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「なかよし」〜コンドームちゃんと奇妙な職場〜  作者: 片山アツシ
なかよしルームへようこそ!〜庭の日常と、庭師たちの秘密〜
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セックスしないと出られない部屋、再び

その日コントロールームの空気は朝から張り詰めていた。モニターに表示された一件の新規予約。そこに記された『レベル5』の赤い文字が私たちの心を静かにしかし確実に蝕んでいた。セックスしないと出られない部屋。この職場の最も深くそして暗い聖域。その扉が今日開かれる。


依頼者として事前に一人で訪れたのは一条靜いちじょうしずかと名乗る美しい女性だった。年の頃は四十代前半だろうか。寸分の隙もなく着こなした上質なシルクのワンピース。完璧に整えられた髪と化粧。その全てが彼女が上流階級の人間であることを物語っていた。しかしその完璧な美貌の下に彼女は深い氷河のような孤独を隠していた。


「夫とはもう十年以上肌を重ねていません」

彼女の声はまるでガラス細工のように静かで感情がなかった。

「世間では理想の夫婦だと思われています。夫は大企業の社長。私はその妻。私たちはお互いにその役割を完璧に演じてきました。……でももう限界なんです」


彼女の夫、一条蓮いちじょうれん。社会的地位と名誉を何よりも重んじる男。二人の間にはもう愛も情熱もなく、ただ冷たい契約と体裁だけが横たわっている。


「離婚を切り出す前に最後に一度だけ夫と肌を重ねたいのです」

彼女はまっすぐにママを見つめて言った。

「それが私たちの関係に本当に何も残っていないのかを確かめる最後の儀式だから。……言葉はもう信じられない。信じられるのは肌の記憶だけです」


そのあまりにも切実で悲しい願いにママはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。そしてこの極めてデリケートな案件のメイン担当として私を指名したのだ。


「眠夢。あんたがやりなさい」

「……私がですか?」

「ええ。これはただの覗き見じゃないわ。一つの魂が救いを求めている。尋問官でもカウンセラーでもない今のあんた……『庭師』としての力が試されるわよ」


ママのその言葉は重い信頼の証だった。私は腹を括った。初めて担当するレベル5案件。人間の最も原始的で神聖な領域に私は足を踏み入れるのだ。


ブリーフィングの席でママは私に一つだけアドバイスをくれた。

「いい? 眠夢。見るんじゃないわ『感じる』のよ。理屈は捨てなさい。あんたの五感の全てを使って彼らの魂の声を聞きなさい」


その言葉を胸に刻み私はこの案件のための庭をデザインした。華美な装飾は一切排除する。ただエジプト綿の最高級のリネンと肌を柔らかく照らし出す間接照明だけ。そこは快楽のための部屋ではない。二つの魂が裸で向き合うための神殿でなければならなかった。



夕刻、一条蓮と靜がルームに入ってきた。蓮はいかにもエリートといった風格の男だった。高価なスーツを身に纏いその表情にはかすかな苛立ちと侮蔑の色が浮かんでいる。

「……馬鹿げた茶番だ」

彼は吐き捨てるように言った。

「君は一体何を考えているんだ。こんな場所に大金を払って」

「……あなたにはわからないでしょうね」

靜は冷たく応じる。

「あなたが失くしてしまったものの価値が」


二人の会話はそれきり途絶えた。彼らは部屋の両端に離れて立ちお互いを見ようともしない。ただ重い沈黙だけが二人を支配する。それは十年という長い歳月が積み重ねた心の距離だった。


私は介入しなかった。ママの言葉を思い出す。『感じるのよ』。私はただじっと待った。この静寂が二人の分厚い仮面を溶かしてくれるのを。


どれくらいの時間が経っただろうか。先に沈黙を破ったのは蓮だった。

「……なぜ今更こんなことを」

その声には苛立ちではなく純粋な戸惑いが滲んでいた。

「……私たちにはもう何もないはずだ」


靜はゆっくりと彼の方を振り返った。その瞳は深くそして悲しげだった。

「……あなたに触れてほしかったから」

彼女は静かに告白した。

「言葉だけではもう何も信じられないから。あなたが口にする優しい言葉も世間向けの笑顔も全部嘘に聞こえるから。……だから確かめたかった。あなたの肌がまだ私を憶えているのかを」


そのあまりにも無防備な言葉に蓮の肩が微かに揺れた。彼の鉄壁の鎧に初めて小さな亀裂が入った瞬間だった。


靜はゆっくりと自分のワンピースの肩紐に手をかけた。シルクの布地が滑り落ち彼女の白い肌があらわになる。その姿は挑発的ではなかった。ただあまりにも無防備でそして神聖だった。彼女は自分の全てを差し出すことで最後の問いを投げかけているのだ。


蓮はしばらくその光景をただ見つめていた。やがて彼はため息とも嗚咽ともつかない息を漏らすと、おそるおそる彼女の元へと歩み寄った。そして震える指先で彼女の肩にそっと触れた。


その瞬間、二人の間に見えない電気が走ったのを私は感じた。それは十年という長い冬を越えて初めて触れ合う肌の記憶。言葉や理屈を超えて体が魂が思い出したかつての愛情の感触。


蓮の指がゆっくりと彼女の肌の上を滑っていく。それは所有者のそれではなく失われた宝物を確かめるようなあまりにも優しい手つきだった。靜の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。彼女の体は小さく震えていたがそれは拒絶の震えではなかった。


コントロールームでその光景を見つめていた私はいつの間にか息をするのも忘れていた。そこにいやらしさは微塵もなかった。私が見ていたのはセックスではない。二つの孤独な魂が肉体という最後の言語を使って必死に対話し赦し合い、そして繋がり直そうとするあまりにも切実で神聖な儀式だった。


長年溜め込んできた寂しさが堰を切ったように溢れ出す。伝えられなかった感謝が後悔が、そしてまだ消えずに残っていた愛が肌と肌を通して奔流のように流れ込んでいく。それはどんな雄弁な言葉よりも確かに二人の真実を語っていた。



夜が明ける頃、ミッションは静かにコンプリートされた。ルームから出てきた二人は別人のように穏やかな顔をしていた。彼らが元の鞘に収まるのかそれとも別々の道を歩むのか。それはわからない。でも彼らは確かにあの部屋で失われた何かを取り戻したのだ。仮面を脱ぎ捨て本当の自分として再び向き合うための「きっかけ」を。


一人コントロールームに残った私はまだ胸の高鳴りが収まらないのを感じていた。肉体的な繋がりが時にどんな言葉よりも雄弁に真実を語る。その圧倒的な事実を私は目の当たりにした。それは私の人間関係に対する価値観を根底から揺さぶる体験だった。


愛とは性別や形ではない。二つの魂がどうしようもなく惹かれ合い求め合う純粋な熱情そのもの。その神聖でそして少しだけ危険な領域に触れてしまった私は、庭師としてまた一つ新しいそしてあまりにも深い扉を開けてしまったのかもしれない。その扉の向こうに何が待っているのか。今の私にはまだ知る由もなかった。

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