もうすぐ、死ぬのかもしれない。そんな時、目の前に少女がいた。彼女も、死ぬのかもしれない
なんだろうか。実感が沸かない。
シャツは血なのか、汗なのか。べたついて不快感が増していた。
少しだけ、薄暗い駅の地下のホーム。いつもと変わり映えの無い景色だった筈の場所。
階段前のシャッターは降りていて、地上に上がることは出来ない。
響き渡るのは、聞いたことの無いような悲鳴と慟哭。倒れ伏し、諦めのついた生物の息遣い。
水たまりになったような血だまりは、踏まれる度にぴちゃぴちゃと波紋を揺らしていた。
命からがら電車に乗り込み、何処に向かっているのかも分からないまま——最後に辿り着いたのは、こんな異様な空間だった。
運転士は電車を停車させると、ベンチに座りこみ。『電車を動かせ』という誰からの説得にも応じようとしない。
閉じたシャッターの前では、ひとだかりが出来ていた。
その横には、人の形をした何かが、ボロ雑巾のように積み重なっている。
中には折れたホウキのようなモノが突き刺さった何かも存在した。
「何が起こってるんですか!? 何が起こってるんですか!?」
しきりに尋ねる女性の声。明確なのは、この場にいる誰もが、何が起こっているのかを知らないことだ。
「うるせえ、静かにしろ!」
誰かの怒鳴り声。ふと視線をシャッターから正面に向ければ。
僕の前に、両手を目元に当てる、くせっ毛の少女が居た。
「おかあさん、おかあさん」
しきりに、彼女は親の名前を呼んでいた。
だけど、彼女に向かって、誰も駆け寄っては来ない。
恐らく、あのシャッターの向こうで——それかあの積み重なった人たちの中に。
逡巡する中、シャッターの向こう側からタックルするような音が響いた。
すると、シャッター前にいた人々はたちどころに悲鳴をあげ、駅のホームから線路へと降りていく。
線路に降りた人たちは、そのまま頼りないスマホのライトを点灯し、線路を走って暗闇の中に消えていった。
シャッターは尚も揺れていた。その向こうから聞こえるのはうめき声に似た、獣のような叫び声。
幾度も揺れるシャッターはあまりに頼りなくて、僕は生唾を飲み込み、一人泣き続ける少女へと声をかける。
「……行こう」
少女は涙顔のまま僕を一瞥し、悩む素振りもなく服の袖をつまんできた。
「歩ける? ……おんぶしようか?」
返答は無かったが、僕がしゃがむと。彼女は僕の背中に乗ってきた。
危機が迫っているのには気が付いていたのだろう。泣き叫んでいた割には意外とドライだ、と感じた。
僕は線路を一瞥する。僕も彼女を背負ったまま、他の人たち同様に線路を降りるべきだろうか。
途中、一人ベンチに腰掛けた運転士が目に入った。
「運転士さん」
声をかけたが返答は無い。頭を抱えた状態で、そのまま微動だにしなかった。
「逃げないと……」
やはり返答は無い。僕はため息を吐くのも忘れて、そのままその場を後にしようとして。
「線路はダメだ」
運転士の消え入るような声音を聞いていた。
「え?」
「電車が……もうすぐ来るから」
「電車が? どういう意味?」
「この駅に」
ぶわっと。毛が逆立つような思いだった。
嫌な予感が、瞬時にパズルのように組み合わさって、みたいな感覚だった。
今、線路には。僕たちが乗ってきた電車が停止している。と、言う事は——
「ぶつかり……ますよね?」
僕の質問に、運転士は答えなかった。
僕は構内を見渡す。隠れられそうな場所は何処にもない。
その時、トンネルとなっている線路の奥。暗闇の方向から、絶叫するような悲鳴が聞こえたような気がした。
続いて聞き馴染みのある、電車のブレーキ音。
少女も状況を理解したのか、僕に回した手をぎゅっと強めていた。
「倉庫」
運転士が不意に立ち上がっていた。
表情を伺えば、今にもぶっ倒れてしまいそうなほど、真っ青だった。
運転士はふらふらとした動作で、ポケットから鍵を取り出し、壁に差し込んだ。
パかッと。構内にある隠し扉のような場所が開く。
ボウゼンとその様子を眺めていると、運転士は、真っ青な表情のまま僕たちを一瞥した。
「入りなさい」
逡巡する間も無かった。僕は少女を抱えたまま、光に吸い寄せるられる羽虫のように、その空間に飛び込もうとした。
しかし、その空間は……運転士の言った通り、所詮倉庫だった。
掃除用具入れのような空間で、バケツが一組に、箒やチリトリ。スプレーのようなもの。
僕と少女、運転士が入るには少し狭いくらいだった。
「ちょっと、下ろすよ」
しゃがんで、少女を下ろそうとすると、
「いや」
と、彼女は短く口にし、僕の背中から離れなかった。
もしかして、自分は入れてもらえないと思ったのだろうか?
「モノをどけるだけだから」
僕が説明すると、少女は渋々といった風に腕を離した。
僕は突っ立ている運転士に代わり、倉庫のような空間からバケツやら箒やらを全部構内へと放り投げた。
あらかた広くなった空間に、僕は少女を入れて——ふと思い立って、
「ちょっと待ってて!」
構内に飛び出し。近場に落ちていた、誰のものとも知れない残留物であるカバンを二、三個拾って、倉庫内に飛び込んだ。
すると、唐突に運転士によって扉が閉められ、視界は黒に染まった。少女が「ひっ」と悲鳴をあげる。
続いて、鍵の閉められる音がした。
「え、ちょ——」
「鍵。内側にもあるから」
扉向こうの運転士はそんなことを言った。
直ぐに運転士の、扉から遠のいていく足音。
「——電車が参ります、黄色い線の内側まで、おさがりください」
聞き間違え出なければ、運転士はそんなことを言っていた。
続いて列車のブレーキ音。
僕は暗闇の中、背後から、お尻のあたりにすがりついてくる少女を人形のように抱き寄せた。
「家に帰れる?」
少女の震えた声音の、問い。
答えは明白だった。家には帰れない。安全な場所など——安息の場所など、おそらくもうどこにも存在しないのだ。
未だかつて聞いたことが無いような、破砕音がした。続いて、すさまじい衝撃。暗闇の中、少女と僕は何度か尻が宙に浮きあがっていた。
△
どれくらい時間が経っただろうか?
少女の咳き込む音で目が覚めた。
覚醒状態になって初めての感想は、少女が咳き込むのも無理はないだろう、だった。
妙に埃っぽい。そして、扉の隙間からは熱を感じた。オレンジ色の光だ。
「火事」
少女が呟いた。そうだ。恐らくそうだろう。そうだから……ここから早いとこ、出ないといけない。
実際、急速に酸素が消費されているからか、息苦しかった。
「今から扉を開けるから」
そう口にした辺りだった。扉の奥では、複数人の、獣のようなうめき声が聞こえた。
……恐らく、それは奴らであろうことは明白だった。
もしかしたらさっきの衝撃で、シャッターが破壊されたのかもしれない。
「目を瞑って……僕にしっかり掴まるんだよ」
言うと、少女は首を振った。扉を開けたくない。そんな反応だ。
「大丈夫、大丈夫だから……」
抱き寄せて頭を撫でてやる。少女の震えは止まらなかった。
その時、僕の心中に去来した思い。
僕は、何故。
僕は、未だかつて。こんなにも勇敢だった時はあるのだろうか?
少女と出会うまで、アテも無く市街地を逃げ回っていた筈なのに。
「ちょっとだけ……外を確認するよ」
それが……今は、まるで映画の主人公のようなことを言っている。
土壇場で守る存在が出来たから、そんな感じの理由だろうか?
もしかして、これが本当の僕だったりして。
「開けるよ」
手探りで扉の鍵を探し当てる。
恐らく、な突起に触れると。音が鳴らないようにそれを回した。
続いて、回転式の金属ノブに手をかける。
一瞬、衝撃で立てつけが悪くなっている可能性が浮かんだけど、扉はスムーズに開いた。
そして目に飛び込んできたのは。
「グルッゥ……グウゥッ!」
目だまが濁り、体の複数個所を損傷した人の形をした獣たち。
彼らは、運転士の飛散した遺体を拾い上げ、貪り食っていた。
その背景には、衝突してへしゃげ、地獄の業火のように燃え盛る電車だ。
薄暗い構内は、その業火でオレンジ色の明かりで保たれていた。
燃え盛る車内の中には、黒焦げになりながら歩き回る人影が複数見えた。
ドクンッ。ボウゼンと、立ち尽くしたくなるのを堪える。
少女は悲鳴をあげなかった。
忠告通り、目を瞑っているに違いない。
ふと、僕が倉庫に入る前に放り投げたホウキが目に入った。
ゆっくりと拾い上げ、視線をシャッターへと向ける。
シャッターは予想通り、衝突した電車が突っ込んだのか、大穴が空いていた。
僕は音を立てないように歩き出す。自分でもびっくりするくらい、冷静だった。
自暴自棄とも言えるかもしれない。
僕の足は、自然とシャッター方向へと向いていた。
「グルッゥア、ウゥッ!」
しきりに背後では、何かが走り回っていた。
少女がギュッと力を強める。
彼女の足を何度も持ち上げながら、必死に歩みを進めていた。
——どれくらい時間が経っただろうか?
僕の牛歩のような歩みは功を弄し、大穴の空いたシャッターまでたどり着いていた。
ホッとするにはまだ早い。僕はガレキを避けながら、慎重にその穴をくぐろうとして。
「グルッゥア!」
一際大きい吠え声の様なモノが聞こえた。
続いてこちらに走り寄ってくる音。咄嗟に振り返ると、業火の炎をバックに、人型が何十体もこちらに向かってきていた。
何の拍子でバレたのだろうか?
僕は走りだしていた。
シャッターの穴をくぐり、かつてないスピードで階段を駆け上がる。
ダダダダダダッ。足を交互に振り上げる連続した音は、やがて、背後から迫って来る連中と合唱するように音を増した。
階段を登り終えた。途端に焦燥がする。電気の消えた構内。真っ暗で、明かりらしきものは伺えない。漆黒と表現するのがふさわしい空間だった。
しかもその漆黒からは、複数の獣の声がした。
何故かその時、僕は家の冷蔵庫に残した、明太子のことを思い出していた。
これが走馬燈なら、なんてつまらない人生だろう。そんな感想を浮かべた最中。僕は漆黒に足を踏み込んでいた。
△
人生で一番に集中していた。
通勤で飽きるほど、何度も通った構内。目隠しして、誰にもぶつからずに、地上まで駆け抜けろ。
そんなことをしろと言われたら、思わず『ムリですよ』と、苦笑してしまっていただろう。
だけど、どうだ。獣の気配を感じ、それを避け。見えていないハズの通路をスイスイと駆け抜けていた。
周囲の獣は、僕を探してはいるが、見つけられない様子だった。
朗報だ。どうやら連中も、夜目は利かないらしい。
少女が何かを喋ったが、聞き取れなかった。
気づけば僕は、そのまま勢いのまま構内を駆け抜けて。
無事、地上にあがる階段にまで到達していた。
暗闇に慣れていた分、地上から漏れる光は眩しかった。
吸い寄せられるように階段を駆け上がり、そして。
地上は火の手があがっていた。渋滞の中、横転した車。そこらじゅうに転がる死体。
もう、一通りイベントは終わったのか、悲鳴は聞こえなかった。
人の形をした、獣の姿も見えない。
「うしろ」
少女の囁き声がして、振り返る。
すると、一人の獣が、地下の階段を駆け上がりながら、大きく口を開いて迫ってきていた。
僕は思わず蹴りあげようとして、自分の手に握られた棒を思い出していた。
大きな口めがけてそれを突っ込む。獣の苦しそうな声がした。そのまま押し出すと。
獣は、バランスを崩して、階段から転がり落ちていった。
僕はそれを見ながら。
「お家はどこ?」
少女に尋ねていた。たった今、獣を華麗にいなしてみせて自信が沸いてしまったのろうか?
もし、そうなら少し傲慢なのかもしれない。
「……大丈夫」
しかし、返ってきた返答は予想外のモノだった。
少女はしきりに、家に帰りたいと言っていたハズだ。
だけど、急にどうしたのだろう。
「あそこにあるから」
少女が指を指したのは、見上げるくらいの、巨大なタワーマンションだった。
タワーマンションからは火の手があがっていて、複数の窓からは絶望したように町を見下ろす影が見えた。
……確かにあそこに帰ったところで、どうにかなるとは限らない。
地上の様子を見て、少女も思い直したのだろう。
それか、絶対不可能だと悟っていた生存に、現実味が帯びてきて。
より、助かりそうな選択肢を選んだのかもしれない。
もしそうだとするならば——
「じゃあ、行こうか」
僕は少女を背負ったまま、タワーとは反対方向へと歩き出す。
アテは無い。またいつ獣が襲ってくるかもしれない状況下だ。
どこに逃げればいいのかも分からない。
だけど僕は、少女に向けて何か知った風に……頼りに見える大人みたいに見せながら。ひたすらに歩き続けていた。
「お母さん、死んじゃった」
そんな少女の呟きを聞きながら。
お読み頂きありがとうございます。
面白いと思っていただけたら、幸いでございます。
——因みに、他に小説を書いていたりします。
興味がありましたらチェックして頂けたら
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