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その聖女、祈る代わりに手を洗わせるが、恋の病はこじらせる


「カイル様、単刀直入に申し上げます。私は聖女などではありません。これは全て村人たちの誤解なのです!」


 目の前で笑みを浮かべる辺境伯様──カイル様に向かって、私は必死に訴えかけた。

 けれど、彼は涼しい顔を崩さない。

 むしろ、私のこの状況を心底楽しんでいるようにすら見える。



 事の始まりは、ひと月ほど前。

 私の住むこの小さな村で、原因不明の病が流行り始めた。

 高熱と咳が続き、衰弱していく村人たち。

 祈祷師様がどれだけ祈りを捧げても、病の勢いは増すばかり。


 私の家は、薬師の家系だ。といっても、両親はとうの昔に流行り病で亡くなっていて、今は私一人。残された薬草の知識だけが、私の全てだった。

 村人たちの症状を見て、私は両親が遺してくれた古い医学書を片っ端から読み漁った。そして、一つの可能性に行き着く。

 これは、接触によって広がる流行り病ではないか、と。


 だとしたら、やるべきことは一つ。

 私は村長さんの元へ駆け込み、とにかく衛生管理を徹底するよう説得して回った。


「病人の傍に行くときは必ず布で口と鼻を覆うこと!」「食事の前、外から帰った後は、必ず手を水で洗うこと!」「水は一度沸かしてから飲むこと!」


 最初は誰もが半信半疑だった。

 神の怒りだとか、呪いだとか、そんなことばかり信じている村人たちにとって、私の言うことは奇妙に聞こえたらしい。

 それでも、他に手立てがない状況で、藁にもすがる思いだったのだろう。村人たちは私の言うことを聞いてくれた。


 結果は驚くほどの効果だった。

 あれほど猛威を振るっていた病は、まるで嘘のように収束していったのだ。


 これで一件落着。そう、胸を撫で下ろしたのも束の間。



 ――事態は、私の予想を遥かに超える、斜め上の方向へと転がり始めた。



 村人たちは、魔法や祈りによらないその成果を、逆に「理解不能な奇跡」と捉えてしまったらしい。


「リリアの言う通りにしたら病が治った!」

「あれは神の御業だ!」

「リリアは我らを救うために遣わされた聖女様に違いない!」



 ……どうしてそうなる。



 私はただ、薬師の知識を実践しただけだ。手洗いと煮沸消毒が、どうして奇跡になるというの。


 私の困惑をよそに、噂は尾ひれどころか翼までつけて広まり、いつしか私は「辺境の村に現れた聖女様」として、すっかり崇められる存在になってしまった。


 やめてほしい。本当に。

 よそから来た旅人も、道端で拝むんじゃない!


 そして、その噂はついに領主様の耳にまで届き、あげくの果てには王都の神殿にまで伝わってしまったらしい。

 神殿は、分かりやすい英雄を求めていたのだろう。現場の確認もせずに、一方的に私を「聖女」として公式に認定・布告してしまったというのだ。


 もう笑うしかない。


 そうして今日、この辺境を治める領主であるカイル様が、直々に「聖女認定の辞令」なるものを持って、私の粗末な家までやってきた、というわけだ。


「……というわけでして、カイル様。私はただの薬師の娘です。聖女だなんて、とんでもない!」


 もう一度、私は力強く訴える。

 しかし、カイル様は優雅に紅茶を一口飲むと、くすりと笑った。


「事情は理解した。だが、リリア嬢。神殿が一度布告したものを、今さら『間違いでした』と撤回できると思うかね?」

「そ、それは……」

「できないだろうな。神殿の権威が失墜する。彼らは何よりもそれを恐れる」


 彼の言うことは、正論だった。正論すぎて、ぐうの音も出ない。


「もはやこうなった以上、聖女であることを否定するより受け入れる方が得策だ。君にとっても、この村にとってもね」


 悪戯っぽく片目を瞑るカイル様に、私は天を仰いだ。

 この人、絶対面白がってる。私の不幸を肴に紅茶を飲むタイプだ。間違いない。


 こうして、私の意思とは全く関係なく、「聖女リリア」が爆誕してしまった。

 ああ、もう、どうしてこうなった。


 最悪、夜逃げするしかないか……

 そんなことを考えながら、私は力なく差し出された辞令を受け取るしかなかったのである。



◇ ◇ ◇ ◇



 私が不本意ながらも聖女役を引き受けてからというもの。

 辺境伯であるカイル様が、「お目付け役」という実に都合のいい名目で定期的に私の村を訪れるようになった。


 彼は村へ着くとまず、私の家へやってきて、決まって軽口を叩く。


「やあ、手洗い聖女。今日もお祈りを捧げているかね?」


 薬草を干している私を見つけては、そんな風にからかうのだ。

 私は私で、すっかり慣れたもので、ため息混じりに皮肉で返す。


「おかげさまで。辺境伯様こそ、物見遊山とはご苦労なことですね」


 それが、二人の間のすっかりお決まりとなった挨拶だった。

 口ではそうやってあしらいながらも、彼が毎回持ってきてくれる王都の珍しいお菓子や、この辺りでは手に入らない薬草の標本に、内心ではしゃいでいることは秘密だ。


 別に、お土産が嬉しいわけじゃない。薬草の足しになるから、仕方なく受け取っているだけだ!

 ……そんな言い訳を心の中で繰り返しながら。


 何より、彼は領主様でありながら、偉ぶったところが少しもなかった。

 私の拙い薬学の話にも真剣に耳を傾けてくれるし、村の小さな問題にも親身になって相談に乗ってくれる。

 穏やかで、驚くほど話の分かる領主様。


 ――そんなカイル様に、私は少しだけ、本当に少しだけ心を許していたのかもしれない。



 そんなある日のこと。

 村の収穫祭に、カイル様がいつものようにお目付け役として参加した。

 祭りの賑やかな雰囲気に当てられたのか、それとも村人たちに勧められるがままに飲んだ地酒が思ったより強かったのか。


 その日の私は、珍しく羽目を外してしまった。


 楽団が陽気な演奏を始めると、私はすっかり楽しくなってしまい、カイル様の手をぐいっと引いた。


「さあ、辺境伯様も! たまには体を動かさないと鈍りますよ!」

「よせ、リリア。僕は見てるだけで十分だ」


 カイル様は苦笑しながら、やんわりと私の手を振り払う。

 でも、今日の私は諦めが悪い。アルコールのせいだ。きっとそうだ。


「まあ、そんな固いことおっしゃらずに。ほら、このお酒、とっても美味しいんですよ? もう一杯いかがです?」


 私は近くの樽からなみなみと注がれた木の杯を、彼の目の前に突き出した。村自慢の、果実をたっぷり使った甘いお酒だ。


「君は少し飲みすぎじゃないか?」


 呆れたように言う彼に、私はむっと頬を膨らませる。


「飲んでません! これは聖水です! 聖女が言うのですから間違いありません!」

「……どの口が言うんだか」


 支離滅裂な私の言い分に、カイル様はとうとう観念したように笑い出し、杯を受け取った。そして、こくりと一口、喉を鳴らす。


「……うん、確かに美味いな」

「でしょう?」


 満足げに笑う私を見て、彼もつられて笑う。その顔が、いつもより少しだけ赤い気がした。

 ちょうどその時、楽団の演奏が一層賑やかになる。私は今度こそ、と彼の腕を取った。


「さあ、今度こそ!」


 少しだけ足元がおぼつかない私を、カイル様は今度は振り払わず、むしろ支えるようにして踊りの輪へと導いてくれた。


 くるくると回りながら、ふとカイル様の顔を見上げると、彼は呆れたような、それでいてどこか慈しむような、柔らかい視線で私を見つめていた。

 いつも浮かべているからかいの色はない。ただ、ひたすら暖かく、優しい眼差し。

 その視線に、酔いの中で心臓がとくんと跳ねたのを、私はぼんやりと覚えていた。


 翌朝。

 ガンガンと割れるように痛む頭と、猛烈な自己嫌悪と共に、私は目を覚ました。


「…………やってしまった」


 昨夜の自分の振る舞いを思い出し、ベッドの上で頭を抱える。

 領主様相手に、なんて無礼なことを。馴れ馴れしすぎるにも程がある。


 少し、気を許しすぎていた……


 そうだ。

 彼は領主様で、私はただの村娘。偽物聖女。

 もう少し、距離を取らないといけなかったかもしれない。あの優しい眼差しも、きっと酔っ払いへの哀れみだ。そうに違いない。


 次にカイル様が村を訪れた時、私はどんな顔をして会えばいいのだろう。

 そんな私の心配をよそに、数日後、彼はいつもと変わらない様子でやってきた。

 そして、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて、こう言ったのだ。


「これはこれは、噂の『酔っ払い聖女』様。二日酔いはもう治ったかな?」


 その言葉に、顔にカッと熱が集まるのを感じる。


 私はぷいと顔をそむけながら、精一杯の強がりで応戦した。


「……その呼び名は不本意ですが、否定できないのが悔しいところですね」


 私の返事を聞いて、カイル様は声を上げて笑った。

 その楽しそうな笑い声を聞きながら、私は自分の頬が緩むのを止められなかった。



◇ ◇ ◇ ◇



 そんな穏やかな日々は王都からの使者によって、あっけなく終わりを告げた。

 王都で新たな疫病が発生した、という不吉な報せと共に、神殿から私を王都へ召喚する正式な使者がこの村に到着した。


 これは、事実上の強制命令だった。

 使者の高圧的な態度に、村は静かな緊張に包まれる。

 私を心配そうに見つめる村人たちの視線が、痛いほどに突き刺さった。


 神殿は疫病の責任を私に擦り付けるつもりか……


 冷静に状況を分析しながら、私は唇を噛んだ。


 彼らにとって、私は都合のいい象徴だ。

 疫病を鎮めれば本物の聖女として神殿の権威を高められるし、もし失敗しても「偽物の聖女だった」と切り捨てればいい。どちらに転んでも、彼らに損はない。

 なんて、狡猾なやり方だろう。


 使者から即時の同行を求められた私は、しかし、静かにこう告げた。


「聖女として民を救うための最善の方法を神にお尋ねせねばなりません。三日間の祈りの時間をお許しください」


 これは、誰も反対できない「聖女らしい」口実。

 そして、この絶望的な状況の中で私が自らの頭脳で稼いだ、貴重な時間だった。




 その夜。

 私が一人、これからの策を練っていると、戸口を叩く音がした。


 そこに立っていたのは息を切らしたカイル様だった。

 王都からの報せを聞いて、慌てて駆けつけてくれたのだろう。


「リリア、大丈夫か」


 彼の焦ったような声に、なぜか私の心はすっと落ち着いていくのを感じた。

 私は彼の目をまっすぐ見て、悪戯っぽく微笑んでみせる。


「カイル様、見ていてください。神殿は、私が王都へ行かなくても済むように、自ら梯子を外してくれますよ」

「……どういうことだ?」

「彼らは権威を愛し、手柄を渇望する……実に強欲な方々ですから」


 そう強気に言ってみたものの、内心では不安で押しつぶされそうだった。私の浅知恵が、神殿という巨大な権力に通用するだろうか。もし失敗したら……。


 私の不安を見透かしたように、カイル様は穏やかな笑みを浮かべた。


「君の試みが上手くいかなくても、心配するな」


 そう言って、彼はとんでもないことを口にする。


「最悪、君を『失踪』させて、我が家のメイドとしてこっそり雇ってやる。だから、やりたいようにやってみるといい」


 その言葉は、あまりにも突拍子もなくて、でも彼らしくて。

 私は思わず、ふふっと笑ってしまった。


 ああ、この人は本当に……。


 彼がいる。それだけで、私の心に巣食っていた恐怖が、少しずつ溶けていくのを感じた。


 私は、一人じゃない。




 そして三日後。

 私は使者と村人たちの前で、「神託が下った」と厳かに宣言した。

 その内容は、神殿の予想を遥かに超えるものだったに違いない。


「この病は、穢れた水と人々の接触によって広がります。神は聖女が降臨する前に、民が自らの手で身を清め、聖なる地を準備することを望んでおられます」


 私はそう言うと、「聖女を迎え入れる儀式の手順書」と称した、一冊の分厚い冊子を提示した。

 それは極めて具体的で実践的な、公衆衛生マニュアル。

 水の煮沸、石鹸を使った正しい手洗いの方法と消毒法の徹底、病人の隔離方法、汚物の衛生的な処理方法など、私が持つ薬学知識の全てを詰め込んだ、集大成だった。


 そして、私は神殿の使者にこう言い渡す。


「この『儀式』が王都全土で正しく執り行われ、かの地が清められた暁に、私は神の許しを得て王都へ向かうでしょう。それが、神の御心です」


 神の御心。

 そう言われてしまえば、神殿は民衆の手前、この「神託」を実行せざるを得ない。

 私の計画が神殿の物理的な圧力で潰されることがないように、カイル様はすぐさま動いてくれた。

 彼は辺境伯として、王都にいる自身の配下へ指示を出し、この「儀式」が正確に実行されるよう、見えない盾となって私を守ってくれたのだ。



 さあ、神殿の皆様。

 私が心を込めて作った梯子です。どうぞ、お上りください。

 その先に、あなた方が望む手柄が待っていますよ。



 結果は私の予想通りだった。

 リリアのマニュアル──もとい、「聖女を迎え入れるための儀式」が王都で実行されると、疫病の猛威は劇的に鎮静化していった。


 王都の民衆は熱狂した。


「聖女様のおかげだ!」

「聖女様の神託は本物だった!」

「早く聖女様を王都へお迎えしろ!」


 私への期待と支持は、日増しに高まっていく。もはや、最高潮と言ってもいいだろう。


 しかし、その一方で。

 神殿の上層部はこの状況に、相当な焦りを覚えていたに違いない。

 このまま私を王都に迎えれば、疫病終息の手柄は、すべて私一人のものになってしまう。

 それは、権威を何よりも重んじる彼らにとって、到底受け入れがたいことだった。


 功名心に駆られた彼らは、苦肉の策として、そして私が巧妙に仕掛けた「罠」へと、自らその足を踏み入れたのだ。


 数日後、神殿は公式に、こう宣言した。


「先の儀式は聖女様の祈りに我々が感応し、神殿の古文書から再発見した『古来より伝わる神の秘儀』であった! 聖女様の祈りが我々に道を示してくださったのだ!」


 見事な手柄の横取りだった。

 疫病を鎮めたのは聖女の神託ではなく、あくまでも神殿が発見した「秘儀」のおかげ。聖女の功績は、その「きっかけ」を作っただけ、ということにしたのだ。


 この発表により、神殿は手柄の大部分を自分たちのものとすることに成功した。

 そして、その当然の帰結として。

 彼らは、「聖女を王都に召喚する必要性」を、自らの手で消し去ってしまった。

「秘儀」で疫病が治まるのなら、もはや聖女が王都へ赴く必要など、どこにもないのだから。


 辺境の村にある私の小さな家で、その報せを運んできたカイル様の隣で、私は「ふふっ」と静かに、そして満足して微笑んだ。


 全ては、私の計算通り。


 王都を救い、かつ、王都へ行く義務からも解放される。

 おまけに、神殿からの干渉も完全に断ち切ることができた。

 これ以上ない、完璧な勝利だった。


「見事な手際だな、手洗い聖女」


 カイル様が、感心したような、呆れたような声で言う。


「お褒めにいただき光栄ですわ、お目付け役様」


 いつもの皮肉を返しながら、私は勝利の美酒に酔いしれた。




 その夜、私はカイル様と二人きりで、ささやかな祝杯を上げていた。

 彼が持ってきてくれた、上等な葡萄酒の芳醇な香りが部屋に満ちる。

 勝利の余韻に浸り、少しだけ浮かれていた私に、しかし、カイル様は不意に厳しい表情で口を開いた。


「リリア。君は、とんでもないことをしでかした自覚があるか?」


「え……?」


「神殿の秘密の手柄を作り出した君を、彼らがどう思うだろう? 神殿の立場なら、君を暗殺してでも口を封じたくなると思わないか?」


 その氷のように冷徹な指摘に、私の背筋を冷たい汗が伝った。

 勝利に浮かれて、完全に頭から抜け落ちていた。そうだ、神殿は手柄を手に入れたと同時に、私に「弱み」を握られてしまったのだ。


 私が「あれは神殿の秘儀ではなく、私の知識です」と暴露すれば、彼らの権威は地に落ちる。そんな危険な存在を、彼らが放置しておくはずがない。

 勝利の余韻は一瞬で吹き飛び、代わりにじわりとした恐怖が心を蝕んでいく。


 ぎょっとして黙り込む私に、カイル様は真剣な眼差しで、一歩近づいた。


「僕の妻にならないか?」


「…………え?」


 今、この人、何て言った?

 妻? 誰が? 私が?

 衝撃の連続に、私の思考は完全にフリーズする。

 カイル様は、そんな私を見て、続けた。


「辺境伯の妻であり、民衆に絶大な支持を受ける聖女となれば、神殿もおいそれとは手を出せまい。君を守る最善の方法だ」


 ああ、なるほど。政略結婚、というわけか。

 私を守るための、合理的な判断。


 私が何も言えずに固まっていると、カイル様は突然慌てだした。いつもの冷静さはどこへやら、早口で言葉を続けた。


「あ、いや……ごめん。今の言い方は、その、ただの方便だ! 聖女の責任も全て肩から降ろして、僕の家でメイドになってくれてもいい! 」


 なんだか、支離滅裂なことを言い出した。妻になれとか、メイドになれとか、この人は何を言っているんだ。

 そんな私の頭は、次の言葉で真っ白になった。


「本音は……その、君が好きだから、ずっと一緒にいたい。君の隣で、君を守りたいんだ」


 ……本音?

 好き?

 一緒に、いたい?


 こ、この人は、一体何を言っているの?

 さっきまでの冷静沈着な様子はどこへ行ってしまったというの。

 私の知っているカイル様は、こんな風に言葉を詰まらせたり、しどろもどろになったりする人じゃない!

 これは、神殿とはまた別の、新しい罠なのだろうか。私の心を乱すための、高度な心理戦?

 けれど、目の前にいる彼の表情は、そんな計算高さとは無縁に見えた。


 必死に、不器用に、本心を打ち明けるカイル様の姿に、私の心臓が、どくん、と大きく跳ねた。

 いつも余裕綽々で、私をからかって楽しんでいる彼の、見たこともない必死な顔。

 彼は少し不安そうに、しかし決意を固めた瞳で、さらに顔を近づけて、囁いた。


「……リリア。どんな病も知識で治す君だが、今の俺の病は……君の唇じゃないと、治せそうにない」


 ずるい。

 ああ、なんてずるい人なのだろう。

 政略結婚を匂わせ、私を安心させたかと思えば、不器用な愛の告白で突き落とす。




 そして何より、耳まで真っ赤にして、必死な顔で私に想いを告げるなんて!

 そんなの、反則だ!




 私の心臓は、もううるさくて、痛くて、どうにかなってしまいそうだった。


 返事の代わりに、私はそっと目を閉じた。


 人の病は治したかもしれないが、このどうしようもない恋の病だけは、どうやら私が一番拗らせてしまっている。



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