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地導の使者 覚醒編  作者: 空を飛ぶジンベエザメ
第三章 東ノ国(ルウ・ゼン)
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3, チェナの商取り

現れた男を一目見て、シャルは震えあがってしまった。勿論、村で湯場を営み、行商達をもてなしていた以上、行商と一緒にいる用心棒も相手することはあったが、湯に浸かって上機嫌になった者が時たま大きな声を出して騒ぐことはあれど、大体は大人しくしていることが殆どだ。


というのも、下手に調子に乗って、村の人間に手を上げたりすれば、それだけで行商から無能扱いされ、その場で解雇されることもあるからだ。それだけケハノ村とその村人は、行商達にとって大事な存在であった。しかし、今はそんな状況ではない。むしろ二人はこの男から雇い主を奪おうとしていたのだ。それを知られたら何をされるか分からない。だが、横で縮こまって声も出せないシャルを尻目に、チェナはとんでもないことを男に言い出した。


「あんたが用心棒ね。いきなりで悪いけど、あんたに『商取り』を申し込むわ。あんたが勝ったら大人しく引いてあげる。でも私が勝ったら…後は分かっているわよね?」


それを聞いた男は、目の前の少女の予想だにしない発言に驚いたのか少しの間小さな両目をぱちくりとさせていたが、すぐに下品な声で大笑いしだした。そのでかい笑い声とともに酒の臭いが辺りにふりまかれる。


「ブハハハハハハッ!!お嬢ちゃんよ、その年で『商取り』をするたぁ、その度胸は買ってやる!だが、すぐ後悔することになるだろうよ、この俺に喧嘩を売ったことををなぁっ!!」


「ふん、後悔するのはどっちか、すぐに思い知るわ」


チェナはしかし、男に怯むどうか男を煽るほどの余裕を見せつける。そして二人はシャルと行商をその場において、道の真ん中に向かっていった。恐怖で震えるシャルの頭上から先程チェナと交渉していたはげの行商が話しかけてくる。


「おいおい、あの嬢ちゃん本当に決闘申し込んじまったよ。連れの坊ちゃんよ、止めなくていいのかい?」


シャルは道の真ん中につかつか歩いていくチェナの背中に釘付けになり、行商の声が届かなかった。


「おい坊ちゃん。大丈夫か」


「…え?あ、あぁ大丈夫です…!それに彼女、ああ見えてとても強いので…」


慌ててそう答えるとシャルはすぐにチェナのほうを向きなおした。二人は既に道の真ん中で数十歩程の距離を取って互いに睨み合う。二人を囲む野次馬から「喧嘩か、いいぞやっちまえ」だとか、「おいおいあの姉ちゃん大丈夫か」、といった声が上がる。


ちなみに「商取り」というのは、既に雇われている用心棒に決闘を申込み、それに勝ったら申し込んだ者が行商に雇われる権利を得るという、用心棒のがさつで荒々しい世界を体現したかのようなやり口である。


だが、行商達も出来れば腕の立つ用心棒を雇いたいため、目の前で決闘が始まってもこれを咎めるものはあまりおらず、行商と用心棒が多くいる場所では頻繁に行われている。それにこの決闘というのも基本的には素手での勝負であり、武器を用いることは暗黙の了解で禁止されている。


(チェナが戦っているところを俺は見たことない。でもあれだけの体格差のある相手にあんなに余裕を見せつけるってことは、チェナは地導を使う気だ…)


そう確信したシャルは固唾を飲んでその様子を見守った。


「さぁお嬢ちゃんよ、覚悟はいいかい?言っておくが俺は例え『商取り』の勝負だろうが喧嘩を売ってきた相手には容赦しないたちなんでな。どうなっても知らないぜ」


「いいわよ。どこからでもかかってきなさい」


「へっ、そのすまし顔、すぐにぐしゃぐしゃの泣き顔に変えてやらぁ!」


そう言い放つと男は肩を揺らしながらチェナに殴り掛かった。ごつごつとした男の拳がチェナの顔面に迫る…と、その瞬間チェナは凄まじい速さで腰を落としてその殴打を躱すとそのままの体勢で、拳を振りぬく男の脇下を走り抜けるかたちで背後に回り込んだ。拳を盛大にすかしたことで体勢を崩しかけた男だったが、何とか踏みとどまり、今度は振り向きざまにチェナを殴りつける。


しかしチェナは、今度はその拳を見事な後ろ宙返りで華麗に躱した。周囲からおぉ、という感嘆の声が上がる。宙返りの勢いで距離を取られた男だったが、そんなことお構いなしに、まるで猫のように音も無く地面に着地するチェナに滅茶苦茶に拳を振り回す。


だがチェナはその全ての攻撃をほんのわずかな体の動きだけで避け、時には虫でも払うかのような手つきで軽々と弾いた。その様子をみた野次馬から再び感嘆の声が上がる。しかし野次馬と共にその戦いを見守るシャルは別のことに驚いていた。攻撃をいなし続けるチェナはその体のどこにも揺らぎを纏っていない。チェナは地導に頼ることなく己の技量のみで男と同等以上に渡り合っていたのだ。一向に攻撃が命中しない男の顔と声に、次第に焦りと疲労が現れ始める。


「く、くそ、なんで当たらねぇ…。こ、この俺が…こんな小娘に…」


「あら、随分とお疲れのようね。ほら、足元がお留守よ」


「な、何だと…のあっ!?」


チェナは男の拳を、先程と同じように姿勢を下げて楽々と躱すと、今度はその体勢のまま男の右の足首を両手で掴み、そのままえいやっ、と転ばせた。疲労に加え、考えなしに振り回す拳のせいで体幹が崩れていた男はそれに耐えられず、おわぁ!という情けない悲鳴と共に派手に腰と背中を地面に打ち付ける。間抜けな姿を晒したことで、野次馬からどっと笑い声が上がった。


(す、凄い…)


チェナの見事な戦い方にシャルはすっかり魅入ってしまっていた。これまで共に旅をしてきた少女にこれほどの戦闘の技量があったとは。シャルにはそれを測る由も無かった。


「ほら、どうしたの?もう降参かしら?」


道の真ん中で無様にひっくり返る男に対してチェナは相変わらずの涼しい顔で問いかける。チェナは男が転倒する瞬間に背後に飛びのき、再び男と距離を取っていた。


「て、てめぇ…。舐め腐りやがって…」


余裕綽々と言ったチェナとは正反対に、腰に手を当ててゆっくりと起き上がる男の目には凄まじい怒りの色が浮かんでいる。自分よりもずっと小柄の娘に軽くあしらわれ、群衆に醜態を晒した男はまさに怒髪天をついたと言った様子だ。そして男は怒りのあまり驚きの行動に出た。男は立ち上がるとチェナを睨みつけながらなんと腰の長刀をゆっくりと引き抜いたのだ。その様子を見た周囲から悲鳴と動揺の声が上がる。「商取り」の戦いでは刀は勿論武器を使った戦いはご法度だ。


「あいつ、刀を抜きやがった!坊ちゃん、悪いことは言わねぇから今すぐでも嬢ちゃんを止めてやれ!このままじゃ嬢ちゃんがどうなるか分からねぇぞ!」


慌てた様子でシャルにチェナを止めるよう促す行商であったが、シャルはこれを拒否した。


「大丈夫です。刀程度じゃ彼女は怯みません」


そう答えながら再びチェナに視線を向ける。


(今度こそチェナは地導を使うはず…でも待てよ、こんな人が見ているところで、素手で刀を受け止めたり、刀身をばらばらにしたらまずいんじゃ…?)


男はぜえぜえと肩で息をしながら刀を構える。どうやら脅しではなく本気でチェナに斬りかかるつもりのようだ。だがシャルの言う通り、そんな男にチェナは一切怯む様子はない。


「ちょっと、『商取り』の勝負で武器なんか使ったら行商に捨てられるわよ。それにここは東ノ国の都。抜刀すれば兵士に見つかってすぐにお縄になることくらい分かっているでしょ?」


「やかましいっ!!俺はお前に痛い目をさせられるならもうなんでも良い!」


「そう。じゃあ、仕方ないわね」


チェナは不意にちらりとシャルの方を見る。その様子はまるでシャルによく見ておきなさいとでも言いたいかのようだった。


「くたばりやがれ~っ!!」


男は声高々に叫ぶと、刀を振りかぶりチェナに向かって走り出した。それに対しチェナは上唇を軽くぺろりと舐めると、自分は腰に下げる刀を抜くことなく、素手で男に向かっていった。


勝負は一瞬で決まった。チェナは迫りくる男の間合いに入る直前に、彼女の膝が男の目線の先に来るほどの高さまで勢いよく飛び上がった。


「なっ…」


予想外の行動に男も思わず足を止める。そしてチェナはその隙を見逃さなかった。跳躍に怯んだ男の顔面に向かって、彼女は体重をかけ、強烈な膝蹴りを叩き込んだ。その瞬間、チェナの膝が地導に包まれたのをシャルは見逃さなかった。


「ぶふっ…!」


鼻頭に凄まじい衝撃を受けた男は鼻血を吹き出しながらよろめくと、そのまま刀を握りながら後ろにドサッと倒れこみ、気を失った。一方のチェナは顔面を蹴った勢いを使って空中でくるりと体の向きを変えると、男に背を向ける形で、すとんと静かと着地した。その刹那の出来事に辺りは沈黙に包まれる。だがすぐに、


「おぉ~っ!!!」


「やるじゃねぇか!!」


「すげぇ!!強いな、姉ちゃん!!」


といった歓声が上がった。歓声を浴びながら、チェナは背後でぴくぴくとしている男に近づき、仰向けの姿勢から横向きの姿勢にしてやった。自分の鼻血で窒息させないようにするためだ。そんなチェナにシャルと、荷車に乗って戦いを見守っていたはげの行商が駆け寄る。


「凄いよ!俺、チェナがあんなに強いなんて知らなかった!」


「嬢ちゃん、中々面白いものを見せてもらったよ!!どうやら俺の目が節穴だったようだな!嬢ちゃん。どうだい、俺達はこれから西ノ国までこの荷物を運ぶんだが、それまでの護衛を頼まれちゃくれねぇか?どの道あいつはもう使えねぇしな」


チェナはシャルの賞賛の声に対し、ふふんといった感じのすまし顔をすると、今度は行商に対して笑顔で


「もちろんです。よろしくお願いします!」


と元気よく答えた。それに対し、行商も白い歯を見せニカッと笑う。しかし行商はすぐにシャルに視線を向けると


「だが嬢ちゃんよ、お前さんが強いのは良~く分かったが、お前さんの連れの坊ちゃんはどうなんだ?さっきもあいつを一目見ただけで縮こまっていたし、とても戦えるようにはみえないんだが…」


と再び怪訝そうに尋ねた。しかし、シャルが何か言う前にチェナがすぐさまこの問いに答える。


「この子は私の弟で、一度私の仕事を見てみたいということで連れてきたんです。行商さんの言う通り、戦いはからっきしですけど馬の扱いとか、荷物の積み下ろしとかは凄く得意なんです。行商さん達のお手伝いなら完璧にこなせますよ!」


「う~ん…」


行商は少しの間考え込んでいたが、やがて再び笑みを浮かべると


「本当なら戦えねぇやつはいらないが、俺達の仕事を手伝ってくれるっていうなら話は別だ。よし、坊ちゃんもまとめて雇うぜ。西ノ国までよろしくな!」


と快くシャルも受け入れてくれた。それに対しシャルも


「ありがとうございます!精一杯頑張ります!」


と素直に答える。


その時だった。


「おい、あれを見ろ!」


誰かが突然叫ぶ声が聞こえた。それに合わせて周囲の人間が一斉に向ける。視線の先には、都の中心から天に向かって伸びる、三本の狼煙があった。その細い煙を見た瞬間、チェナに倒された男に縄をかけていた兵士達が慌て始め、一人の兵を男の監視に割り当てると、残りの者は足早に狼煙の上がる方向に走っていってしまった。それに呼応するかのように、どけ、道を開けろという声と共に他の兵士達も煙の昇る都の中心部に向かい始める。


「ありゃあ、緊急招集の狼煙だ。珍しいな。王宮でなにかあったのか?」


「緊急招集?」


遠くに立ち上る細い煙の柱をぼんやりと眺めながらシャルは行商に訊ねる。


「あぁそうだ。都に展開する兵士達に素早く命令を伝えるために東ノ国ではああやって狼煙を使うんだ。使われる狼煙の数や色で色々と意味があるんだが、今昇っている三本の白い煙は『直ちに王宮へ戻れ』という合図で、そう滅多に使われるものじゃない」


「それじゃあ本当に王宮で何かが…?」


「だろうな」


シャルと行商が話していると人混みの中から一人の青年がこちらに向かって走って来た。どうやら行商の仲間らしい。


「旦那。今戻りました」


「おう戻ったか、ヤイノ。遅かったじゃないか。何かあったのか?」


「それが王宮のほうで少しごたごたがあったようでして…人混みを避けていたせいで少し遅くなっちまいました」


「一体何があったんだ?招集の狼煙なんて滅多なことではあがらないぞ」


「それが、その…。どうやらケハノの村がそこにいた『帝の足』と一緒に賊の襲撃を受けたみたいで…今さっき襲撃を逃れた護衛兵達が『帝の足』と生き残りの村人を連れて王宮に帰還してきたみたいなんです」


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