1話 半年後 アラスカ ①
――半年後。
アラスカ。昔はコツェビューって呼ばれてた場所の南東にある元最前線基地跡。
季節で言えば、春にはまだちょっと早いけど冬は終わったかなってそんな時期。
私、識別番号J20070927、現個体名ナツメは、今日の作業場に向かって歩いていた。
動く乗り物は『ヤツラ』の優先目標だったから、もうこの基地には残っていない。
無線機も、交換用の真空管が尽きて沈黙したままだ。本部との連絡手段は、もうない。
徒歩で向かうには遠すぎるし、そもそも辿り着ける保証もない。
それに、軍が――いや、人類がどれだけ残っているのかも、わからなかった。
だからもう、階級も規律もあってないようなもの。
みんな生活で精一杯だ。
あのとき、Iron Bitchが墜ちて、『ヤツラ』は動かなくなった。
でも、それが「終わった」ということなのか、
それとも「次が来る前の静けさ」なのかは、誰にもわからなかった。
そんな中で生き延びた私がこの基地に辿り着いたとき、ここにいたのは整備兵のグエンおじいちゃんと通信士のユイ、それと帰れなくなった補給隊付き衛生兵のジョンの三人だけだった。
レーションだけは残ってたけど、建物はボロボロでほとんどの設備も壊れてて、
三人で何とかやりくりしてた......生活、じゃないな、アレは。生き延びてただけ。
そこへ私みたいにたどり着いた者や、助けられて辿り着いた者が増えていって――
今では十人以上が暮らす小さな集落みたいになっている。
煙突から上がる白い煙。
魚の焼ける匂い。
誰かの怒声と、笑い声。
戦争中には絶対になかった種類の生活音が、今の私たちの日常になっていた。
――まだ戦争がどうなったのか、本当のところはわからないから、警戒だけは解けないけれど。
「だいぶあったかくなったなあ」
空は真っ青。雲一つない。
何と言っても、アイアンビッチが浮かんでない。
あれがないだけで、全然違う。
雪はまだ溶ける気配もないし、気温もマイナス6度から上がってくれない。
吐く息は白くて、まつ毛の先にすぐ霜がつく。
でも。
極夜で、昼でも夜みたいに薄暗いままのうえに、マイナス30度のブリザードが続いてた、ちょっと前と比べたら——格段の差だ。
外で作業ができるんだから。
茶色の防寒着は相変わらずぶかぶかで、肩が落ちる。
軍の正式規格だけど、いいサイズがなかったから、 数だけあった男性用を短く縫って使ってる。
何とか袖先から手は出てるけど、ちょっと油断すると袖の中に隠れちゃう。
手袋も靴も詰め物をして何とか使えてる。
女物は数が足りないし、そもそも私にはそれでも大きい。
私の身長は小型規格の140cm台。
『同じ出力なら小さいほうが取り回しがきく』って設計思想らしい。
それに、このくらいのサイズのほうが庇護欲を掻き立てて士気が上がるとか何とか。
人間を戦略で作ると、こうなるらしい。
だから女性ものでもダブダブだ。
それなら、こうやって男物を着込むほうがあったかいから、私はこれがいい。
でも小さい体に男物の分厚い防寒服。
もこもこで、誰かさんの悪乗りの結果、フードに丸い耳みたいなパーツまでついてるせいで、
みんなから小熊とか呼ばれてる。
……そう呼ばれるようになったのは、別の理由もあるんだけどさ。
髪は黒くて、それも子熊っぽさを煽ってる。
最初の頃は髪も伸ばしっぱなしのを眉の上でナイフでぱっつん、後ろも刈り上げ風に切ってたけど――
生き残りの女性技官に「女の子がそれでいいわけないでしょ!」って散々怒られて、いまはショート風まで伸ばしている。
これだと頭もあったかいって、初めて知った。
分けられた前髪の先だけ、息と霜で白く固まりかけてるのは、ここの日常だ。
私たちがここで孤立してるのは、『ヤツラ』のせいだ。
あの戦争で、電子機器は全部使えなくなった。
どうやったのかはわからない。
でも電卓から軍用スパコンまで、地球上のすべての半導体が『ヤツラ』の手下になった。
コンピューターは、人類には気づけない程度に正しそうな嘘を吐き続けた。
子供のおもちゃは、持ち主の居場所を送り続けた。
笑えない話だけど、本当にすべてがダダ漏れだったらしい。
そんな状態で開戦したら、勝てるわけがない。
最初のころは、どこの戦線も連戦連敗だった。
最新兵器だって、コアを握られた瞬間ただの裏切り者。
大国が自信満々にぶっ放した核とか大量破壊兵器は、ことごとく無効化された。
原因が分かった今でも、なぜそのまま爆発させなかったのかはわからない。
敗因を分析するコンピューターも、観測データも、
半導体を通った時点で『ヤツラ』に汚染されていた。
戦況の共有は遅れ、
新兵器の開発は誤った枝へ誘導され、
敵の分析は肝心なところだけ外される。
全部、ほんの少しずつ。
けれどその少しが、戦場では致命傷になった。
それでも誰も気づけなかった。
前線は常に混乱していたし、食い違いも誤差も日常だったからだ。
そして何より、分析AI自身が「これは戦場由来のノイズです」と断定し、
裏づけになる証拠まで完璧に提出してきた。
人類側から情報が駄々洩れの状況で、まず狙われたのは『気づきそうな人』だった。
分析できる人。違和感を言語化できる人。
陰謀論者ってレッテルを貼られてた人が野放しだったのも、今思えば『ヤツラ』に都合がよかったのかもしれない。
だから人類は、長いあいだ間違っていることにすら気づけなかった。
それでも——なんとか正解に辿り着いて、半導体主体から真空管へ。
機械化工場から、化石みたいな工場制手工業へ。
国民総動員どころか、人類総動員で切り替えて、
第2次世界大戦終盤の実験兵器みたいな代物を再発明して、
有効な反撃に転じるまで——六年かかった。
そのころ、公式には人類の総数は二億を切ってた。
反撃しようにも戦力が足りない。
そうなると、もう男女とか国とか言ってる場合じゃない。
人類の存亡をかけた総力戦になってた。
戦争前ならノーベル賞をダースで取れるような研究が、次々に実証されてはそのまま実行された。
出産なんて待ってる余裕はないから、子孫は種子保存。
足りない分は、クローン培養の成人体で補われた。
最低限の知識だけ植え付けて、生き延びられなかったら、肉の壁。
一方で。
文化文明を維持するために、ほんの一部だけは通常代謝で成長させて、後方で『育成』するようになった。
その人工培養も手工業……成功率三割くらい。
失敗したのは分解して次の材料に回す。
倫理とか情なんて、全部まとめてゴミ箱へ投げ込んで、『ヤツラ』に対する戦力を整えた。
私たち強化兵も、そのころ生まれた。
前線に立てなくなった兵士や、行き場を失った子供たちを素体にして。
統一規格なんてない。
技術者たちの手作りの産物。
だから個体差も大きいし、製作者のその時の思想がダイレクトに反映されてる。
私の場合は「命令厳守」「生存優先」が絶対命令。
だから、私は生き延びた。
そして今、最前線だったこの場所で暮らしている。
***
……まあ、それはそれとして。
今は今日を生き延びないとね。
さて、今日の作業はこの辺のはずだけど……と周囲を見回していたら、ハロルドの声がした。
「ナツメー、そっちじゃない、こっちだこっち!」
襲撃にあって建物の基礎だけが残ってるエリアで、ハロルドが呼んでいた。
ハロルドはまだ若いけどベテランの工兵だ。
肘の黒ずんだ作業着から油と煤の匂いをさせながら、分厚い手袋のまま器用に何かをいじっている。
無精髭に雪をつけたまま、笑うと目尻がくしゃっと下がる。
手にはいつもの、目盛りのついた木の板――計算尺とかいうやつをスライドさせながら手を振っていた。
「ここだここ! 多分この辺に入り口が埋まってるはずだ!」
凍った瓦礫が寒さでガッチガチに固まった一角を差して、私にツルハシを差し出す。
「ほんとだよね? この間みたいに、掘ってから『んー、違ったかな?』はナシにしてよ?」
「大丈夫だ、今回はちゃんと再計算したからな! ほれ見ろ!」
そういって手に持った板を差し出してきた。
計算尺っていうらしいけど、どう見たらいいのかはいまだにわかんない。
「ほんとかなあ? まあいいか。じゃ、始めるから離れて」
「おう、任せた!」
防寒服のポケットから専用の高カロリー錠剤を取り出すと、かみ砕いて飲み込む。
一錠2万カロリー。私たち強化兵以外には危険物だ。
苦いってことも、ここで暮らしだして初めて知った。
それまではそういうものだと思ってたから。
使い道が限られてるおかげで、補給がなくてもまだ余ってる。
この半年で結構使っちゃったけどね。
「いくよー」
カロリーの影響で体が熱くなってきたのを感じながら、ツルハシを握る。
軍用の丈夫なそれは、私が振り回しても大丈夫そう。
今はまだ地面もガチガチに凍ってるから、足場の心配はない。
「よいしょーっ!!」
一気に持ち上げ、振り下ろす。
ガキィンッ!と、まるで金属みたいな音が響く。
切先がめり込み、てこの原理で一気に持ち上げる。
泥とコンクリ片と色々が混ざった氷は、本物のコンクリートよりタチが悪い。
粘るみたいに食い込んで、あとからまとめて剥がれる。
抉ると、バゴッと大きくえぐれた。
「何度見てもすげえな。俺たちじゃはじき返されて終わりなのに」
「こう見えても高性能だからね!」
うりゃっ!
続けてツルハシを振り下ろす。
凍った地面が、みるみる崩れていく。
「そういえばナツメってどこ製だったっけ?」
ハロルドが掘り出した瓦礫と凍った土をどけながら聞いてきた。
「メイド・イン・ジャパンのハンドメイドでーす!」
私が返事しながらツルハシを振ると、防寒服の隙間から、カロリー錠剤で高まった体温で暖められた空気が白い蒸気になって、ばふっと漏れる。
「そりゃコンパクトで高性能なわけだ」
「コンパクトってひどい!」
「ならもうちょい体にメリハリつけてこい! ずんぐりむっくりで子グマにしか見えねえよ!」
「ぶーぶー、強化兵差別はんたーい!」
そんな無駄話をしながら1時間くらいかけて、人がすっぽりと入るくらいの深さまで掘ると、ほぼコンクリートの瓦礫だけになってきた。
これならもうツルハシはいらない。
ハロルドと2人で瓦礫をどけていく。
「よしよし、当たりだ! みろ、測量通りだ!」
瓦礫の下から出てきた階段の先は、分厚い扉が閉まったままだった。
「うわー、ちゃんと階段に当たった、すごーい……」
「お前、ほんとは俺のことへっぽこだと思ってただろ?」
ぶんぶんと首を振って否定する私をにらみながら、ハロルドがドアのL字型の取っ手を回して押す。
……が、開かない。
「鍵はないな。枠が歪んじまってるのか。ナツメ、頼む」
「ほんとに強化兵使いが荒いんだからもー」
「今日の晩飯、1品やるからさ」
「!! 約束だよ!!」
とはいえ、床には引っかかりがないし、後ろの階段で踏ん張ろうにも、手が届かない。
こういうとき、小型兵は不便なんだよね。
しょうがないから、ドアの前の踊り場の床をツルハシで壊して足掛かりを作って……
高カロリー錠剤をもう一粒かみ砕く。
「いくよー!」
「あ、待った!」
「うわっとぉ?! 何? なにかあった? トラップ!?」
慌てて扉から離れた私に、ハロルドがガスマスクを投げてよこす。
「中が分からないからな、一応用心だ。」
「あ、そっか。さすが工兵!」
「お前は一言多いんだよ。」
とにかく、ガスマスクをつけて、動作確認。
よし、空気通るね。
じゃ、再開!
取っ手を回して、足掛かりを軸にして思いっきり押す。
歪んだドア枠が軋みを立ててずれていく。
どこかで噛んだまま、一気に弾けそうな嫌な手応え。
「おお、流石! よし、もう少し! 気をつけろ、開いたら一気に転がるぞ!」
「だいじょーぶ、こういうの慣れてるから!」
もう少し、というところでいったん手を放す。
あとは――一気に、キーック!
バゴン!とすごい音を立てて扉は開いた。
「よしよくやった! ちょっと待て、ライト付ける」
ハロルドの付けたアルコールライトの明かりに室内が照らされる。
室内には衝撃からか詰まれた箱が崩れたりしているが、大半が無傷で並んでいた。
「よし、天井は落ちてない! 中身は無事だ!」
「やったー!!」
「あとは手の空いてるやつに任せるぞ。お疲れ!」
ぼふん、と手袋同士で軽くハイタッチ。
中身はなんだろ。
また今度教えてもらおう。
***




