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「なかよし」〜コンドームちゃんと奇妙な職場〜  作者: 片山アツシ
なかよしルームへようこそ!〜庭の日常と、庭師たちの秘密〜
27/41

沈黙の証明と、夜の住人たち

春の柔らかな日差しがコントロールームに差し込む穏やかな昼下がりだった。室長という立場にも慣れ、私はチーム全体の動きを俯瞰しつつ個々の案件の特性を見極める日々に忙殺されていた。そんな日常に異質な石が投げ込まれたのは一本の内線電話からだった。


受話器を取ったママの表情がかすかに、しかし明らかに変化した。いつもの余裕綽々の笑みが消え、その目に鋭い警戒の色が宿る。

「……ええ結構ですわ。ただしうちはお客様を選ばせていただきます。……わかりました。ではお待ちしております」

静かに受話器を置いたママはふうと長い息を吐き、その煙で私たちの間の平和な空気をかき消した。


「面倒な客が来たわよ」


ママの一言で私たちはテーブルに集まった。

「依頼者は大舘興業の大舘組長。都内でも指折りの巨大な任侠団体のトップよ」

「……ヤクザですか」

宮野さんの声がわずかに上ずる。私もゴクリと喉を鳴らした。私たちの職場がただのクリーンなコンサルティング会社でないことは重々承知していた。しかしここまであからさまな裏社会の大物の名前が出てきたのは初めてだった。


「依頼内容は『跡目と決めた若頭が堅気の女性に惚れて組を抜けると言い出した。その女の愛情が本物か、それとも若頭の地位や金が目当てか見極めてほしい』。……まあよくある話ね」

ママはこともなげに言うが、その案件の背景にある暴力と金の匂いはあまりにも生々しい。


「この案件どうする?」

ママが私たちを見回す。その問いに一番早く反応したのは意外にも宮野さんだった。


「私にやらせてください」


彼女はまっすぐにママを見据えて言った。その瞳にはKENTO&ERIKA事件の頃の脆さはもうなかった。失敗を乗り越え自分の未熟さと向き合ったプロフェッショナルとしての覚悟が宿っていた。

「私、もう物事の上辺だけに騙されたくないんです。自分の目で見抜く力を試したい」

その言葉に私は胸が熱くなった。彼女は確かに変わったのだ。


「いいでしょう。あんたに任せるわ」

ママは満足そうに頷いた。


その時だった。打ち合わせの内容を聞いていたのか、部屋の隅で床のワックスがけをしていた蛇田さんの手がぴたりと止まった。彼の顔はこちらからは見えない。しかしその背中が普段とは明らかに違う絶対零度の緊張感を放っていた。彼のその異様な気配に私だけが気づいていた。



夕刻、コントロールームの前に黒塗りの高級車が数台滑り込んできた。降りてきたのはいかにもといった風貌の男たち。そしてその中央に立つ一人の老人。彼が大舘組長だろう。着流しを粋に着こなし、その柔和な笑顔の奥には底知れない凄みが隠されている。


彼がエントランスへと向かうのを見届けた後、私は蛇田さんの元へと向かった。彼は相変わらず黙々と作業を続けている。しかしその肩は微かに強張っていた。


「蛇田さん。……大丈夫ですか?」

私の問いに彼は手を止めゆっくりと顔を上げた。その三白眼が私を射抜く。

「……室長」

彼は初めて私をその肩書きで呼んだ。

「……あの男は俺が刑事を辞めるきっかけになった事件の関係者だ」


その告白はあまりにも重かった。

「……どういうことですか」

「七年前の殺人事件。被害者はあるジャーナリストだった。大舘興業の不正を追っていた。俺はその担当刑事だった。……だが決定的な証拠が後一歩のところで消えた。完璧な手口でな。……結局事件は迷宮入り。俺はその責任を取って警察を辞めた」


彼の声は淡々としていた。しかしその奥には今も消えない無念と怒りの炎が燃えているのがわかった。

「……だから気をつけてください。あの男はこっちの想像以上に狡猾で用意周到だ」

それは私への忠告であり彼自身の過去への誓いのようにも聞こえた。


その時コントロールームの内線が鳴った。

「夜勤の連中がターゲットを連れてきたわよ」

ママの声だった。


私たちが廊下に出るとそこには異様な光景が広がっていた。黒いスーツに身を包んだ寡黙な男たちが二人、壁際に直立している。彼らが「夜勤の男たち」。その動きは洗練され一切の感情を表に出さない。そしてその二人の間に一人の若い男が立っていた。彼が若頭の竜司という男だろう。精悍な顔立ちに鋭い眼光。しかしその表情には戸惑いと反抗の色が浮かんでいる。


「……話が違うじゃねえか。ここは一体どこだ」

竜司が低い声で夜勤の男たちを睨みつける。しかし彼らは石像のように動かない。


その張り詰めた空気の中を蛇田さんが通りかかった。彼は夜勤のリーダー格らしき男とすれ違う。言葉は交わさない。ただ一瞬だけ視線が交錯した。それはまるで互いの力量と背景を瞬時に見抜き合う獣同士の挨拶のようだった。裏社会のプロフェッショナルと法の下で生きてきた元刑事。対極にいながらどこか通じ合う空気がそこにはあった。この職場には私の知らないいくつもの顔がある。その事実に私は改めて身震いした。



モニタリングが始まった。担当は宮野さん。私は室長としてその後ろで全体を見守る。


ルームに通されたのは若頭の竜司と彼の恋人だという詩織という女性だった。詩織さんは儚げで清楚な雰囲気の女性だった。高価な服を着ているわけでもなく派手な化粧もしていない。ただ竜司の隣に寄り添うその姿は確かに深く彼を愛しているように見えた。


「詩織。……驚かせたな。すまない」

竜司が気まずそうに切り出した。

「ううん。大丈夫。竜司さんが一緒ならどこでも」

詩織さんは優しく微笑む。


そのあまりにも完璧な恋人同士の姿。KENTO&ERIKA事件の悪夢が宮野さんの脳裏をよぎったのだろう。彼女の額にうっすらと汗が滲んだ。


「宮野さん、落ち着いて」

私は彼女の肩にそっと手を置いた。

「あなたの目を信じて」

「……うん」


宮野さんは一つ深呼吸をするとマイクのスイッチを入れた。彼女はKENTO&ERIKA事件の時のように相手を挑発するような質問はしなかった。ただ静かに二人の会話に耳を傾け、その関係性の本質を見極めようとしていた。


しかし二人の会話はどこまでも穏やかで愛情に満ちていた。竜司は自分の立場を隠したまま「堅気になってお前と小さな店でも開きたい」と夢を語る。詩織はその言葉を涙ぐみながら聞き「私どこまでもついていくよ」と答える。非の打ち所がない。これでは大舘組長に「お二人は本物です」と報告するしかない。


宮野さんの顔に焦りの色が浮かび始めたその時だった。

「……室長」

インカムから蛇田さんの低い声がした。彼は自分の持ち場である設備管理室から連絡してきたのだ。

「……女が動いた。ルームの北東の角。監視カメラの死角だ」


ハッとして私は別アングルにモニターを切り替えた。確かに詩織さんが竜司の目を盗んで部屋の隅へと移動している。そして彼女は自分のバッグの中から何か小さな箱のようなものを取り出すと、それを壁の換気口の中に隠そうとしていた。


「……蛇田さん!」

「……わかっている」


次の瞬間、ルーム内に甲高い金属探知音のようなアラームが鳴り響いた。同時に換気口の真上のスプリンクラーが作動し、隠されようとしていた箱にめがけて水が降り注ぐ。


「な、何だ!?」

竜司が驚いて立ち上がる。詩織さんは顔面蒼白になってその場に立ち尽くしていた。


これは蛇田さんが仕掛けた罠だ。彼はこの日のためにルーム内に微弱な金属反応を探知するセンサーと局所的な放水システムを組み込んでいたのだ。かつて自分がやられた証拠隠滅。その悪夢を彼はここで清算しようとしていた。


「……詩織、それは何だ」

竜司の低い声が響く。

詩織さんは震える手で水浸しになった箱を拾い上げた。中から出てきたのは分厚い札束と一枚の古い写真だった。


「……手切れ金か?」

竜司の声が絶望に染まる。


「違う……!」

詩織さんは初めて声を張り上げた。

「これは……これは私が過去から逃げるためのお金よ!」


彼女は泣きながら全てを告白した。彼女は数年前まで別の名前で生きていたこと。執拗なストーカーである元恋人から逃れるために全てを捨ててこの街へやってきたこと。このお金は万が一彼に見つかった時にまた別の場所へ逃げるための最後の命綱だったのだと。そして竜司のプロポーズを受け入れられないのは、彼を自分の暗い過去に巻き込みたくなかったからだと。


全ての真実が明かされた。竜司はしばらく黙り込んでいたが、やがてゆっくりと詩織さんの元へ歩み寄った。そして彼女の震える体を強く抱きしめた。


「……バカ野郎」

彼の声も震えていた。

「……俺がどんな世界で生きてるか知らねえわけじゃねえだろ。お前一人の過去なんざ俺が全部引き受けてやる。だからもうどこにも行くんじゃねえ」


それはヤクザの若頭の言葉ではなく、ただ一人の男の魂の叫びだった。詩織さんは彼の胸に顔をうずめて声を上げて泣いた。



案件が終わった後、私は屋上で一人夜風に当たっていた。そこへ蛇田さんが缶コーヒーを二つ持ってやってきた。


私たちは言葉もなくしばらく眼下の夜景を眺めていた。やがて蛇田さんがぽつりと呟く。

「……ここには法ではできない『掃除』がある」

「……はい」

「俺はそのためにここにいる。……それだけだ」


彼の背負うものの重さ。その一端に触れた気がした。この職場は社会のはみ出し者たちの吹き溜まりなのかもしれない。でも私たちは確かにここで誰かの何かを守っている。私は缶コーヒーを一口飲んだ。その苦くて温かい味が私の心に深く染み渡っていった。

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