1, ゴウの過去
「う、う~ん…」
眠たそうな声を出しながら、シャルは重たい瞼を開ける。周囲は既に明るくなっているものの、朝靄が周囲を覆っており、周囲の草原を幻想的に彩っている。また、いつの間にか眠りに落ちていたようだ。隣ではチェナが寝具にくるまりながら小さく寝息を立てている。
「よう、お早い目覚めだな」
そんな中、横になっていた荷車の下から声が聞こえる。下を覗き込むと既に起きていたゴウが自分の使っていた寝具を片付けていた。
「…!ごめんなさい、直ぐにお手伝いします!」
しかし、急いで荷車から飛び降りてきたシャルをゴウは片手を使って静止させた。
「いや別にいい。それよりも、折角早く起きたんだ。ちょいと付き合ってくれねえか?」
そう言うとゴウは丸めた寝具を荷車の隙間に押し込むと、まだ少し燻っている昨夜の焚火の跡に向かって歩いていく。シャルも大人しくゴウの背中を追う。
「そこに座ってくれ」
ゴウは焚火跡に近づくとシャルに座るように促し、自分もすぐそばに腰を下ろす。
「すみません…。昨日はあんな取り乱してしまって…。俺は男なのに…」
「いや、気にするな。俺には分かる、あれは大事な人を亡くして悲しんでいる奴の流す涙だ、ってな。そういう涙に男も女も、子供も老人も関係ねぇ」
「え…?」
「お前さんの為になるかは分からねぇが、俺の昔話を聞いちゃくれねえか」
そしてゴウは自身の過去について淡々と話し始めた。
「俺には昔、同じ行商の友人がいたんだ。そいつとはまだ俺が見習いだった時に同じ行商に一緒に弟子入りして、同じ釜の飯を食う仲間だった。やがて俺達は独り立ちして自分の荷車と家畜を持ったが、それでも俺達は親友だった。そうしている内に、そいつには嫁さんと、子供が出来た。俺も何回か会ったことがあるが、嫁さんはいつも元気はつらつで、ちょっと内気気味なそいつにはお似合いな人だった。子供のほうも母親に似ていつも明るく、俺達の言葉をたどたどしくも直ぐに真似する賢くてお喋りな可愛い女の子だった。だが…」
ゴウはそこで声の調子を落とした。
「俺の友人とその家族はある時引き裂かれたんだ。他でも無い『灰の風』によってな」
「な…」
シャルは息を飲んだ。
「丁度風狩りが行われる前、二人の子が七つになった時だった。当時灰の風の暴挙は最盛を迎えていて、最早西ノ国の力だけでは抑えられない程だった。けれどそんな中でも交易を止める訳にはいかなかった。交易を止めれば物の流れが麻痺し、西ノ国のような広大な国は成り立たなくなってしまうからな。だから当時の皇帝はやむを得ず、まだ無事だった行商を都に集めて大商隊を作り、それを騎馬兵団に守らせたんだ。敵の狙いを一つに纏まればそれだけ襲撃を受ける危険は高まるが、最強と謳われた西ノ国の騎馬兵団ならば守り抜けると、皇帝は考えたんだろうな。だが、それは間違いだった」
ゴウは続ける。
「灰の風共は皇帝が行商を一つに集めることを予期していた。だから騎馬兵の力を発揮しにくい、ハイラ山脈の山道に入る直前で隊に奇襲をかけたんだ。それに加え、仲間の盗賊達を山道に多く潜ませておいて、数で隊を制圧しようとした。灰の風の勢力もまだ都を超えた東側までは達していないと考えていた兵達にとっては予想外過ぎる攻撃だった。結果、隊は壊滅。そしてその中に俺と、俺の友人とその嫁さんと子供もいたんだ」
「ちょっと待って下さい!そんな危険を知りながら、何で友人さんは奥さんと子供を連れて隊に参加したんですか!?」
「あいつはあの時嫁さんと子供のことを考えて、行商を辞めて東ノ国に移り住もうと考えていたんだ。だが、幼い子供と戦えない女と共に当時の草ノ大陸を移動するなど自殺に等しい行為だった。手練れの武人ですら、一人で都や宿場町を一歩出れば直ぐに首を取られるかもしれない、そんな時代だったからな。その宿場町も奴らに次々と堕とされ、都もその喉元近くまで灰の風の脅威が迫り、真に安全と言えるのは東ノ国しか無かった。だから隊に参加して、それで山越えを果たすのが最善だと考えたんだ。同じように考えている行商も、口には出さないだけであの場には沢山いただろうな。行商だけじゃない。中には病気の者を抱えながらも、隊に参加している者もいた。皆、草ノ大陸を離れたいという思いは一緒だった。俺自身も何度も襲撃を受け商売あがったりだったから、危険を承知で隊に参加した」
「でも、ゴウさんは生き延びた。そうですよね?」
ゴウは力無く頷く。
「あぁそうだ。俺だけが生き延びちまったんだ。あいつと一緒に死ねたならどんなに楽だったろうか、また一緒に笑いながら酒を呑めたらどんなに幸せだろうかと何度も考えた。そうするうちに、いつの間にか涙も枯れちまった。でも俺は逃げることはしなかった。いや、許されなかったというべきか」
「何故ですか?」
そう問われたゴウは朝靄に濡れた荷車の方を見つめた。
「子供を託されたからだ。あいつと嫁さんは体を奴らに何度も斬られ、血塗れになりながらも自分の子供を守り抜き、そして俺に託したんだ。俺は泣き叫ぶその子を連れ、必死になってハイラ山脈を登った。が、当時冬が近づいていたハイラの山は極寒で、そんな中で装備も無しに山を越えるなど、それこそ自殺行為だった。寒さに震える内に二人とも意識を失い、気づいたらケハノ村に運ばれていたんだ。当時の村人達曰く、朝方になって村の入り口で倒れているのを見つけたらしいから、俺達はきっと『群青の軽業師』に助けられたんだろう。信じられない話だが、そうでもなきゃ俺達はあそこで野垂死んでいたからな」
(男の人と、女の子…。あっ、そういえば五歳になる前くらいに大人達がそんなことを話していたっけ。あまり記憶が無いけれど、きっとその時助けられたのがゴウさん達だったんだ…)
当時まだ幼かったシャルは灰の風について知らず、大人達にその存在を教えられたのは丁度風狩りが終わった時であった。また西ノ国の都よりも東側、つまりハイラ山脈に面した地域の襲撃はゴウ達が襲われた一件以前は一度も例が無かった為、ケハノ村を訪れる行商達の数は平地程激減している訳でもなかった。だからシャルは今まで灰の風について、あくまで歴史の中の出来事の一つとしか捉えておらず、故にゴウ達の記憶も曖昧なままであった。
「それで、その後はどうなったんですか?」
「ケハノ村である程度傷を癒した後、俺達は山を降りて東ノ国に入った。そして俺は地方に住む遠い親戚に一度その子を預け、俺自身は東ノ国から派遣される風狩りの兵士に志願したんだ」
「それじゃあ、ゴウさんは兵隊を経験しているんですね」
ゴウは小さく頷く。
「あぁそうだ。あの時の俺は友人達を守れなかった不甲斐無さと、そんな友人を奪った灰の風に対する憎しみでいっぱいだった。だから討伐隊に参加したんだ。だが、今思えば本当に愚かな選択だった。死んじまった友人と嫁さんはそんな事俺に望んじゃいなかったろうさ。彼らが望むのは俺が自分達の娘の傍にいてやること、ただそれだけだったはずなのに。けど、それに気づいたのは兵士になってから二年後、風狩りが終わってからだった」
ゴウはそこで大きなため息を一つつく。
「朝から重たい話をしてすまねぇな。嫌だったらもう無理に聞く必要もないが…」
「いえ、どうか続けて下さい」
シャルははっきりとした声でゴウの提案を断った。大切な存在を理不尽に奪われ、それを止められなかった自分の無力さ、不甲斐無さに打ちひしがれる。そんな経験をしているゴウに自分自身を重ね合わせていたからだ。
「そうか。なら最後まで聞いてやってくれ。兵士を辞め、その親戚と子供に久しぶりに俺は会いに行った。家の扉を開いて、そこに立つ奴が俺だと分かった途端、その子は目にいっぱいの涙を浮かべながら俺に抱きついてきた。そして震える声でこう言ったんだ。『おじさんのバカ!もしおじさんまで死んじゃったら私、どうしたらいいの…?お願い、もうどこにも行かないで…』ってな。その時、俺は気づいたよ。俺は何て馬鹿な男なんだろうって。気づいたら俺も気付いたらその子を強く抱き締めていた。最後にいつ流したかも分からねぇ涙をわんさか流してな」
陽は先程よりも昇り、辺りを覆っていた朝靄もどんどん晴れてきている。他の者が起きてきてもいい時間のはずだ。だが、ゴウは構わず続けてくれた。
「兵士を辞めた俺はその時に褒賞として貰った金で荷車と牛を買い、また行商として生きていくこととなった。そしてその時、俺は初めて弟子を取ったんだ。他でも無い、友人の娘さ。本当は連れて行きたくはなかったが俺にはこの仕事しか無かったし、かと言ってこれ以上寂しい思いをさせる訳にもいかなかったからな。だがその子はお喋りできさくな性格で、直ぐにこの仕事に慣れてくれた。おかげで今でも俺はその子に助けられてる」
「え、じゃあその友人さんの娘ってもしかして…」
その時朝靄が晴れ、丘からゆっくりと昇って来る朝日が二人を照らした。穏やかな光に照らされながら、シイがまだ眠る荷車のほうを見るゴウの顔は慈愛に満ちたものだった。
「あぁ。昨日お前さんとヤイノに絡んできた、馬鹿で可愛いあの酔っぱらいさ。俺はあの子がいたから今まで生きて来られたんだ…なぁシャル。ヤイノ達から聞いたが、お前さんは涙を流しながら『強くなりたい』と言っていたそうだな」
ゴウは荷車に向けていた視線をシャルに向け、彼の目をじっと見つめる。それはまるで父親が息子に人生の教訓とか、生き様とか、そんな何か大事なことを伝えるようであった。
「お前さんが何故昨日そんな言動をしたのか、俺は詮索もしないし問いただしたりもしない。だが、どうかこれだけは覚えておいて欲しい。強さを求めるのなら常にその意味を忘れないようにする、ということを。兵士として生きていた時の俺はそれが出来なかった。だから俺は憎しみに駆られてただただ体を鍛え、がむしゃらに武器を振るい、本当に守るべきものが見えなくなっていた。これからシャルが“そういう力“を身に着けたいというのなら、どうか俺のようにならないでくれ」
ゴウが自身の過去とそこから得たものを吐露し終えたその時、シャルの目頭には熱いものが込み上がってきた。昨晩頬を伝った冷たい涙とは違う、決意を帯びたそれを抑えるかのようにぎゅっと目を強くつむる。
「辛い過去を話してくれてありがとうございます。そしてゴウさんの教え、必ず胸に刻んでおきます」
シャルのその言葉に、ゴウは、優しく、しかしそれでいて何処か寂しさを帯びた、冬の空のような笑みを浮かべた。その時、シャルは後ろに気配を感じた。振り返るとソラがトコトコと近づいてきて、彼の肩をまたはむはむと咀嚼し始めた。
「おう。ソラも頑張れって言っているみたいだぞ」
シャルに甘えるソラを見て、打って変わって、子供のような無邪気な笑顔を見せたゴウがそう言う。
「ソラもありがとね…ってあははっ!だからそれ、くすぐったいんだって!」




