表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「なかよし」〜コンドームちゃんと奇妙な職場〜  作者: 片山アツシ
「セッ〇スしないと出られない部屋って何!?」
4/41

セッ〇スしないと出られない部屋って何!?

社会人一日目の夜。

私は、築30年の我が城――もとい、ワンルームアパートの固いベッドの上で、死んだように天井を見つめていた。


体は、鉛のように重い。

頭は、沸騰したヤカンのようにガンガンと痛む。

初日の業務で目の当たりにした、あの生々しい感情のぶつかり合い。他人の恋愛の修羅場を、特等席で、しかも高画質・高音質で鑑賞するという行為は、私の貧弱な精神をすり潰すには十分すぎる威力を持っていた。


「……プロ、か」


ママに言われた言葉が、耳の奥で木霊する。

『あんた、もうプロよ』

それは、褒め言葉だったのだろうか。それとも、皮肉だったのか。

マニュアルを無視した私への、最大限の評価であり、同時に、この異常な世界へ引きずり込むための、呪いの言葉のようにも思えた。


月給30万。社会保険完備。

その甘い蜜の代償は、他人の心を覗き見るという、神をも恐れぬ所業。

私はとんでもない会社に就職してしまった。

その事実だけが、ずしりと重い現実として私の肩にのしかかっていた。


何度も、辞めようと思った。

今すぐママに電話して、「やっぱり私には無理です」と伝えようか。

でも、そのたびに、私の脳裏をよぎるのは、30通を超える不採用通知の山と、面接官たちの冷たい視線だ。


『君と一緒に働いているイメージが、どうしても湧かないんだよ』


社会から「いらない」と宣告された私。

そんな私を、「光るわよ」と言って拾ってくれたのは、ママだけだった。

私にはもう、帰る場所も、選ぶ道も、残されていない。

このわけのわからない「なかよしルーム」で生きていくしかないのだ。


「……はぁ」


ため息と一緒に、諦めにも似た感情が、どろりと体から流れ出ていく。

私は重たい体を無理やり起こすとコンビニで買ってきた安物のカップスープにお湯を注いだ。社会人初日のディナーがこれというのもなんだか侘しい。


ズズズ、と味のしないスープをすすりながら、私は決意を固めた。

もう、迷わない。

腹を括るしかない。

近藤眠夢、二十一歳。今日から私は、他人の「なかよし」を監視する、プロのコンシェルジュだ。

そう自分に言い聞かせると、不思議と少しだけ、心が軽くなったような気がした。



翌日。

重い足取りで、昨日と同じ豪華な建物の前に立つ。

昨日とは違い、通用口のような場所から入るように指示されていた。重い鉄の扉を開けると、そこは殺風景なコンクリートの通路になっており、奥に一台のエレベーターが静かに佇んでいた。


エレベーターに乗り込み、『オフィスフロア』と書かれたボタンを押す。

滑るように上昇していく箱の中で、私は自分の顔がこわばっているのを鏡に映る姿で確認した。

笑えない。

これからどんな現実を突きつけられるのか。期待よりも不安の方が遥かに大きかった。


チーン、と軽快な音とともに扉が開く。

目の前に広がっていたのは、昨日と同じ無機質なコントロールームだった。


「おはよう、新入り。寝坊助かと思ったわよ」


すでに到着していたママが、会議テーブルにふんぞり返って、私を迎えた。

今日のママは紫色のラメが入った体にぴったりとフィットするドレス姿だ。頭には孔雀の羽のような巨大な飾りがついている。相変わらず、情報量が多い。


「おはようございます、ママ」

「おはよう、眠夢ちゃん! 今日も一日、がんばろーね!」


私の隣から、ひょこりと顔を出したのは、同期の宮野さんだった。

今日の彼女は、清楚な白いブラウスに、流行りのロングスカートという出で立ち。昨日とはまた違う、清純派お姉さんといった雰囲気だ。この人は、毎日違うキャラクターを演じているのだろうか。


部屋の隅では、蛇田さんが、昨日と同じように、黙々と掃除用具の手入れをしていた。

私が「おはようございます」と声をかけると、彼は無言のまま、こくりと頷いて見せた。相変わらずの鉄壁ぶりだ。


「さて、と」

ママが、パン、と手を叩いた。

その音にコントロールームの空気がピリッと引き締まる。


「今日は新入りに、この『なかよしルーム』の神髄をみっちり叩き込んであげるわ。結、マニュアルの準備はできてるでしょうね?」

「はい、ママ! 完璧です!」


宮野さんがテーブルの上に昨日見たものよりもさらに分厚いファイルを置いた。

表紙には金色の文字で、こう書かれている。


『業務マニュアル【極秘・レベル5案件対応編】』


レベル5?

昨日のプロポーズ大作戦は、たしか「レベル2」くらいだったはずだ。

その上があるのか。しかも、極秘。

嫌な予感しかしない。


「眠夢ちゃん、こっち座って」

宮野さんに促され、私はママの正面の席に座った。

目の前に置かれたマニュアルからは、なんだか、禍々しいオーラが出ているようにさえ感じられた。


「いい? 私たちの仕事は、お客様の『なかよし』を確認すること。それは、昨日、嫌というほど味わったわね」

ママの言葉に、私はこくりと頷く。

あの胃が痛くなるような光景は、もう二度と見たくない。


「そして、その『なかよし』にはレベルがある。私たちのビジネスの根幹だから、しっかり頭に叩き込みなさい」


ママはそう言うと、コントロールームの巨大モニターの一つをリモコンで操作した。

モニターに図解が表示される。


【なかよし確認行為レベル分類】


レベル1:会話


指定されたテーマについて、一定時間以上、建設的な対話を行う。


例:『二人の将来設計について』『お互いの価値観のすり合わせ』


レベル2:スキンシップ(軽度)


手をつなぐ、ハグをする、など。


愛情のこもった接触が、一定時間継続されること。


レベル3:スキンシップ(中度)


口づけ、キス。


情熱的かつ、相互の同意に基づいていることが明確であること。


レベル4:相互理解の表明


プロポーズの受諾、謝罪の受け入れ、感謝の表明など。


明確な言語による意思表示と、それに伴う感情の発露が確認されること。


「……ここまでが、昨日あんたが経験した世界よ。いわば、プラトニックな『なかよし』の領域ね」

ママは細長いタバコに火をつけながら説明を続ける。


確かにここまでは理解できる。

昨日のカップルは最終的にレベル4には至らなかったが、レベル1の対話を経て、ある種の相互理解に達したと言えるのかもしれない。


「そして……」

ママは紫煙をゆっくりと吐き出すと、リモコンのボタンをもう一度押した。

モニターに新しい項目が赤く点滅しながら表示される。


レベル5:スキンシップ(高度)


性交渉。


相互の同意と悦びに基づいた、肉体的な結合が確認されること。


「………………は?」


私の口から、間抜けな声が漏れた。

せ、性交渉……?


つまり、なんだ。

いわゆる、その……せ、セックス、ということか。


「そ、れを……『確認』する、と……?」

声が、震える。

「そういうことよ」


ママはこともなげに言い放った。

その瞬間私の頭の中で何かが、ぷつりと切れる音がした。


「そ、それって……! それって、ただの、覗きじゃないですか!!」


私は思わず立ち上がって叫んでいた。

椅子が、ガタン、と大きな音を立てて後ろに倒れる。


「カップルが、その……そういうことをするのを、このモニターで、じっと見るってことですか!? そんなの、絶対におかしいです! 愛の確認だなんて、そんなの、ただの言い訳じゃないですか!」


私の剣幕に宮野さんが「ま、まあまあ、眠夢ちゃん、落ち着いて……」と慌てて私をなだめようとする。

しかし、私の興奮は収まらない。


「倫理的に許されることじゃありません! 人として超えてはいけない一線です! 私、そんな仕事、絶対にできません!」


息も絶え絶えにそこまで言い切った私を、ママはただ静かに見つめていた。

その目は怒っているようでもなく、呆れているようでもない。まるで嵐が過ぎ去るのを待つ老木のようにどっしりと構えている。


やがて私が肩で息をするのを見届けるとママはゆっくりと口を開いた。


「……座りなさい、新入り」


その声は低く静かだったが、逆らうことを許さない絶対的な響きを持っていた。

私はまるで操り人形のように宮野さんが直してくれた椅子に、すとんと座り込んだ。


「あんたの言うことはもっともよ。普通の倫理観を持っていればそう思うのが当然だわ」

ママは一度言葉を切った。

「でもね、世の中にはあんたのその『普通』が通用しない世界があるのよ」


「……どういう、ことですか」

「私たちの『レベル5』を依頼してくるお客様が、いったいどういう人たちか想像したことはある?」


お客様……。

私は想像してみる。

一体どんな人がお金を払ってまで、自分たちの性行為を監視されようとするのか。

変態? 露出狂?

そんな歪んだ欲望しか思い浮かばなかった。


「違うわよ」

ママは私の考えをまたしても見透かしたように首を振った。


「例えば……結婚して10年、子供にも恵まれたけど、もう5年以上夫婦の営みがない。夫は妻を女として見られなくなってしまった。妻は女としての自信を完全に失ってしまった。でもお互いまだ愛はある。もう一度、あの頃のように求め合いたい。でも、どうすればいいのかわからない……」


ママの声はまるでその夫婦の魂が乗り移ったかのように、切実な響きを帯びていた。


「例えば……あるトラウマが原因で男性に体を許すことができなくなってしまった女性がいる。彼女を心から愛している彼氏は何年でも待つつもりでいる。でも彼女自身がそんな自分を許せない。『このままじゃ彼を不幸にしてしまう』と、自分を責め続けている……」


「例えば……仕事のプレッシャーで不能になってしまったエリートサラリーマン。プライドが邪魔をして病院にも行けない。妻に申し訳なくて、毎晩、書斎で一人、ため息をついている……」


ママが語るいくつかのケース。

それは私が想像していたような、単純な変態性欲の世界ではなかった。

そこにあるのは誰にも言えない切実で、深刻な、魂の叫びだった。


「私たちはそういう袋小路に入ってしまった人たちのための『最後の砦』なのよ」

ママはタバコの火を灰皿に押し付けた。


「セックスはただの快楽じゃない。それは言葉を超えた究極のコミュニケーションよ。相手を受け入れ、自分をさらけ出す、最も原始的で、最も神聖な儀式。それができなくなった時、人と人との繋がりは脆くも崩れ去っていくことがある」


「……」

私は何も言い返せなかった。

ママの言葉は、重く、鋭く、私の胸に突き刺さる。


「私たちは医者じゃない。薬も処方できない。でも、最高の『環境』を提供することはできる」

ママは立ち上がるとコントロールームの窓際に立った。

窓の外には昨日見た美しい庭園が広がっている。


「日常から切り離された特別な空間。誰にも邪魔されない、二人だけの時間。そして……『セックスしないと出られない』という、強制的な状況設定。それが彼らの心のブレーキを外し、最後の引き金を引くきっかけになることがあるのよ」


「……でも、それを監視するなんて……」

「監視じゃないわ『見守る』のよ」


ママは、きっぱりと言い放った。

「私たちは彼らがお互いを傷つけないか、無理強いをしていないか、本当に心から結び合えているのかを見守る。そしてその神聖な儀式が最高の形で執り行われるよう、照明や音楽や室温を、完璧にコントロールする。それが私たちのプロの仕事よ」


「綺麗事だけじゃ人の本性は見えない。愛も、憎しみも、欲望も、嫉妬も、全部ひっくるめて人間なのよ。私たちはそこから目を逸らさない。あんたにその覚悟はある?」


ママの問いが私の心に、重く、重く、のしかかる。

覚悟。

私にそんなものあるのだろうか。


「……私には、無理です」

絞り出すように、声を出す。

「私にはそんな資格ありません。人の、そんな、プライベートな領域に踏み込む資格なんて……」


「資格なんて、誰にもないわよ」

ママは、フン、と鼻を鳴らした。

「でも、仕事なの。金をもらって責任を負う。それだけよ。あんたがここで働くって決めたんでしょ。だったらやるしかないのよ」


正論だった。

反論の余地もない、完璧な正論。

私は、この会社と雇用契約を結んだ。

月給30万という対価を受け取る代わりに、会社の業務命令に従う義務がある。

そこには私の感情や、倫理観が入り込む隙間など本来存在しないのだ。


どん底の今の自分に、拒否権はない。

昨日、あれほど自分に言い聞かせたはずなのに。

私はこの仕事の持つ本当の重さをまったく理解していなかった。


社会から弾き出された私が、ようやく見つけた就職先。

それは、他人の最も神聖で、最もプライベートな営みをガラス越しに覗き見る仕事だった。

なんて皮肉なのだろう。

まるで出来の悪いブラックジョークだ。


「……わかり、ました」

私は観念してそう答えるしかなかった。

「やります。それが私の仕事なんですから」


そう口にした瞬間、全身から力が抜けていくのを感じた。

諦めという名の重い鎧を身にまとったような気分だった。


「ふふっ、やっと腹が括れたみたいね」

ママは満足そうに頷くと私の肩を、ぽん、と叩いた。

その手は相変わらず大きくてゴツゴツしていた。


「大丈夫よ、眠夢ちゃん」

いつの間にか隣に来ていた宮野さんが、私の手を、そっと握ってくれた。

「最初はみんなそうだよ。でも慣れるから。それに私たちが見ているのは、行為そのものじゃない。そこに流れる『感情』なんだって、すぐにわかるようになるよ」


その笑顔はどこまでも優しくて、でも、その瞳の奥には全てを受け入れた者の静かな強さが宿っていた。


私はこの異常な職場で本当にやっていけるのだろうか。

私の「真面目さ」はここで一体何の役に立つのだろうか。


答えは、まだ見えない。

ただ目の前には分厚い『レベル5案件対応編』のマニュアルがその黒い口を開けて私を待っている。


私の本当の意味での社会人生活は、どうやら今日この瞬間から始まるらしかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ