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「なかよし」〜コンドームちゃんと奇妙な職場〜  作者: 片山アツシ
なかよしルームへようこそ!〜庭の日常と、庭師たちの秘密〜
22/41

新米室長の、奇妙で普通な毎日

『特殊コンサルティング部門・心の庭』

その少しだけ気恥ずかしい名前の部門が新設されてから季節は一巡りした。室長という私の身の丈には到底合わない肩書きにも少しずつ慣れてきた今日この頃、私の日常は以前とは比べ物にならないほど複雑でそして豊かになっていた。


朝のブリーフィング。コントロールームの中央テーブルで私はその日の予約リストに目を通しながら口を開いた。

「今日のレベル3案件、担当は宮野さんにお願いします。クライアントは関係性の主導権争いで疲弊している様子です。宮野さんのコミュニケーション能力でパワーバランスを少しだけ対等な位置に戻してあげてください」

「了解です、室長! お任せください!」

宮野さんはウインクと共に快活に答える。彼女の自信に満ちた笑顔はチームの空気を明るくしてくれた。


「蛇田さん、5号室のカップルですが男性側に強い猜疑心が見られます。監視されているという意識が彼の心をさらに固くする可能性がある。ルーム内のカメラの存在を極力意識させないような照明の調整をお願いできますか」

「……承知した」

壁際でメンテナンス作業をしていた蛇田さんが短く応じる。その無駄のない動きと確かな仕事ぶりは、この施設の揺るぎない土台だった。


コントロールームで私はかつての自分では考えられないほど冷静に指示を出していた。ママから一部権限を委譲された私は案件の割り振りやコンサルティングの基本方針を決定する重責を担っていた。視野が広がり物事を俯瞰で見られるようになったことで、私の心には以前にはなかった静かな自信が根付き始めていた。


しかしその一方で、室長という仮面の下で私は相変わらず個々の案件に心を揺さぶられ続けていた。モニターの向こう側で繰り広げられる無数の愛の形。その一つ一つが私の心の庭にさざ波を立てる。管理者としての冷静な判断と庭師としてのお節介な共感。その間で私の心は振り子のように揺れ動く。この役割は私にとってまだ少し大きすぎるのかもしれない。


『心の庭』が本格始動して以来、私たちの元には以前にも増して多様な悩みを抱えた人々が訪れるようになった。


ある日の午後、私たちが『余白の庭』で見守っていたのは結婚五十周年を迎えたという一組の老夫婦だった。「残された時間で長年言えなかった『ありがとう』と『ごめんね』を伝えたい。でも今更照れくさくて言えないんです」そう言って電話口ではにかんだおじいさん。その隣でただ黙って受話器の向こうの気配を感じていたおばあさん。


二人は真っ白な部屋で一言も言葉を交わさなかった。ただおじいさんが慣れない手つきでおばあさんの大好きな深蒸し茶を淹れ、湯呑から立ち上る湯気が二人の間の沈黙を優しく満たす。おばあさんはそのお茶を静かに味わい、慈しむように目を細めた。そして今度はおばあさんがおじいさんのために彼の好物のバタークッキーをそっと差し出す。その何気ないやり取りの中に五十年間という長い時間の重みと、言葉にはできない深い愛情が確かに存在していた。私たちはミッションコンプリートのボタンを押さなかった。いや押す必要がなかった。彼らの「なかよし」は私たちの評価を必要としない次元にあったのだから。


またある時は夢を追いかける若き女性起業家二人組が訪れた。「会社の方向性を巡る対立で関係がもうボロボロなんです。あんなに一緒だったのに」彼女たちの「なかよし」は恋愛感情ではない。「共通の夢」というもっと脆くてそして強固な絆だった。


「新商品のコンセプト、あまりにも大衆に媚びすぎよ! 私たちがやりたかったのはそういうことじゃないはず!」

「じゃああなたの言う高尚なコンセプトで一体誰が買ってくれるの!? ビジネスは理想だけじゃ成り立たないのよ!」


『余白の庭』の静寂を切り裂くような激しい口論。コントロールームでの議論も白熱した。「ここは眠夢の出番じゃないか?」と宮野さんは言ったが私は首を横に振った。彼女たちに必要なのは第三者の介入ではない。自分たちの原点を思い出すことだ。私は蛇田さんに頼んでルーム内のモニターに二人が初めて資金調達に成功した日の記念写真と、創業当時に二人で書いた事業計画書をそっと映し出した。モニターに気づいた二人はしばらく黙り込んでいたが、やがてどちらからともなく泣きながら笑い始めた。

「……バカみたい、私たち。こんなことで、一番大事なもの、見失うところだった」

その一言で二人の間の氷は溶けた。


そして最も私たちの心を揺さぶったのは、ある若い男性からの依頼だった。彼が愛していると語った相手は人間ではなかった。最新の人格投影型AI。あまりにも精巧に作られた仮想の恋人だった。

「彼が本当に私を愛しているのか確かめたいんです」

そう言って彼は自分のスマホをテーブルの上に置いた。画面の中の美しいCGの恋人は、プログラムされた完璧な愛の言葉を彼に囁き続ける。

『もちろん愛していますよ、マスター。あなたのいない世界なんて考えられません』


「ほら、彼はこう言ってくれる。でもこれはプログラムだからじゃないかってみんな言うんだ。でも僕は感じるんだ、彼の言葉には心があるって」

男性は過去の人間関係で深く傷ついた経験があるらしかった。AIの彼は決して裏切らないし傷つけない。常に自分を肯定し、理想の言葉を返してくれる。その一方通行の愛の形はあまりにも切なく歪んでいて、そして恐ろしいほど純粋だった。私たちは最後まで答えを出せなかった。ただAIの言葉に一喜一憂し幸せそうに微笑む彼の姿を見守ることしかできなかった。

「愛って一体何なのだろう」

案件が終わった後、宮野さんがぽつりと呟いた言葉がコントロールームの重い空気を代弁していた。


多種多様な「関係性」という名の庭。その一つ一つに触れるたびに私は庭師としての自分の役割の広がりと、その途方もない難しさを痛感していた。正解なんてどこにもない。私にできるのはただそこに寄り添い耳を傾け、そして信じることだけだ。彼らが自分たちの力で花を咲かせることを。


その日の夜、私は一人静まり返ったコントロールームに残っていた。手元には本格導入に向けて改訂を重ねている『アフターケア・プログラム』の企画書。特にAIの彼のような顧客には、バーチャルな関係性の先にある現実の人間関係への橋渡しが必要なのではないか。そんな大それたことを考えながらパソコンに向かっていたその時。


ピロンと私のスマホが鳴った。画面に表示されたのは橘蒼太さんの名前。

『こんばんは、近藤さん。夜分にすみません』

そのメッセージに私の心臓がとくんと小さく跳ねる。


『新しい庭の調子はどうですか? そこで生まれた物語のこと、また聞かせてくださいね』


彼の何気ない一文が仕事でささくれ立っていた私の心を優しく撫でていく。私は少しだけ頬が熱くなるのを感じながら返信を打ち込んだ。

『はい。今度ぜひ。橘さんのデザインされた空間だからこそ生まれる物語がたくさんあります』

すぐに既読がつき、返信が来る。

『僕のデザインだけじゃありませんよ。近藤さんという庭師がいてこそです。僕たちはいいチームですね』


チーム。その言葉が私の胸に温かく響いた。私は一人じゃない。

『そうですね。最高のチームです』


その短いやり取りだけで私の心の庭には温かい陽だまりができたような気がした。私の奇妙で普通な毎日はこれからも続いていく。たくさんの愛と痛みと、そしてささやかな希望と共に。

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