奇妙なヤリがい
ちょっと思うとこあり、タイトル修正しました
社会人三日目の朝。
私はコントロールームの自分の席で固まっていた。
目の前のパソコンのモニターには『モニタリングシステム・スタンバイOK』の文字が青白く光っている。その光がやけに目に染みた。
「あら、どうしたのよ新入り。幽霊でも見たみたいな顔しちゃって」
背後からママの低い声が降ってくる。今日のママは金色のスパンコールが眩しいチャイナドレス姿だ。両サイドの深いスリットから覗く脚が、今日もたくましい。
「い、いえ……。心の、準備を……」
「あらそう。まあ、せいぜい頑張ることね。結、しっかり見ててあげなさいよ」
「はーい、お任せください!」
私の隣では宮野さんが完璧な笑顔でサムズアップしている。その頼もしさが今の私には唯一の救いだった。
そう。今日私は初めて『リアルタイムモニタリング』の業務に就くのだ。
過去のログデータを入力するのとはわけが違う。今この瞬間、どこかの部屋で繰り広げられている、他人のプライベートな時間をこの目で生で監視する。
考えただけで、がキリキリと痛んだ。
ピーンポーン。
無情にもお客様の来店を告げるチャイムが鳴り響く。
「はい、来たわね。本日のファーストクライアント。ルーム3号室、レベル2案件よ」
ママがリモコンを操作すると、壁の巨大モニターの一つにエントランスの映像が映し出された。
そこに立っていたのはいかにも大学生、といった雰囲気の初々しいカップルだった。二人とも少し緊張した面持ちできょろきょろと辺りを見回している。
「今回のミッションは『初めて手をつなぐ』。付き合って一ヶ月、まだ手もつなげないシャイな二人からのご依頼よ。可愛いじゃないの」
ママは面白そうに言うが私にはまったく可愛く思えなかった。
そんな人生で一度きりの甘酸っぱくて尊い瞬間をお金で買い、そして私たちのような人種に監視させるなんて。
愛に対する冒涜ではないか。
そんな考えが一瞬頭をよぎる。しかし、私はぐっとその感情を飲み込んだ。
仕事だ。これは仕事なのだ。
私は感情を殺しただの『確認者』にならなければ。
やがて別のスタッフに案内されたカップルがルーム3号室へと入室した。
部屋は明るい日差しが差し込むナチュラルテイストのインテリアで統一されている。中央には座り心地の良さそうな大きなソファが一つ。
私の手元のモニターにも3号室の映像が複数のアングルで映し出される。
同時に二人の心拍数や呼吸数を示すグラフが画面の隅でリアルタイムに波打ち始めた。
『12:32 入室確認。ロック作動』
宮野さんが冷静な声でタイムスタンプを読み上げる。
その声が業務開始のゴングのように聞こえた。
モニターの中の二人はぎこちなくソファに腰掛けている。
お互いの間には微妙な距離があった。
沈黙が重い。見ているこっちが息苦しくなるほどに。
「眠夢ちゃん、まずは二人の非言語サインを観察して。何か気づくことはある?」
隣から宮野さんが小声で囁く。
私はモニターに映る二人を食い入るように見つめた。
男性の方はしきりに自分の膝を撫でている。これは心理学でいうところの『自己親密行動』。緊張や不安を、自分で和らげようとする仕草だ。
女性の方は自分の髪の毛を指でくるくるといじっている。これも緊張の表れ。あるいは相手に自分を良く見せたいという無意識のサインかもしれない。
「……二人とも、すごく緊張しているみたいです。特に男性の方は何か話そうとしては、やめてを繰り返してて……」
「うん、良いところに気づいたね。じゃあ彼の視線はどう?」
視線。
私は男性の目の動きに注目した。
彼はちら、ちら、と女性の『手』に視線を送っている。
その視線は臆病で、でも切実な願いが込められているようだった。
「……彼女の手を見ています。ずっと」
「そう。それが彼の『意図』よ。私たちの仕事はその意図がいつどんな形で『行動』に移されるかを見極めること。そしてその結果がミッションコンプリートの定義に合致するかを客観的に判断すること」
宮野さんの説明はどこまでも冷静で分析的だ。
しかし私の心は別の方向へと動いていた。
頑張れ。
頑張れ男の子。
勇気を出して。
モニターの中の彼に私は心の中で必死にエールを送っていた。
その姿はまるで恋の成就を願うお節介な友人だ。
いけないいけない。私情を挟んでは。私はただの黒子。
頭ではわかっているのに心臓が勝手にどきどきと高鳴る。
その時だった。
男性が意を決したように、ごくりと唾を飲み込んだ。
そして、ゆっくりと本当にゆっくりと自分の手を女性の方へと伸ばしていく。
来た!
私は思わず身を乗り出した。
しかし。
彼の指先が彼女の手に触れる、まさにその寸前。
女性は、ビクッ、と肩を揺らすと咄嗟に自分の手を引っこめてしまったのだ。
「……あ」
私の口から小さな声が漏れた。
モニターの中の空気が一瞬で凍りつく。
男性は行き場を失った手をバツが悪そうに自分の膝の上に戻した。
部屋に先ほどよりもさらに重く気まずい沈黙が落ちる。
「……12:45。接触、敗。女性側に拒絶反応を確認」
宮野さんが淡々とした声で状況を記録する。
拒絶。
その一言が私の胸にグサリと突き刺さった。
違う。あれは拒絶なんかじゃない。
私にはわかった。
彼女はただ驚いて、そして恥ずかしかっただけだ。
彼女のあの時の大きく見開かれた瞳。ほんのりと赤らんだ頬。それは嫌悪のサインなんかでは断じてない。
「……待ってください」
私はほとんど無意識に口を開いていた。
「あれは拒絶じゃありません。ただの驚きと照れです」
「ほう。その根拠は?」
私の背後からいつの間にか覗き込んでいたママが面白そうに尋ねてきた。
「彼女の心拍数です」
私は、画面の隅で波打つグラフを指差した。
「手を引っこめた直後、彼女の心拍数は急上昇しています。もし本当に嫌悪感から拒絶したのであれば、心拍数は一時的に下がるか、あるいはもっと緩やかに上昇するはずです。この瞬間的なスパイクは驚きやときめきといった、ポジティブな感情の時に見られるパターンだとマニュアルに……」
そこまで言って私はハッとした。
私は自分が学んだ知識を無意識のうちに総動員していたのだ。
ただの感情論ではない。データに基づいた分析。
「……なるほどね」
ママは満足そうににやりと笑った。
「良いわ。あんたの分析を信じましょう。結、モニタリングを続けなさい」
「はい、ママ」
宮野さんが私に向かってそっとウインクして見せた。
そのサインに私は少しだけ勇気づけられる。
モニターの中では気まずい時間がまだ続いていた。
しかし状況は少しずつ変化していた。
今度は女性の方がちら、ちら、と男性の顔色を窺い始めたのだ。
その表情には「ごめんなさい」という気持ちと「もう一度きてほしい」という期待が入り混じっているように見えた。
頑張れ。
今度は女の子の方だ。
頑張れ。
私の祈りが通じたのだろうか。
彼女は意を決したように自分の手をそっとソファの上に置いた。
それは男性のすぐ隣。
まるで「どうぞ」と言わんばかりの、無言のサインだった。
そのサインに男性が気づく。
彼の顔がぱあっと明るくなった。
そして今度こそ。
彼は優しく彼女の手に自分の手をそっと重ねた。
彼女の指がピクリと震える。
でも今度は引っこめなかった。
それどころか、おずおずと彼の指に自分の指を絡ませていく。
モニターの隅で二人の心拍数が美しいハーモニーを奏でるように同調していくのが見えた。
『12:58。接触、成功。相互の同意に基づき継続的な接触を確認。ミッションコンプリート』
宮野さんの晴れやかな声がコントロールームに響き渡る。
私は全身からどっと力が抜けるのを感じた。
まるで自分がこの恋を成就させたかのような奇妙な達成感。
そしてそれと同時にとてつもない疲労感。
「……お疲れ様、眠夢ちゃん。初仕事上出来だったよ」
宮野さんが私の肩を優しく叩いてくれた。
その労いの言葉がカラカラに乾いた私の心にじんわりと染み渡っていく。
「まあまあね」
ママが腕を組みながら評価を下す。
「分析は良かったわ。でも感情移入しすぎよ。そんなんじゃあんたの心が先に壊れるわよ」
その言葉は厳しくそして的確だった。
そうだ。私は喜びすぎている。
これはただの仕事。他人の人生のほんの一コマ。
いちいちこんなに心を揺さぶられていては身が持たない。
でも。
でも、私は感じてしまっていた。
自分のあの一言が。
「待ってください」というあの一言が。
確かに二人の未来を、ほんの少しだけ良い方向に動かしたのかもしれない、というおこがましくも確かな手応えを。
私の観察眼が。私の分析が。
誰かの心を後押しする力になる。
それは恐ろしいことであると同時に、とてつもなくやりがいのあることなのかもしれない。
社会不適合者でどこにも居場所がなかった私。
そんな私でも誰かの役に立てるのかもしれない。
この異常で倒錯した秘密の部屋でなら。
私はぐったりと椅子の背もたれに体を預けた。
窓の外はいつの間にか夕暮れのオレンジ色に染まり始めていた。
社会人三日目にして私は初めてこの仕事に対する、奇妙な『やりがい』のようなものを感じていた。




