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「なかよし」〜コンドームちゃんと奇妙な職場〜  作者: 片山アツシ
「内定ゼロ、未来ゼロ、私の人生終了のお知らせ」
3/41

初仕事

「じゃあ眠夢ちゃん、行こっか! 私たちの初仕事だよ!」


宮野さんの明るい声に背中を押され、私はコントロールームを後にした。

向かう先は、お客様が待っているというエントランスホール。長い廊下を歩きながら、私の心臓は、面接の時とはまた違う種類の緊張で、早鐘のように鳴り響いていた。


これから始まるのは「なかよし確認業務」

その言葉の響きとは裏腹に、私はとんでもない世界の入り口に立っている。そんな予感がひしひしと伝わってくる。


「大丈夫だよ、眠夢ちゃん。最初は誰でも緊張するから」

隣を歩く宮野さんが、私の不安を見透かしたように、にっこりと微笑む。

「基本はマニュアル通り。でも、一番大事なのは、お客様をリラックスさせてあげること。私たちは、あくまで黒子なんだからね」


黒子、という言葉に私は少しだけ違和感を覚えた。

これから行われることは監禁に近い行為のはずだ。それなのに、彼女の口調はまるで高級エステのセラピストか何かのように、どこまでも軽やかだった。


やがて、重厚な観音開きの扉の前にたどり着く。

宮野さんが、深呼吸を一つすると、完璧な営業スマイルを顔に貼り付けた。そして、ゆっくりと扉を開ける。


「大変お待たせいたしました。担当の宮野でございます」


そこにいたのは、モニターで見た通りの一組の男女だった。

男性は、年の頃20代半ば。少し気弱そうな、人の好さそうな顔立ちをしている。高そうなジャケットを着ているが、どこか着慣れない様子で、そわそわと落ち着きがない。


一方、女性は、私とさほど変わらないくらいの年齢に見えた。綺麗な顔立ちをしているが、その表情は硬く、腕を組んで、明らかに不機嫌オーラを撒き散らしている。


「本日は、『なかよしルーム』へようこそおいでくださいました。わたくし、お二人の『愛の確認』をサポートさせていただきます、コンシェルジュの宮野と申します。そしてこちらが、本日より研修に入ります、新人の近藤です」


宮野さんが流れるような口調で自己紹介をする。

私も慌ててぎこちなく頭を下げた。

「こ、近藤眠夢です。よろしくお願いいたします」


男性――田中様、というらしい――は、「あ、どうも……」と会釈を返してくれたが、女性の方は、私を一瞥しただけで、ぷいっと顔をそむけてしまった。

その敵意のこもった視線に、私の心は早くもくじけそうになる。


「それでは、早速ですが、ご利用にあたっての最終確認をさせていただきます」

宮野さんは、そんな険悪なムードをものともせず、手にしたタブレット端末を操作し始めた。


「今回、田中様がご希望されたプランは、『プロポーズ大作戦・スイートプラン』でございますね。ルーム内で、田中様から鈴木様へ、真心のこもったプロポーズを行っていただき、鈴木様がそれをお受けになりましたら、ミッションコンプリート、となります」


プロポーズ大作戦……?

なんだその、ふざけたプラン名は。

しかし、宮野さんの説明は澱みなく続く。


「ミッションコンプリートの定義ですが、今回は『鈴木様が、田中様のプロポーズに対し、明確な同意の言葉を口頭で述べ、お二人が愛情のこもった口づけを交わす』ことと規定させていただいております。よろしいでしょうか?」

「は、はい! 大丈夫です!」

田中様が顔を赤らめながら、力強く頷く。


しかし、女性――鈴木様は黙り込んだままだ。

その表情は能面のように固まっている。


「鈴木様」

宮野さんはあくまで優しい、しかし有無を言わさぬ口調で彼女に問いかけた。

「こちらのプランをご利用になるにあたり、事前に田中様からご説明を受け、その内容に同意されている、ということで、お間違いございませんでしょうか?」


これは、ただの確認ではない。

法律でいうところの「意思確認」だ。私が大学で学んだ知識が不意に頭をよぎる。契約において、当事者の真意に基づく同意は絶対不可欠の要件だ。


鈴木様はしばらく沈黙していたが、やがて蚊の鳴くような声で、ぽつりと言った。

「……はい」


その一言はあまりにも弱々しく、感情がこもっていなかった。

本当に同意しているのだろうか。

私の胸に疑念が芽生える。


だが、宮野さんはその一言で十分だと判断したらしい。

「ありがとうございます。それでは、こちらの同意書にそれぞれご署名をお願いいたします」

タブレットに表示された電子署名欄に、二人がサインをする。

その手続きはあまりにも事務的で、これから行われる「愛の確認」という行為とのギャップに私はめまいを感じた。


「では、お部屋へご案内いたします。どうぞごゆっくり『なかよし』の時間をお楽しみくださいませ」


宮野さんは完璧な笑顔でそう締めくくると、私たちに背を向けコントロールームへと戻るよう促した。



コントロールームに戻ると、ママが腕を組んで、私たちを待ち構えていた。

壁の巨大モニターには、先ほどのカップルが入室したであろう、豪華な部屋が映し出されている。白いグランドピアノが置かれた、ロマンチックな雰囲気の部屋だ。


「ご苦労様、結。上出来よ」

「ありがとうございます、ママ。でも、あのお嬢さん、かなりご機嫌斜めでしたねー」

「でしょうね。無理やり連れてこられたのが、見え見えだわ」


ママは鼻で笑う。

その言葉に私は思わず声を上げた。

「む、無理やりって……! でも、彼女、同意書にサインを……」


「形だけの同意なんて、いくらでも取れるわよ」

ママは、私の言葉を遮るように言った。

「大事なのは、その裏にある『真意』を見抜くこと。それが、私たちの仕事の肝よ。よく見てなさい、新入り。あんたの初仕事が、始まるわよ」


ママが顎でしゃくったモニターの中では、田中様が、落ち着きなく部屋の中をうろうろしていた。一方の鈴木様はソファに深く腰掛け、腕を組んだまま、窓の外を眺めている。二人の間には、気まずい沈黙が流れていた。


「……すごいね、この部屋」

沈黙を破ったのは、田中様だった。

「僕、頑張って、一番良い部屋を予約したんだ。君、ピアノ好きだって言ってたから……」

「……別に、頼んでない」

鈴木様の返事は、氷のように冷たい。


「そ、そんなこと言わずにさ。ほら、見てよ、夜景も綺麗だよ」

「……」


気まずい。

見ているこっちが胃が痛くなるような光景だ。

他人の気まずいデートを、高画質のモニターで、しかも複数のアングルから覗き見る。これは想像以上に精神にくる仕事かもしれなかった。


「眠夢ちゃん、どう思う? この二人」

隣に座る宮野さんが、私に小声で尋ねてきた。

「え……?」

「この二人の関係性。どっちが上で、どっちが下か。どっちが相手に依存していて、どっちがそれを負担に感じているか。分析してみて」


分析。

まるで実験動物を観察する研究者のような口ぶりだ。

私はモニターの中の二人に、改めて意識を集中させた。


田中様は絶えず鈴木様の顔色を窺っている。彼女の機嫌を取ろうと、必死に話題を探しているのが見て取れた。

一方、鈴木様はそんな彼を完全に無視している。その態度はもはや怒りを通り越して諦めに近いように見えた。


「……田中様が鈴木様に依存している……ように見えます。鈴木様は、それをもう、うんざりしている、というか……」

「正解」


宮野さんはあっさりと頷いた。

「田中様は典型的な『尽くすことでしか自分の価値を見いだせない』タイプ。鈴木様は最初は彼の優しさに惹かれたんだろうけど、次第にそれが重荷になってきた。愛情がいつの間にか罪悪感にすり替わっちゃったのね」


宮野さんの分析は的確で、そして容赦がなかった。

まるで二人の心を丸裸にしていくようだ。


「じゃあ、なんで鈴木様は、こんな場所に来ることに同意したんだと思う?」

「それは……断り切れなかった、とか……」

「それもある。でも、もっと深い理由があるはずよ。彼女の非言語的なサインを読み取って」


非言語的なサイン。

私は鈴木様の様子を食い入るように見つめた。

腕を組む、という行為は、心理学では「防御姿勢」の表れだと習ったことがある。彼女は田中様から、そしてこの状況から自分を守ろうとしている。

しかし、その視線はずっと窓の外に向けられている。彼女は何を見ているのだろうか。


その時、私はあることに気がついた。

彼女はただ窓の外を眺めているわけではなかった。

窓ガラスに映る自分の姿をじっと見つめているのだ。

そして、その指先が自分の着ているワンピースの裾をきゅっと固く握りしめている。


「……彼女、不安なんじゃないでしょうか」

「不安?」

「はい。田中様と別れたい。でも、別れた後の一人の自分が怖い。だから結論を出すのを先延ばしにしている……。この場所に連れてこられたのも、彼に流されたフリをして、本当は彼に最後の決断を委ねようとしているんじゃ……」


そこまで言って私はハッとした。

他人の心の内を勝手に憶測して分析する。

なんておこがましい行為だろう。


しかし、宮野さんは満足そうに微笑んでいた。

「上出来だよ、眠夢ちゃん。あんたやっぱりすごい才能持ってる」

「え……」

「人の行動の裏にある、矛盾した感情を読み取る力。それは、この仕事で一番重要なスキルだからね」


その時だった。

モニターの中で動きがあった。

意を決したように、田中様が鈴木様の前に跪いたのだ。

そして、ポケットから取り出したのは小さなベルベットの箱。


「……ミカさん」

田中様が震える声で彼女の名前を呼んだ。

「僕と、結婚してください」


ついに始まってしまった。

プロポーズ。

この部屋のメインイベント。


鈴木様――ミカさんは、目を見開いて固まっている。

その表情は、驚きと戸惑いと、そしてほんの少しの恐怖が入り混じっているように見えた。


「僕、君がいないとダメなんだ。一生、君を大切にする。幸せにするから。だから、お願いだ」


田中様は必死に言葉を続ける。

その目は涙で潤んでいた。


見ているのがつらかった。

これは愛の告白なんかじゃない。

ただの、自己満足の押し付けだ。

「君がいないとダメなんだ」という言葉は「君を幸せにする」という誓いとは似て非なるものだ。それは相手を縛り付ける、呪いの言葉だ。


「……やめて」

ミカさんが、か細い声で呟いた。

「もう、やめてよ……」


「どうして!? 僕は、こんなに君のことが好きなのに!」

「好き……? それは、好きなんかじゃないわよ! あなたはただ私がいないと不安なだけでしょ! 私を自分のためのアクセサリーか何かだと思ってる!」


ミカさんの感情がついに爆発した。

彼女の瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。


「私だって……私だって、あなたのこと好きだった! でも、あなたのその重すぎる愛情が、私をどんどん苦しめていったの! もう、疲れたのよ……!」


修羅場だ。

完全なる、修羅場だ。

私は息を飲むことしかできなかった。

他人のこんな生々しい感情のぶつかり合いを、目の当たりにしたのは初めてだった。

頭がクラクラする。吐き気さえ催してきた。


「……どう、するんですか、これ」

私が尋ねると、宮野さんは冷静な声で答えた。

「見守るだけよ。私たちは手を出せない。これは二人の問題なんだから」


その目はモニターを冷静に見据えている。

まるで感情のない機械のようだ。


「でも……!」

「眠夢ちゃん」

宮野さんは私の目をまっすぐに見た。

「私たちは医者じゃない。カウンセラーでもない。ただの『確認者』よ。彼らが、分たちで答えを出すのを待つしかないの」


その言葉は正論だった。

でも私の心は納得できなかった。

苦しんでいる人が目の前にいるのに、何もしない。

それは私の正義感が許さなかった。


その時、ふと、コントロールームの隅で、黙々と床を磨いていた蛇田さんが、ぽつりと呟いたのが聞こえた。


「……ピアノ」

「え?」

「あのピアノは、飾りじゃない。本物の、スタインウェイだ」


蛇田さんは、モニターをちらりとも見ずに、そう言った。

その言葉に私はハッとした。


そうだ、ピアノ。

田中様は言っていた。「君、ピアノ好きだって言ってたから」と。

ミカさんはピアノが好きだった。


私はモニターの中の、白いグランドピアノに目を向けた。

もし、もしも、彼女が自分の気持ちを言葉にできないのなら。

音楽がその代わりになるかもしれない。


「……あの」

私は意を決して口を開いた。

「マイク、貸してください」


宮野さんとママが驚いたように私を見る。

「新入り、あんた、何を……」

「お願いします! 一言だけ!」


私はママの制止を振り切って、コンソールに置かれていたマイクを掴んだ。

そして、スイッチを入れる。


私の声がルーム内に設置されたスピーカーを通して、二人の元へ届くはずだ。

心臓が口から飛び出しそうだった。


「――鈴木様」


マイクを通して自分の声が響く。

モニターの中の二人が、驚いて声のする方――天井のスピーカー――を見上げた。


「もし、言葉で伝えられない想いがあるのでしたら……そちらのピアノを使ってみてはいかがでしょうか」


言った。

言ってしまった。

マニュアルには絶対に書いていない行動。

完全な越権行為だ。


コントロールームが、シン、と静まり返る。

ママの冷たい視線が私の背中に突き刺さるのがわかった。


終わった。

初日で、クビだ。


そう思った、その時。

モニターの中のミカさんが、ふらふらとピアノの方へ歩み寄った。

そして、ゆっくりと椅子に座ると、震える指で鍵盤に触れた。


ポロロン……


鳴らされたのは不協和音だった。

彼女の混乱した心が、そのまま音になったかのようだった。


でも彼女は弾くのをやめなかった。

一音、また一音と、確かめるように鍵盤を叩いていく。

やがて、それは拙いながらも、一つのメロディーを形作り始めた。


それは、悲しい、旋律だった。

切なくて、苦しくて、でも、どこかにほんの少しだけ温かい光が感じられるような。

彼女が田中様と過ごした日々の楽しかった記憶と、今の苦しい気持ちが、全部その音に込められているようだった。


田中様は、ただ立ち尽くして、その音色に耳を傾けていた。

彼の顔から焦りの色がすうっと消えていくのがわかった。


やがて曲が終わる。

ミカさんは鍵盤の上に突っ伏してしまった。

その肩が、小さく震えている。


長い、長い沈黙。


先に口を開いたのは田中様だった。


「……ごめん」


その一言は今までのどんな言葉よりも誠実に響いた。

「僕、全然わかってなかった。君がそんなに苦しんでるなんて。自分の気持ちばっかり、押し付けてた」


彼はゆっくりとミカさんに近づくと、その震える肩にそっと自分のジャケットをかけた。


「……帰ろうミカ。もう、いいから」

「……うん」


ミカさんが、小さく頷く。

その顔は涙でぐしゃぐしゃだったけれど、どこか吹っ切れたような、穏やかな表情をしていた。


プロポーズは失敗に終わった。

でも二人は初めて、本当の意味で向き合えたのかもしれない。


「……ロック、解除してあげなさい」

ママが低い声で言った。

宮野さんが頷いて、コンソールを操作する。

モニターの隅に『ロック解除』という文字が表示された。


やがて二人は手を取り合うでもなく、ただ静かに部屋を出て行った。


コントロールームには、重い沈黙が流れていた。

私は、自分の犯したことの重大さに、今更ながら、全身から血の気が引くのを感じていた。


「……申し訳、ありませんでした」

私は床に頭がつくほど深く頭を下げた。

「勝手なことを、して……」


クビを覚悟した。

しかし、返ってきたのは予想外の言葉だった。


「……顔を上げなさい」


ママの声は不思議なほど穏やかだった。

おそるおそる顔を上げると、ママは私の目をじっと見つめていた。


「あんた、自分が何をしたかわかってる?」

「……はい。マニュアルを無視して業務に私情を挟みました」

「そうね。本来なら即刻クビよ」


ごくり、と喉が鳴る。


「でもね」

ママは、ふぅ、と長い煙を吐き出した。


「あんたのやったことは『コンサルティング』だったわ。あんたはお客様の『相互理解』を確かに『促進』させた。……結果的に、ね」


「……え?」


「あんた、もうプロよ」


その言葉はあまりにも重かった。

プロ。

この私が?


「勘違いするんじゃないわよ。今回はたまたまうまくいっただけ。一歩間違えれば最悪の事態になってた。二度とこんな無茶は許さないわ」

ママは厳しい口調で付け加える。

「でも、あんたのその『正義感』と『お節介』は、時としてマニュアルを超える力を発揮することもある。……覚えときなさい」


私はただ呆然とママの顔を見つめることしかできなかった。


その日の業務が終わった後も、私の心は、ずっとざわついていた。

疲労困憊だった。

他人の生々しい感情に、真正面から向き合うことが、これほどまでに心を消耗させるなんて、思ってもみなかった。


私は一体何をしているんだろう。

何のためにここにいるんだろう。


答えはまだ見つかりそうになかった。

ただ、一つだけ確かなことがある。


私の就職先は、とんでもなく“変な部屋”だった。

でも、そこで行われているのは人生でいちばん人間というものを、深く、濃く、知ることができる仕事なのかもしれない。


近藤眠夢、社会人一日目。

私の奇妙でそしてとてつもなくハードな毎日が、今始まった。

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