炎上系配信者 vs 最強アンチ
その依頼はテレビ局のプロデューサーと名乗る、いかにも業界人然とした男が高級そうな革の鞄を抱えて持ち込んできたものだった。
「いやあママさん! この度は我々の画期的な企画にご協力いただけるとのことで感謝に堪えません!」
男はコントロールームの応接ソファでやけに大きな身振りを交えながら熱弁をふるっていた。そのギラギラした瞳は視聴率という数字の亡霊に取り憑かれているように見えた。
「企画書は拝見したわ」
ママは肘掛け椅子に深く身を沈め長い煙管をふかしながら応じる。
「『炎上系配信者 vs 最強アンチ、24時間密室ガチンコ対決! 和解か、それともさらなる地獄か!?』……相変わらず悪趣味なことを考えるのね、あんたたちは」
「はっはっは! お褒めいただき光栄です! 今のテレビに必要なのはこういう予測不能なリアルなドラマなんですよ!」
男が差し出した企画書には二人の若者の顔写真が並んでいた。
一人はZEUS。金髪を逆立てカメラを挑発的に睨みつける男性配信者だ。過激な言動とあからさまな拝金主義を売りにしており、その配信は常に賛否両論の嵐を巻き起こしネットニュースのお騒がせ常連だった。
もう一人は女神ヘラ。黒髪の眼鏡の女性。彼女はZEUSの配信を一秒たりとも見逃さず、その矛盾や欺瞞を徹底的に論破する長文の批判コメントを投稿し続ける、最も有名で最も厄介なアンチファンだった。
「この二人、ネット上では犬猿の仲でしてね。お互いを名指しで罵り合う壮絶なバトルを繰り広げているんです。そこでこの宿敵同士をなかよしルームという密室空間に閉じ込めたら、一体どんな化学反応が起きるのか。それをドキュメンタリーとして撮影したい、と」
プロデューサーはよだれでも垂らしそうな顔で語る。
それは愛の確認でも相互理解の促進でもない。ただの見世物。人間の醜い感情を切り取って消費する悪趣味なエンターテイメント。私の胸にかすかな嫌悪感が芽生える。
しかしその案件に待ったをかけたのは意外な人物だった。
「そのお話、ぜひ私に担当させていただけませんか」
静かだが凛とした声でそう言ったのは宮野さんだった。彼女はいつの間にかプロデューサーの隣に立ち完璧な営業スマイルを浮かべていた。しかしその瞳の奥には挑戦者の鋭い光が宿っている。
「ほう。結、あんたがやるって言うの?」
ママが面白そうに尋ねる。
「はい。私こういう作られた関係性の裏側にある人間の本音を暴くのが得意分野ですので」
彼女はそう言ってにっこりと笑った。その笑顔にはKENTO&ERIKA事件の苦い失敗を乗り越えた者の強さと自信が満ち溢れていた。彼女はもう上辺だけのキラキラに惑わされる雛鳥ではない。獲物の喉元に食らいつくタイミングを冷静に見極める美しい鷹なのだ。
◇
数日後、ZEUSこと鈴木健太と女神ヘラこと高橋恵がなかよしルームにやってきた。二人はテレビ局のスタッフに囲まれ、まるでリングインするプロレスラーのように敵意を剥き出しにしてお互いを睨みつけている。
「チッ、なんだよこの陰キャ女。写真よりブスじゃねえか」
「あなたこそ画面越しだと少しはマシに見えましたけど。実物はただの品性のないチンピラですね」
火花が散る。これから始まる24時間という長い戦いを前にコントロールームにもピリピリとした緊張感が漂っていた。
今回の舞台は通常のルームではなく、二人の対決姿勢を煽るように中央にガラスのテーブルを挟んで二つの豪華な椅子だけが置かれた特別なスタジオセットのような部屋だった。担当の宮野さんはモニタリング席で冷静にパソコンの画面を見つめている。その画面には二人のプロフィールや過去の配信データ、そして視聴者からのリアルタイムのコメントが絶え間なく流れ込んでいた。
「さあ始めましょうか」
宮野さんはマイクのスイッチを入れると優雅に告げた。
「ルールは一つだけ。この部屋から出られるのは24時間後。あるいは、お二人が心からの『和解』を果たした時だけです」
その言葉を合図にゴングが鳴った。
最初は予想通りの泥仕合だった。
「そもそもお前みたいな社会の底辺が俺に意見するなんて100年早いんだよ! 金も地位も人気もねえお前に俺の何がわかる!」
「わかるわよ! あなたがただの寂しいかまってちゃんだってことくらい! 大金を見せびらかして人を見下さないと自分の価値を保てない可哀想な人だってこと!」
「はっ! 寂しいのはお前の方だろ! リアルで誰にも相手にされないからってネットで正義のヒロイン気取ってんじゃねえよ、ブス!」
「誰がブスですって!?」
罵詈雑言の応酬。見ているだけで気分が悪くなるような光景。しかし宮野さんは動じなかった。彼女はただ冷静に二人の言葉の裏に隠されたシグナルを拾い集めていく。
数時間が経過し二人の罵倒のレパートリーも尽きかけてきた頃、宮野さんが動いた。彼女はルーム内の巨大モニターに一つのデータを映し出した。
「お二人ともお疲れのようですね。少しデータを見てみましょうか」
モニターに表示されたのは二人の過去一年間の配信とコメントの相関図だった。
「こちらZEUSさんの配信時間とヘラさんのコメント投稿時間のグラフです。驚くほど完全に一致していますね。ヘラさんはZEUSさんの配信を一度も欠かさずリアルタイムで視聴していらっしゃる」
「……っ! そ、それはこいつの悪行を見逃さないためよ!」
ヘラが顔を真っ赤にして反論する。
「ではこちらはどうでしょう」
宮野さんは次に別のデータを表示した。
「ZEUSさんが配信中に『女神ヘラ』という単語を口にした回数、そしてその直後の視聴者数の伸び率です。面白いことにあなたが彼女を罵れば罵るほど視聴者は熱狂している。あなたは無意識のうちに彼女を最高の『共演者』として利用しているんですよ」
「なっ……! 俺はただムカつくから言ってるだけだ!」
ZEUSも狼狽を隠せない。
宮野さんはそこで初めてふふっと笑みを漏らした。
「お二人とも驚くほどお互いのことをよく見ていらっしゃいますね。ヘラさんはZEUSさんの些細な口癖や今日のネクタイが先週の配信の時と同じものであることまで気づいている。ZEUSさんは何万と流れるコメントの中から必ずヘラさんのコメントだけを拾い上げて的確に反応している。……これってただの敵意だけでしょうか?」
彼女のその指摘は鋭い刃のように二人の心の鎧を切り裂いた。二人は気づいてしまったのだ。自分たちがいつの間にか誰よりも強くお互いを意識し求め合い、そして依存し合う存在になっていたことに。アンチと配信者。その歪んだ関係性の中でしか彼らは自分の存在価値を見出すことができなかったのだ。
二人は言葉を失いただ黙り込んだ。罵り合うエネルギーさえもう残っていない。ルーム内には重い沈黙が流れた。
宮野さんはその沈黙を見届けると最後の一撃を放った。彼女はモニターにリアルタイムで流れている視聴者のコメントを大写しにした。
『あれ、なんか二人とも似てない?』
『どっちもただ誰かにかまってほしいだけに見える』
『もう付き合っちゃえよwww』
その無慈悲な視聴者の声。それこそが二人が最も聞きたくなかった真実だった。ZEUSは顔を覆いヘラは床を見つめたまま動かない。
宮野さんはマイクのスイッチを静かに切った。そして私の方を振り返ると小さくウインクして見せた。
「……私の勝ち、かな」
その顔はKENTO&ERIKA事件の悪夢を完全に払拭したプロの交渉人の顔だった。和解はしない。でも二人はもう以前のようには罵り合えないだろう。憎しみとは違うもっと複雑で厄介な奇妙な「共犯関係」。それもまた一つの「なかよし」の形なのかもしれない。
「嫌い」という感情も突き詰めれば強い関心の一つの形なのだ。宮野さんは人間の複雑な感情を見事に手玉に取り、私たちにそのことを教えてくれた。彼女はもう迷わない。彼女だけの武器を手に入れたのだから。




