜め後ろに控えて立っていた。リシェがディルに耳を貸す様に合図すると、ディルは屈むようにして顔を近づけた。
「私より貴女の方がお好みなのでは?」
その言葉に悪魔はニヤついた。
「その様でございますね。では、私が最高の“礼遇”をして差し上げましょう。」
「貴女のは冷遇でしょう…」
「よくお分かりで…」
悪魔は妖しく笑い、そして音楽をかけた。心が和む様な曲、リシェは悪魔がその様な曲を選んだ事に少々驚いた。
食前酒が運ばれて、それぞれテーブルに置かれていく、、
「リシェ様にはこちらを…」
ディルは小さなグラスに白ワインを注ぐ、リシェはその香りが好きだった。甘い香り、、
「では、乾杯を」
リシェがグラスを持ち、軽く掲げる、そして一口だけワインを口にした。
雑談をしながら楽しい時間が過ぎる、ディルにとっては退屈な時間だ。
「食後のデザートワインをお持ちしました。」
ディルがグラスを配り、赤ワインが注がれていく、そしてリシェのグラスには白ワインを注ぐ、、
「ご主人様には特製のアイスヴァインを…」
ディルはそう耳元で囁いた。ディルの注いだワインを一口飲むと、その芳醇な香りと甘さが広がった。
デュークは席を立つと、リシェの前に来て「踊りませんか?」と誘った。リシェは仕方なく彼の手をとって席を立つと、ゆっくりと踊り始めた。
さすがは貴族と言うべきか、手馴れていると言うのか、デュークはリシェをしっかりとリードしている、そのくらい出来なければ、ディルは彼を張り倒して地面に這い蹲らせて踏み躙ってやろうと思ったのに残念だと思った。
壁際で考え事をしていたディルの前にデュークは立っていた。
「踊っていただけませんか、お嬢様」
「喜んで…」
ディルはデュークと踊っていた。
端から好意などもっていないリシェは、そんな二人を見ても何も感じなかった。
リシェはただディルの姿を見ていた…
リシェはただ悪魔の姿を見ていた…
悪魔はリシェの方を見て妖しく笑った…
ダンスも終わって一息つくと、時間も遅くなった為、デューク達は帰る事となった。
馬車を用意させ、リシェは三人を見送った。
夜風が吹き抜ける、その風は少し冷たく、リシェはすぐに屋敷に戻った。
テーブルの上は既に片付けられていて、ディルはテーブルクロスを整えている最中だった。
「何もしなかったのですか?」
「穏便にと仰いましたので、穏便に済ませました。彼は二度と朝を迎える事はないでしょう。」
ディルは音楽をかけ直すと、右手を差し出す。
「shall we danse?」
リシェはその手を取り、ディルと踊った。夜遅くまで踊り続けた。不思議と心地良く、時間の経つのを忘れていた。