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「なかよし」〜コンドームちゃんと奇妙な職場〜  作者: 片山アツシ
なかよしルームへようこそ!〜庭の日常と、庭師たちの秘密〜
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庭師の休日と、秘密の温室

その日私は生まれて初めて「デート」というものに臨んでいた。相手はインテリアデザイナーの橘蒼太さん。『余白の庭』プロジェクトを通して仕事のパートナーとして、そして一人の男性として私の心を静かにしかし確かに揺さぶり続けている人。彼からの「僕とあなたのための庭を探しに行きませんか」という不器用で誠実な誘いを私は断ることができなかった。


待ち合わせ場所に現れた橘さんはいつもの仕事着であるくたびれたジャケットではなく、シンプルな白いシャツに柔らかな素材のカーディガンを羽織っていた。そのリラックスした佇まいに私の心臓が少しだけ大きな音を立てる。

「おはようございます、近藤さん。……その服、すごく似合ってますね」

彼はそう言って少し照れたように笑った。その一言だけで昨夜鏡の前で三時間も悩んだ甲斐があったと思えた。


彼が私を連れてきてくれたのは都心から少し離れた郊外にある広大な植物園だった。ガラス張りの巨大なドームを抜けるとそこには私たちの知らない世界の空気が流れていた。甘い花の匂い、湿った土の匂い、そして生命が放つ青々とした匂い。その全てがコントロールームの無機質な空気とは対極にある温かい混沌に満ちていた。


「すごい……」

思わず感嘆の声が漏れる。

「ここは僕のお気に入りの場所なんです」

橘さんは嬉しそうに言った。

「デザインに行き詰まった時とか頭を空っぽにしたい時によくここに来るんです。植物ってすごいんですよ。彼らは人間の都合なんてお構いなしにただ生きるために最も合理的で美しい形をしている。見てください、あのシダの葉の広がり方。あれは『フラクタル構造』といって自己相似性のパターンが無限に繰り返されているんです。完璧なデザインだと思いませんか?」


彼は仕事の時とはまた違う子供のような無邪気な顔で植物の魅力について語る。その情熱的な横顔を見ているだけで私の心は温かい陽だまりの中にいるような気分になった。彼はただ美しいものを美しいと感じられる素直な心を持っている人なのだ。


私たちは他愛もない話をしながら園内を散策した。色とりどりのバラが咲き誇る庭園、巨大な蓮の葉が浮かぶ池。その一つ一つが新鮮な驚きと発見に満ちていた。仕事のことを忘れ、ただの近藤眠夢として笑っている自分が少しだけ不思議だった。


そんな穏やかな時間が流れていたその時、私たちは園内の少し人里離れたベンチに座る一人の男の姿を見つけた。その背中には見覚えがあった。短く刈り込まれた髪、鍛え上げられた広い背中。間違いない、蛇田さんだった。


「え、蛇田さん!?」

私が驚いて声をかけると彼はビクッと肩を揺らしゆっくりとこちらを振り返った。その手にはモップではなく一冊のスケッチブックと鉛筆が握られている。彼の休日の意外な姿に私と橘さんは目を丸くした。


「……室長。……橘さんも」

蛇田さんはバツが悪そうに顔をしかめた。

「……何の用だ」

「いえ何の用って……。蛇田さんこそここで何を?」

私が尋ねると彼はためらうように自分のスケッチブックを隠そうとした。しかし橘さんが好奇心に満ちた目でそれを覗き込んだ。

「わあ、すごい! 蛇田さん、絵お上手なんですね!」


スケッチブックに描かれていたのは驚くほど精密で写実的な植物の絵だった。葉脈の一本一本、花びらの繊細なグラデーションまで完璧に再現されている。それはもはや趣味の域を超えた植物図鑑のようなクオリティだった。


「……別にたいしたことじゃない」

蛇田さんはぶっきらぼうに言いながらもその耳は少しだけ赤くなっている。彼は照れ隠しのように一枚のスケッチを私たちに見せた。そこに描かれていたのは妖しい魅力を持つ食虫植物ウツボカズラだった。


「……こいつは獲物が来るのをただ静かに待つ」

彼はぽつりと呟いた。

「甘い蜜で誘い込み一度中に入れば二度と出られない。その罠の構造は完璧に計算されている。……仕事と同じだ」

彼のその独特の美学。それは彼の過去とプロフェッショナルとしての矜持が凝縮された言葉だった。私と橘さんは顔を見合わせ感心したように頷いた。この寡黙な男の内側にもこんなにも豊かで複雑な庭が広がっていたのだ。


蛇田さんと別れた後、私たちは園の一番奥にある古い温室へと向かった。錆び付いた鉄の扉を開けるとむわりと湿った甘い空気が私たちを包み込んだ。そこはまるで時が止まったかのような秘密の楽園だった。天井まで届きそうな巨大なシダ植物、見たこともない極彩色の花々、そして埃をかぶったガラス窓から差し込む午後の光がキラキラと乱反射して幻想的な空間を作り出していた。


私たちは言葉もなくその忘れられた楽園を彷徨った。やがて一番日当たりの良い場所に置かれた古いベンチに腰を下ろす。夕日がガラス窓を通して差し込み私たちの顔をオレンジ色に染めていた。


「……あの、近藤さん」

沈黙を破ったのは橘さんだった。彼は改まって私の方に向き直った。その顔はいつになく真剣だった。

「近藤さん。僕はあなたの仕事ぶりを見ていてずっと思っていました。あなたはいつも誰かの心の庭を手入れして美しい花を咲かせている」

「……そんな大したことじゃありません」

「いいえ大したことです。……だから僕も知りたい。あなたの心の庭がどんな場所なのか。そこにどんな花が咲いてどんな秘密が隠されているのか」


彼のその言葉はあまりにもまっすぐで私の心の一番柔らかい場所に届いた。彼は続けた。

「……僕をあなたの庭に入れてもらえませんか」


それは彼の不器用でそして何よりも誠実な告白だった。私の顔がカッと熱くなる。心臓が痛いほど速く脈打っている。でも不思議と嫌じゃなかった。それどころか心の奥底から温かい何かが込み上げてくる。


私は俯きながらも精一杯の勇気を出して顔を上げ、彼の真剣な瞳を見つめ返して微笑んだ。

「……はい。ようこそ、私の庭へ」


その一言が私たちの新しい物語の始まりの合図だった。なかよしルームという奇妙な職場だけでなく私たちの日常の中にもそれぞれの豊かで美しい庭が存在している。そして今日私はその私の秘密の庭に大切な人を招き入れることができたのだ。その幸福感を胸に私はそっと彼の手に自分の手を重ねた。

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