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「なかよし」〜コンドームちゃんと奇妙な職場〜  作者: 片山アツシ
「愛って何?人間観察って地獄」
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愛ってなんだろう?

「なかよしルーム」に就職して、早くも数週間が過ぎた。

あれほど「無理だ」「辞めたい」と泣き言を並べていた私も、いつの間にかこの異常な日常に順応しつつあった。人間という生き物は悲しいくらいに環境適応能力が高いらしい。


私の主な業務は相変わらずコントロールームでのモニタリングと過去データの入力作業。

幸いあの衝撃的な『レベル5案件対応マニュアル』を叩き込まれて以来、実際にそのレベルの案件に遭遇することはまだなかった。

私が担当するのはもっぱらレベル1の「対話」や、レベル2の「スキンシップ(軽度)」といった可愛らしいものばかり。


『やった! 手、つなげた!』

モニターの向こうで依頼を達成した大学生カップルが、まるで世紀の発見でもしたかのように顔を真っ赤にして喜び合っている。

その初々しい光景に私の口元もついゆるんでしまう。


「はい、15:42、ミッションコンプリート。眠夢ちゃん、ロック解除お願い」

「はい、宮野さん」


隣に座る宮野さんの指示で、私は手慣れた様子でコンソールを操作する。

最初の頃は、心臓が口から飛び出しそうになるほど緊張していたリアルタイムモニタリングも、今では少しだけ客観的に、そしてほんの少しだけ楽しむ余裕すら生まれていた。

自分の分析や観察がモニターの向こうの二人の背中をそっと後押しする。その小さな成功体験の積み重ねが、地の底まで落ち込んでいた私の自己肯定感をミリ単位で修復してくれているような気がした。


同僚たちとの関係も少しずつではあるが変化していた。

宮野さんは相変わらずキラキラした「あざと可愛い」オーラを振りまいているが、仕事モードに入った時の剃刀のような鋭い分析力と、物事の本質を見抜く洞察眼にはいつも舌を巻かされる。彼女は私の良き指導者であり、そして手強いライバルのようでもあった。


部屋の隅で常に静寂を保っている蛇田さんとも、時々言葉を交わすようになった。

と言ってもそれは業務上、必要最低限の会話だけだ。


「蛇田さん、5号室の空調、少し温度を上げた方がいいかもしれません。女性の方が少し肌寒そうにしています」

「……了解」


彼は私の言葉に短く応えると無言でタブレットを操作する。その横顔は相変わらず能面のように無表情だが、彼の仕事が決して手を抜かない完璧なものであることを私はもう知っていた。彼の磨き上げたコントロールームの床は私の歪んだ心さえも映し出しそうなくらいピカピカだった。


そして、ママ。

この奇妙な城の絶対的な支配者である彼女は、いつも不敵な笑みを浮かべて私たちの仕事ぶりを眺めている。


「新入り、少しは様になってきたじゃないの。でもあんたのそのお人好しはいつか自分の首を絞めるわよ」


そう言って私の頭をゴツゴツした大きな手でわしわしと撫でてくる。それは彼女なりの不器用な激励なのだと、最近ようやくわかってきた。


そんな奇妙に平和な日々がいつまでも続くような錯覚に陥っていた、ある日の午後。

その均衡は一本の電話によってあっけなく破られることになる。


「……ええ、ええ。はい、承知いたしました。……ではお待ちしておりますわ」


普段は私たちに顧客対応を任せているママが珍しく自ら電話を取っていた。

その声のトーンがいつもよりほんの少しだけ低い。

受話器を置いたママの顔には爬虫類のような冷たい笑みが浮かんでいた。


「面白いことになってきたわね」

ママは細長いタバコに火をつけると、その煙で天井に輪っかを一つ作った。


「結、眠夢。次のクライアント、あんたたち二人で担当なさい。レベル4案件、『プロポーズの受諾』よ」

「はい、ママ。お任せください!」

宮野さんが快活に返事をする。

私も「はい」と頷きながら、手元のモニターで予約情報を確認した。


依頼者の名前は、高槻たかつき わたる、三十五歳。職業、外資系コンサルティングファーム勤務。年収、推定二千万以上。プロフィール写真に写っているのは非の打ち所のない、絵に描いたようなエリートイケメンだった。

そしてプロポーズの相手は、相川あいかわ 莉奈りな、二十八歳。職業、モデル。こちらも息を呑むほどの美女だ。


誰もが羨むような完璧なカップル。

一体この二人にどんな問題があるというのだろう。


私の疑問を見透かしたようにママが口を開いた。

「この案件、依頼者は高槻渉本人じゃないわ。彼の父親よ」

「……父親?」

「ええ。息子がなかなか結婚に踏み切らないのを心配してね。息子の恋人だという、その相川莉奈という女が本当に息子に相応しいのか、財産目当てじゃないのかを見極めてほしい、ですって。そのためのプロポーズというわけ」


なんという胸糞の悪い話だろう。

子供の結婚相手を金で品定めする。

私たちの仕事はそんな醜い人間の欲望の手助けまでするのか。

私の顔に浮かんだ嫌悪感をママは、フン、と鼻で笑い飛ばした。


「世の中そんなもんよ。愛だの恋だの言ったって、しょせんは条件とタイミングと利害の一致。あんたもそろそろ夢見るお花畑から卒業しなさい」


そしてママは私の方にじろりと視線を向けた。


「眠夢。今回はあんたの『嘘を見抜く目』が試されるわよ。あの女が本当に息子を愛しているのか。それともすべて『演技』なのか。あんたの目でしっかり見極めなさい」


その言葉は重いプレッシャーとなって私の肩にのしかかった。

これはただの業務じゃない。私へのテストなのだ。


やがてチャイムが鳴り問題のカップルが来店した。

私と宮野さんはエントランスホールで二人を出迎える。


「ようこそおいでくださいました。担当の宮野です。こちら、新人の近藤です」

宮野さんの完璧な営業スマイルとは対照的に私の顔は緊張で引きつっていた。


目の前に立つ高槻渉は写真で見た以上に自信に満ち溢れた男だった。高級なスーツを少しも着崩すことなく着こなし、その佇まいには王者と呼ぶにふさわしい風格さえ漂っている。

「どうも。今日はよろしく頼むよ」

彼の声は低くよく響いた。


一方、隣に立つ相川莉奈はまるで精巧に作られた人形のように美しかった。

しかしその表情は完全に抜け落ちている。

彼女は誰にも何にも興味がない。そんな虚無のオーラをその全身から放っていた。


「それでは最終確認を……」

宮野さんがいつも通りタブレットで同意書の説明を始める。

高槻は慣れた様子でそれにサインをした。

しかし莉奈はペンを持ったまましばらく固まっていた。


「……莉奈?」

高槻が少しだけいらだったような声で彼女の名前を呼ぶ。

その声に彼女はビクッと小さく肩を揺らすと、慌ててタブレットにか細いサインを書き込んだ。


その一連のやり取りに、私は強烈な違和感を覚えた。

恋人同士の親密な空気感がこの二人からはまったく感じられない。

まるで上司と部下。あるいは支配者とそれに従う者。

そんな、歪んだ権力構造が透けて見えるようだった。


二人がルームに入室しモニタリングが開始された。

部屋は都会の夜景が一望できるモダンで豪華なペントハウス風のデザインだ。


「どうだすごいだろう? 君のために最高の部屋を用意したんだ」

高槻が腕を広げて得意げに言う。

「……ええ、すごいわ」

莉奈は感情のこもっていない声でそう答えた。


彼女はソファに座ろうともせず、ただ窓際に立ちガラスに映る自分の顔をぼんやりと眺めている。

その姿はまるでこの世界から魂だけがどこかへ抜け出してしまったかのようだった。


「眠夢ちゃん、どう思う?」

隣で宮野さんが囁く。

「……おかしいです。何もかも」

「同感ね。特にあの女の人。感情の起伏がまったくデータに現れない。心拍数も呼吸も入室してからほぼ一直線。まるで死んでいるみたい」


宮野さんの言葉に私は、ぞくり、とした。

死んでいる。

まさにその通りだった。彼女の瞳は美しいガラス玉のようだったが、そこには何の光も宿っていなかった。


やがて高槻がおもむろに莉奈の前に跪いた。

いよいよプロポーズが始まる。

彼はポケットからベルベットの小箱を取り出した。パカ、と開けられたその中には、目も眩むような大粒のダイヤモンドの指輪が鎮座している。


「莉奈。僕と結婚してほしい」


彼の声は甘くそして自信に満ちている。

「君を世界で一番幸せにしてみせる。欲しいものは何でも買ってやる。不自由な思いは絶対にさせない。だから僕の妻になってくれ」


完璧なプロポーズ。

完璧なシチュエーション。

完璧な指輪。

しかしその言葉は、私の心にはまったく響かなかった。

彼の言葉はすべてどこかで聞いたことのある、陳腐なドラマのセリフのように上滑りして聞こえた。


そして何よりも決定的だったのは莉奈の反応だ。

彼女は目の前で跪く男と、目の前に差し出された豪華な指輪をただ無表情で見下ろしているだけだった。

驚きも喜びも戸惑いも嫌悪さえもない。

ただ、そこには深い深い虚無があるだけだった。


「……これ、やらせですね」

私は確信を持って呟いた。

「この二人、恋人同士じゃありません」


「……私も、そう思う」

宮野さんも険しい表情で頷いた。

「でも、証拠がない。ここで私たちの憶測だけでミッションを中断するわけにはいかないわ」


その通りだ。

私たちの仕事はあくまで客観的な事実に基づいて判断を下すこと。

このまま莉奈が「はい」と答え、指輪を受け取り、二人がキスでもすれば、それは定義上「ミッションコンプリート」になってしまう。

それでいいのか?

クライアントの父親を、そして何よりも私たち自身を欺いて。


それは私の「真面目さ」が許さなかった。


私は意を決してマイクのスイッチに手を伸ばした。

「宮野さん。私に少しだけ時間をください」

「眠夢ちゃん……!?」

「大丈夫です。私、確かめたいことがあるんです」


宮野さんは一瞬ためらったようだったが、やがてこくりと頷いてくれた。

その信頼が嬉しかった。


私はマイクを握りしめ深呼吸を一つした。

そしてモニターの向こうの二人に語りかけた。

その声は自分でも驚くほど冷静だった。


「――高槻様、相川様。素晴らしいプロポーズ、感動いたしました」

まずは当たり障りのない言葉でジャブを入れる。

モニターの中の二人が驚いて天井のスピーカーを見上げた。


「お二人のその熱い愛の歴史に、わたくしどもも胸を打たれております。つきましては、一つだけお聞かせ願えないでしょうか」

私はそこで一度言葉を切った。

そして、できるだけ優しく穏やかな声で尋ねた。


「お二人が初めてデートをされた場所。その日の空の色を覚えていらっしゃいますか?」


しん、とルーム内が静まり返る。

高槻の自信に満ち溢れていた顔が、わずかに引きつったのがわかった。


空の色。

それは、データには残らない。マニュアルにも載っていない。

二人だけの記憶の中にしか存在しないもの。

もし本当に、愛し合っているのなら。その日の情景は、鮮やかに心に焼き付いているはずだ。


「……そ、空の色、だと?」

高槻が動揺した声で聞き返す。

「そんなもの、いちいち覚えているわけないだろう」


「あら、そうですか?」

私は追撃の手を緩めない。

「では、莉奈様はいかがですか? あなたにとって大切な思い出の一日だったはずです。どんな些細なことでも構いません。その日の空気の匂いは? 彼が着ていたシャツの色は?」


私は矢継ぎ早に質問を浴びせた。

それは答えを求める質問ではない。

相手を追い詰めるための質問だ。

人の心を試す、残酷な行為。

今私は、自分がとてつもな、嫌な人間になっていることを自覚していた。


「……わ、私……」

莉奈がか細い声で何かを言おうとした、その時だった。


「もう、いい!」

高槻が叫んだ。

彼は床に跪いていた姿勢から乱暴に立ち上がると、忌々しげに自分のスーツの膝を払った。

その顔からは余裕の笑みは完全に消え失せている。


「……わかったよ。降参だ。君の勝ちだ」

彼はスピーカーに向かって吐き捨てるように言った。


「ああ、そうさ。やらせだよ。この女は俺が金で雇ったただの役者だ。これで、満足か?」


その言葉にコントロールームの空気が凍りついた。

やはり、そうだったのか。


「……どういう、ことですか」

私が尋ねると、高槻は自嘲するように笑った。

「親父だよ、親父。俺が、いつまでも結婚しないから、業を煮やしてな。『恋人を紹介しろ』ってうるさいんだよ。だから、適当な女を雇って恋人のフリをさせてたってわけだ。今回のこれも親父を安心させるためのただの芝居さ」


彼はそこまで言うとポケットから財布を取り出し、数枚の万札を莉奈の足元に投げ捨てた。

「ほらよ、今日のギャラだ。ご苦労だったな」


莉奈は床に散らばった紙切れをただ無表情で見下ろしている。

その姿はあまりにも、哀れで、惨めだった。


愛を、演じる。心を、売る。

人間の、醜い、醜い、一面。

それを私はまざまざと見せつけられてしまった。


案件はもちろん「ミッション失敗」として処理された。

高槻と莉奈は一言も言葉を交わすことなく、別々に部屋を出て行った。

後に残されたのは主を失った豪華な指輪と、床に散らばった数枚の万札だけ。


「……お見事だったわね、眠夢」

ママが私の肩を叩いた。

「あんたの勝ちよ。よくやったわ」


宮野さんも「すごかったよ、眠夢ちゃん!」と手放しで褒めてくれる。

私は評価されたのだ。

「やらせ」を見抜き、会社の損失を防いだ。

プロとして正しい仕事をした。


なのに。

なのに、私の心は少しも晴れなかった。

それどころか胃の奥から酸っぱいものがこみ上げてくる。

強い吐き気。そして、激しい自己嫌悪。


私は人の心を試した。

疑い、暴き、辱めた。

それは本当に正しいことだったのだろうか。


人間観察って地獄だ。

人の心の暗くて汚い部分を覗き込み続ける。

そんなことをしていて私の心はいつまで正気でいられるのだろう。


私は二人の賞賛の声にうまく応えることができず、ふらふらと自分の席に戻った。

そしてコントロールームの片隅で、一人、蹲った。


涙が止まらなかった。

それは悲しい涙なのか、悔しい涙なのか、それともただ自分の不甲斐なさに流す涙なのか。

自分でも、もう、わからなかった。


そんな私の姿を部屋の隅からママが静かに、じっと見つめていることにも私は気づかずにいた。

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