嘘つきの祈り
その依頼はあまりにも純粋でそしてあまりにも愚かだった。
コントロールームの応接ソファに座るその青年は村上大樹と名乗った。日に焼けた顔に土の匂いが染み付いたような実直な手。彼は故郷の村で代々続く農家を営んでいるという。その彼が震える声で語り出した物語は私たちの想像を絶するものだった。
「彼女は天野美月といいます。都会から来たお嬢様でした。俺は一目で好きになった」
彼は一年前に出会ったという美月さんとの思い出をぽつりぽつりと語る。その顔は幸せそうであり同時に深く傷ついていた。
「でも全部嘘だったんです。彼女は結婚をちらつかせて俺から家の貯金をほとんど全部だまし取り……そして一ヶ月前、突然姿を消しました」
よくある結婚詐欺の話。宮野さんが同情と軽蔑の入り混じったため息をついた。
しかし彼の次の言葉に私たちは耳を疑った。
「警察に突き出すつもりはありません。俺が望んでいるのはただ一つ。もう一度だけ彼女に会いたい。そして彼女が今までついてきた嘘を全部俺の前で告白してほしいんです。その上でもう一度だけ彼女の本当の心を知りたい」
騙されたと知りながらまだ彼女を愛している。そのあまりにもお人好しで理解しがたい愛情。それは私たちが今まで扱ってきたどんな複雑な案件よりも厄介で、そして触れてはならない聖域のようにも思えた。
「……正気かいあんた」
ママが呆れたように言った。
「そんなことをして何になる。あんたがさらに傷つくだけじゃないか」
「それでもいいんです」
村上青年はまっすぐにママを見つめ返した。
「俺が好きになったのは嘘の彼女かもしれない。でもその嘘の中にほんのひとかけらでも本当の気持ちがあったと信じたい。それを確かめない限り俺は前に進めない」
その瞳の奥にある揺るぎない覚悟。私たちはこの無謀な依頼を受けることを決めた。それはなかよしルームのチーム全員の総合力が試される総力戦の始まりだった。
◇
作戦会議は緊迫していた。
「相手はプロの詐欺師。天性の女優よ。生半可なやり方じゃ尻尾は出さないわ」
ママの言葉に私たちは頷く。
「まず彼女の居場所を突き止めないと話になりません」
宮野さんがパソコンを高速で叩きながら言った。
「村上さんからもらった彼女のSNSアカウントは全部削除されてる。でも大丈夫。こういう手合いは必ず痕跡を残すものよ。ママ、警察のデータベースにアクセスする裏口を貸してください。彼女の過去の被害届を洗います」
「……ほどほどにしときなさいよ」
ママはそう言いながらも宮野さんに一枚のアクセスカードを手渡した。宮野さんは待ってましたとばかりに不敵な笑みを浮かべた。
「蛇田さん」
私は黙って壁際の監視モニターを見つめていた蛇田さんに声をかけた。
「もし彼女をルームに連れてくることができたら所持品検査をお願いできますか。彼女はきっと『次の獲物』の資料を持っているはずです」
「……了解した」
蛇田さんの目が鋭く光る。彼は獲物を追い詰める猟犬のように静かな闘志を燃やしていた。
そして私はどうするべきか。私は村上青年から預かった一枚の写真を見つめていた。そこに写っているのは満開の桜の木の下で幸せそうに微笑む村上青年と美月さんの姿だった。美月さんの笑顔は完璧だった。しかしその瞳の奥に私は見てしまったのだ。誰にも見つけられたくないと叫んでいるような深い深い孤独の影を。彼女はただの悪女じゃない。彼女もまた救いを求めている迷子の一人なのだ。私の役割は彼女の嘘を暴くことじゃない。その孤独の正体を見つけ出すことだ。
数日後、宮野さんの執念の調査と夜勤の男たちのプロの仕事によって天野美月は都内の高級ホテルに潜伏しているところを「確保」された。彼女は最初こそ抵抗したもののママの名前を出すと全てを諦めたように大人しく私たちの車に乗り込んだという。
そして運命の対面の時。『余白の庭』に通された美月はそこに村上青年がいるのを見つけると一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに完璧な「悲劇のヒロイン」の仮面を被った。
「……大樹さん」
彼女の瞳がみるみるうちに潤んでいく。
「ごめんなさい……! 私あなたに合わせる顔がない……!」
彼女はその場に崩れ落ち嗚咽を漏らし始めた。その演技力はハリウッド女優も顔負けの見事なものだった。村上青年は今にも駆け寄りそうな勢いで彼女を見つめている。
だが私たちは騙されない。ショーの幕は上がったばかりだ。私はマイクのスイッチを入れた。
「――天野美月様。あるいは佐藤由美様、田中景子様、鈴木沙織様とお呼びした方がよろしいでしょうか」
私の冷静な声がルーム内に響く。美月の嗚咽がぴたりと止まった。彼女はゆっくりと顔を上げスピーカーを睨みつけた。その目には怯えと怒りの色が混じっている。
「宮野さんの調査によればあなたが過去五年間に使った偽名は判明しているだけで七つ。被害総額は三千万円を超えます。そのほとんどがあなたと同じように孤独な心を抱えた地方の資産家の男性ですね」
宮野さんが隣で次々とモニターに証拠のデータを映し出していく。
「……何のことか、わからないわ」
美月はまだしらを切るつもりらしい。
「ではこれは何でしょう」
私は蛇田さんからの合図を受けて言った。
「あなたが今日お持ちのバッグの中の手帳に挟んであった一枚の調査報告書。次のターゲットは北海道で牧場を経営している五十代の男性。ご趣味はバードウォッチングとありますが」
蛇田さんが特殊なスキャナーで抜き出した報告書の鮮明な画像がモニターに大写しになる。それを見た瞬間、美月はついに観念したかのようにがっくりと肩を落とした。
「……そうよ」
彼女は吐き捨てるように言った。
「全部私がやったことよ。あんたたちに何がわかるって言うのよ!」
開き直った彼女の態度はまるで追い詰められた獣のようだった。
「どうせみんなそうよ! 私のことなんか見ちゃいない! 私の若さとか見た目とかそういう上辺のものしか見てないじゃない! 金持ちの男なんてみんなそう! 私がちょっと優しくして夢みたいな話をしてやればすぐに金を差し出すんだから笑えるわよね!」
彼女は高笑いをした。その笑い声はあまりにも空虚で悲しかった。
「……違う」
その時ずっと黙っていた村上青年が口を開いた。
「俺は違う」
彼はゆっくりと立ち上がると美月の前に立った。
「俺が好きになったのはあんたが演じてたお嬢様じゃねえ。あんたが時々見せる寂しそうな本当のあんたの顔だ。……俺と一緒に畑仕事した時、泥だらけになって本気で笑ってたあの顔だ。嘘つきでも何でもいい。俺はあの時のあんたが忘れられねえんだ」
彼のそのあまりにもまっすぐな言葉に美月の高笑いが止まった。彼女は信じられないといった目で彼を見つめている。
「どうせ誰も本当の私なんて愛してくれない!」
彼女は最後に残ったプライドを振り絞るように叫んだ。
「こんな嘘だらけで汚くてどうしようもない女のことなんて好きになるやつがいるわけないじゃない!」
その魂の叫びがルーム内に響き渡ったその時、コントロールームで静かに事の成り行きを見守っていたママが初めてマイクを手に取った。
「――じゃあ試してみなさいよ」
ママの低くそして威厳に満ちた声が響く。彼女はモニターの向こうの村上青年に問いかけた。
「村上大樹。あんたに聞くわ。この嘘だらけでどうしようもない女を、その醜い本性を全部知った上で、それでもあんたは愛せるのかい?」
究極の問い。部屋中の全ての視線が村上青年に注がれる。彼は一瞬もためらわなかった。彼はまっすぐに美月を見つめそして言った。
「……ああ。愛せる」
その一言はどんな甘い愛の言葉よりも力強かった。
「俺が惚れた女だ。嘘つきだろうが何だろうが関係ねえ。俺はあんたの全部を受け止める。だからもう嘘はつかなくていい。ただ俺のそばにいてくれ」
その言葉を聞いた瞬間、美月の心のダムが決壊した。彼女は子供のように声を上げて泣きじゃくった。生まれて初めて与えられた無条件の愛。その温かさにどう応えればいいのかわからずにただ泣き続けた。
村上青年はそんな彼女を優しく抱きしめた。その光景を私たちはただ静かに見守っていた。
彼女がこれからどうなるのかわからない。彼女の犯した罪が消えるわけではない。でも確かにこの日この場所で彼女の心の庭に小さな小さな希望の種が蒔かれたのだ。人間のどうしようもない弱さと、それでも信じたくなる再生の可能性。それこそが私たちの仕事の本当の意味なのかもしれない。
私はそっと案件報告書のステータスを『完了』に変更した。窓の外ではいつの間にか優しい春の雨が降り始めていた。それは乾いた大地を潤す恵みの雨のようだった。




