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「なかよし」〜コンドームちゃんと奇妙な職場〜  作者: 片山アツシ
なかよしルームへようこそ!〜庭の日常と、庭師たちの秘密〜
33/41

笑いの神に愛された男たち

その依頼が持ち込まれたのは初夏の気配が窓から忍び込む穏やかな午後のことだった。

依頼者として応接ソファに座った青年は柊一ひいらぎはじめと名乗った。整えられた黒髪に理知的な光を宿す眼鏡。その佇まいはどこか神経質そうでしかし揺るぎない芯の強さを感じさせた。彼は今若者たちの間で絶大な人気を誇るお笑いコンビ「ブラックユーモア」のツッコミ担当だという。


「……解散の危機なんです」

柊さんはテーブルの上で固く指を組んだまま重い口を開いた。

「相方の椿が……椿京介が突然『もう笑いはやめる』と言い出したんです」


椿京介。コンビのボケ担当であり全てのネタを一人で書き上げる天才。彼の作るネタは常識の枠を軽々と飛び越え、時に観る者を深くえぐるような毒と哀愁を含んでいた。その危うい才能こそが「ブラックユーモア」の心臓部だった。


「あいつは言うんです。『ウケるだけの笑いはもう飽きた。俺がやりたいのは笑いじゃない、芸術だ』って。……馬鹿げてます。あいつの才能は俺のツッコミがあって初めて笑いとして完成する。あいつは一人じゃただの理解不能な変人になっちまう」

柊さんの声は冷静だったが、その奥には相方への激しい執着とそしてどうしようもない愛情が渦巻いていた。


「俺たちの関係がただの仕事仲間じゃないってことをあいつに、そして俺自身に証明したいんです。俺たちは二人で一つなんだってことを」


それは恋愛相談でも夫婦の悩みでもない。もっと複雑で業の深い魂の繋がりに関する依頼だった。私は室長としてそして一人の庭師として、このいびつでしかし強烈に惹きつけられる庭と向き合うことを決めた。


「……わかりました。そのお手伝いをさせてください」



作戦会議でこの案件を共有すると宮野さんは興味深そうに目を輝かせた。

「へえ、お笑い芸人かあ。なんか面白そうじゃん。でもどうするの? 眠夢ちゃん。ただ話し合いをさせたって平行線な気がするけど」

「はい。だから今回は言葉でのコンサルティングはしません」

私は一枚の企画書をテーブルに置いた。

「彼らに必要なのは議論じゃない。創造です。彼らが彼らであるための唯一の行為」


私の提案はシンプルだった。

舞台は『余白の庭』。そこに小さな黒い舞台とスポットライトだけを用意する。客席はない。

そして二人にたった一つの課題を与える。

『最高のネタを一本作ってください。ただしそのネタを見る観客は世界でたった一人、あなたの相方だけです』


「……なるほどね」

ママが面白そうに口の端を上げた。

「毒には毒をってわけ。面白いじゃないの。やってみなさい」


数日後、柊さんに半ば無理やり連れてこられた椿京介がなかよしルームに現れた。彼はぼさぼさの髪にどこか虚ろな瞳をしていた。その全身から触れる者全てを拒絶するような鋭いオーラが放たれている。天才故の孤独。その言葉がぴったりと当てはまる青年だった。


二人が『余白の庭』に通される。がらんとした何もない空間の中央にぽつんと置かれた小さな舞台。その異様な光景に二人は戸惑ったように立ち尽くしていた。


やがてルーム内のスピーカーから私の声が静かに流れた。課題を告げた瞬間、椿さんの表情が侮蔑に歪む。

「……はっ。くだらない。誰がやるかよそんなこと」

彼はそう吐き捨てると部屋の隅に座り込み膝を抱えてしまった。

「椿!」

柊さんが焦ったように声をかけるが椿さんは完全に心を閉ざしている。


気まずい沈黙。時間だけが無情に過ぎていく。柊さんはなすすべもなくただ相方の背中を見つめていた。その光景はあまりにも痛々しかった。


しかし私は介入しなかった。庭師は嵐が過ぎ去るのを待つことも仕事のうちだ。


数時間が経過した頃、沈黙に耐えかねたように柊さんが口を開いた。それは誰に言うでもない呟きだった。

「……この前電車で変なおじさん見たんだよな」

「……」

「優先席で一人ずっと自分の親指に話しかけてんの。『部長はそうおっしゃいますが』とか言って。……あれ、ネタになんねえかな」


その一言がきっかけだった。膝を抱えていた椿さんの肩がぴくりと動く。

「……つまんねえな」

彼は顔を上げずに言った。

「そのおじさんは親指を上司だと思ってるんじゃない。親指に擬態した宇宙人と交信してるんだよ。地球侵略の最終確認をしてるんだ」

「……なんだよそれ。意味わかんねえよ」

「お前にはわかんねえよ。これは芸術だから」

「はいはい芸術芸術」


会話はまだ刺々しい。でも確かに二人の間で「創造」という名のキャッチボールが始まっていた。それは彼らにとって呼吸をするのと同じくらい自然で本能的なコミュニケーションなのだ。


そこから二人の時間は急速に密度を増していった。ああでもないこうでもないと言い合い、時には胸ぐらを掴み合い、そして次の瞬間には子供のように笑い合う。その狂気じみた創造の過程を私は息を詰めて見守っていた。そこには私が今まで見てきたどんな恋愛よりも濃厚で官能的な魂の交わりがあった。


そして深夜、二人はどちらからともなく舞台の上に立った。客はいない。ただお互いの存在だけがそこにある。


スポットライトが二人を照らす。始まったのはもはや「お笑い」と呼べる代物ではなかった。椿が繰り出すボケは支離滅裂で暴力的でそしてあまりにも悲しかった。それは彼の魂の叫びそのものだった。柊はその混沌の奔流を全身で受け止め、的確すぎる一言で切り裂き昇華させる。彼のツッコミはもはや技術ではない。相方への絶対的な理解と愛情の結晶だった。

それはまるで二人の天才ジャズミュージシャンが即興で繰り広げる命を削り合うようなセッション、あるいは互いの全てを捧げ合う神聖な宗教儀式のようだった。


ネタが終わった時、二人は肩で息をしながらただ無言で見つめ合っていた。汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔。でもその表情は晴れやかだった。言葉はもういらなかった。彼らは互いがいなければ自分という存在が完成しない「半身」であることをこの盤上で再確認したのだ。


コントロールームでその一部始終を目撃していた私は全身に鳥肌が立つのを感じていた。

すごい。なんだこれは。人間の関係性とはこんなにも激しく美しくそして恐ろしいものなのか。恋愛のような甘さも友情のような爽やかさもない。ただ互いの才能に狂おしいほど焦がれ依存しそして高め合う業のような絆。


「……すごい」

私は無意識に呟いていた。案件報告書に私は何と書けばいいのだろう。『ミッションコンプリート』? そんな陳腐な言葉ではこの魂の共鳴を表現できない。


私の庭師としての探究心はこの日を境に新しい扉を開けてしまったようだった。もっと知りたい。もっと見たい。人間の心の奥底に広がるこの混沌として美しい庭の全てを。その探究心はもはやただの仕事への情熱ではない。私の本質に根ざした抗いがたい「性癖」へと変貌を遂げようとしていた。

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