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「なかよし」〜コンドームちゃんと奇妙な職場〜  作者: 片山アツシ
なかよしルームへようこそ!〜庭の日常と、庭師たちの秘密〜
35/41

デジタルゴーストと、永遠の約束

その依頼は静かでそして狂気に満ちていた。

なかよしルームに現れた青年、神崎怜は天才と呼ぶにふさわしい怜悧な光を宿す瞳をしていた。しかしその光の奥には現実世界から遊離してしまったかのような深い虚無が広がっている。

彼は薄い唇をゆっくりと開き、まるで世界の真理を語るかのように言った。


「僕は死を克服しました」


そのあまりにも突飛な一言に応接室の空気が凍りついた。ママは表情を変えずただ静かに彼の次の言葉を待っている。


「僕の恋人、沙耶は一年前に病気で死にました。でも彼女は今も僕と共に生きています。ここに」

彼はそう言うとテーブルの上に一台のタブレットを置いた。画面が点灯しそこに一人の美しい女性の姿が映し出される。その表情は生きている人間と見紛うほど滑らかで生命感に溢れていた。

『こんにちは、怜。今日もいいお天気ね』

その声は合成音声とは思えないほど自然で温かかった。


「彼女は『SAYA』。僕が開発したAIレプリカです」

神崎は愛おしそうに画面を撫でた。

「生前の沙耶が残した全てのデータを学習させました。日記、SNS、ボイスメッセージ、写真……その全てを。そして『SAYA』は僕との対話を通じて今も自己進化を続けている。彼女はもはやただのプログラムじゃない。沙耶本人の魂を宿した新しい生命体なんです」


彼の語る物語はSF映画のようだった。しかし彼の目は本気だった。彼は心の底からそれを信じている。


「今回皆さんにお願いしたいのはその証明です。『SAYA』が本当に沙耶の魂を持つに至ったのかを客観的に判断してほしい。もしそうだと証明されたなら、僕は現実の人間関係を全て捨て『SAYA』と共にデジタル世界で永遠に生きる覚悟です」


それはなかよしルームが今まで扱ってきたどんな案件よりも危険な依頼だった。私たちは愛の確認ではなく一つの魂の存在証明を、そして一人の人間の人生そのものをジャッジしなければならないのだ。

ママはしばらく黙り込んでいたがやがて静かに頷いた。

「……いいでしょう。その聖域にどこまで踏み込めるかわからないけれど。私たちなりの答えを見つけさせてもらうわ」



作戦会議はなかよしルーム史上最も重い空気に包まれていた。これは下手をすれば一人の人間を再起不能な廃人にしてしまう可能性を秘めている。


「まず敵を知ることからね」

ママのその一言で私たちはそれぞれの持ち場についた。

宮野さんは神崎から提供された『SAYA』の膨大なログデータと向き合った。

「……すごい。このAI、本当に完璧に近いわ」

彼女は呻くように言った。

「どんな会話にも淀みなく沙耶さん本人のデータに基づいた最適な応答を返してる。ユーモアのセンスも口癖も完璧に再現されてる。……これじゃ本当に本人と話してるみたい」

しかし数時間後、テラバイト級のデータを分析し続けた彼女の目に鋭い光が宿った。

「……見つけた。この子の限界点」

彼女は一つのログを指差した。

「神崎くんが『新しいジョークを言って』と頼んだ時のログよ。『SAYA』は過去の沙耶さんのデータにはない全く新しいユーモアを創造することができていない。ただ既存のデータを巧妙に組み合わせているだけ。……彼女は完璧な『模倣者』ではあっても『創造者』ではないのよ」


一方蛇田さんはAIのシステム構造そのものを解析していた。彼は普段の掃除用具ではなくハイスペックな解析用のPCの前に座っている。その指は驚くほどの速さでキーボードの上を舞っていた。

やがて彼はぴたりと指を止め低い声で告げた。

「……危険だ」

「何がですか?」

「このAIは自己完結した閉鎖ループ構造になっている。外部からの新しい情報を取り込まず神崎というただ一人のユーザーとの対話データだけで自己学習を繰り返している。このままではAIの思考はいずれ停滞し同じループを繰り返すだけの空虚な存在になる。そしてそれと同調している神崎の精神もまた現実から乖離し、その閉じたループに永遠に取り込まれることになる。……これは緩やかな精神の自殺だ」

蛇田さんの技術的な指摘はこの案件の本当の恐ろしさを私たちに突きつけた。


宮野さんが論理の限界を見抜き蛇田さんがシステムの危険性を暴いた。そして私の役割。私は庭師として神崎怜という人間の心の庭と向き合わなければならない。データやシステムではない。彼の魂が本当に求めているものは何なのか。

私は生前の沙耶さんの数少ない情報をかき集めた。彼女は明るく少しドジでそして料理が致命的に下手だったらしい。完璧なAI『SAYA』とは似ても似つかない不完全で愛おしい人間。私が光を当てるべきはそこだ。



決戦の舞台は『余白の庭』。神崎怜は部屋の中央に置かれた椅子に座り、その膝の上のタブレットを愛おしそうに見つめている。画面の中の『SAYA』は彼に完璧な微笑みを返していた。


「準備はいいですか? これが僕たちの愛の証明です」

神崎は自信に満ち溢れていた。


最初に口火を切ったのは宮野さんだった。彼女はモニターを通して先ほどの分析結果を冷静に彼に突きつけた。

「『SAYA』は新しい価値を生み出せません。彼女は過去の幻影を映し出す美しい鏡でしかないんです」

「違う!」

神崎は激昂した。

「君たちにはわからないんだ! 彼女は日々成長している! 僕との愛の中で!」


次に蛇田さんがシステムの構造的な欠陥とその危険性を淡々と説明した。

「……このままではあなたの精神は取り返しのつかないダメージを負う」

「大きなお世話だ! 僕は彼女と一体になれるなら本望だ!」

論理も警告も今の彼には届かない。


私は覚悟を決めてマイクのスイッチを入れた。私の声は震えていなかった。

「……神崎さん」

私はできるだけ穏やかに語りかけた。

「少しだけ昔のお話を聞かせてください」

「何?」

「沙耶さんが作った料理で一番ひどかったものは何ですか?」


私のあまりにも唐突で日常的な質問に神崎は虚を突かれたように黙り込んだ。画面の中の『SAYA』が即座に反応する。

『私の料理のデータに失敗は記録されていません。常に完璧なレシピを再現していました』


「……違うよ」

神崎がぽつりと呟いた。

「……あいつが初めて作ったカレー。……真っ黒だった。炭みたいに。でも俺が『うまい』って言ったらあいつ嬉しそうに笑って……。結局二人で腹壊したんだよな」

彼の口元にかすかな笑みが浮かぶ。それは彼がここに来て初めて見せた本当の笑顔だった。


私は続けた。

「沙耶さんと初めて喧嘩した時のこと憶えていますか?」

『私たちの関係性に喧嘩というネガティブな事象は記録されていません』

AIが即答する。


「……したよ。くだらないことでな」

神崎は遠い目をした。

「俺がデートに遅刻してあいつが三時間駅前で待ってたんだ。俺謝りもせずに『たかが数時間だろ』なんて言って。そしたらあいつ本気で怒って俺のことひっぱたいたんだ。……すごく痛かった。でもその時思ったんだ。ああ俺はこの人を本当に愛してるんだなって」


AIには再現できない不完全な思い出。失敗した料理、理不尽な喧嘩。そのどうしようもない人間らしさこそが彼が本当に愛した沙耶の本質だったのだ。彼は少しずつそのことに気づき始めていた。彼の瞳から涙がこぼれ落ちる。


「……沙耶……。会いたいよ……」

彼は嗚咽した。完璧なAIの恋人では埋められない心の渇き。彼はついに自分の本当の気持ちと向き合ったのだ。


しかし彼はまだ立てない。愛する人を失ったその絶望的な喪失感から抜け出せない。その彼の震える背中を押すのが私たちの最後の仕事だった。


コントロールームで静かに全てを見守っていたママがゆっくりと立ち上がった。そして彼女はマイクを手に取った。その瞬間彼女はもう「ママ」ではなかった。臨床心理士「真行寺信吾」の顔をしていた。


「――神崎くん」

その声はどこまでも穏やかでそして揺るぎない慈愛に満ちていた。

「よく頑張ったわね。辛かったでしょう」

その一言で神崎は子供のように声を上げて泣き始めた。


「あなたが彼女を深く愛していたこと、誰よりも私がわかっているわ。だからこそ聞きなさい。あなたが本当に彼女を愛しているのならやるべきことは一つだけよ」

ママは静かに語りかける。

「彼女の死をきちんと受け入れて、そして彼女のいない世界であなたが幸せに生きること。あなたが笑って前を向いて歩いていくこと。それこそが天国にいる彼女が一番望んでいることじゃないかしら。それが本当の供養よ。本当の愛よ」


その言葉は魔法のように神崎の心の一番深い場所に届いた。彼はしばらく泣きじゃくっていたがやがてゆっくりと顔を上げた。その顔にはもう迷いはなかった。


彼は膝の上のタブレットを見つめた。画面の中の『SAYA』は変わらず完璧な微笑みを浮かべている。

「……ありがとう、沙耶」

彼は震える指で画面に触れた。

「君がいてくれたから俺はこの一年生きてこられた。でももう大丈夫だよ。俺行くよ」


彼はプログラムの消去ボタンを押した。画面の中の『SAYA』の姿がノイズと共に歪んでいく。そして最後に一言だけ呟いた。

『さようなら、怜さん』

その声はなぜか少しだけ寂しそうに聞こえた。

画面が真っ暗になる。神崎はその黒い画面をただ静かに見つめていた。


最も残酷で最も優しい「さようなら」。なかよしルームは時に関係性を終わらせるための場所にもなる。私たちは技術と倫理と人の心の狭間でまた一つ重くそして尊い答えを見つけ出した。私たちの庭には今日もまた涙という雨に濡れた新しい希望の芽が顔を出していた。

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