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(未練だな……。退治屋はやめたはずなのに、身体が疼く)

 仔細を知るため、今すぐ飛んでいきたいほど関心はあったが……

「悪い。今は立て込んでいて、ここを離れられない」

 話す間も惜しんで平次はきょろきょろと四方へ目を向け、歩を進めた。何かお探しで、と佐之助が隣に並ぶ。

「人を探している。たえという女性が昨夜から行方不明だ。口元にほくろがあって、はきはきした方で」

 平次が右手で口元を指差していると、少年の足が止まった。難しい表情で、目線を路上へ彷徨わせている。心当たりがあったようだ。平次は少年の細い肩を思わず掴んだ。

「どんなことでもいい、教えてくれないか!」

 揺さぶられた佐之助は僅かに迷い、面を上げた。

「それをお教えしたら、すぐに出立して下さるとお約束いただけますか」

 平次は即答できなかった。あまり古巣とは関わりたくないのが本音だ。しかしたえのことは気にかかる。六郎爺さんの、覇気のない姿は見ていられなかった。子どもたちの泣き声も。

 彼らは平次にとって憧れるものの塊だった。賑やかで明るい家族と、固く結ばれた絆。あの輪を守るために、出来ることなら何だって力になりたい。

 迷ったのは刹那だけだ。いいだろうと重々しく了承する。佐之助が小さく息を吐いた。生来、駆け引きを持ちだせる性分ではないのだ。

「平次さまの探し人かどうか存じませんが、こちらへ向かう途中、女性をお助けしました。この町から東にある山間やまあいの中ほどです。妖に襲われていて」

 平次は息を飲んだ。しかし、少年の続く言葉に安堵する。

「ご無事です。多少怪我は負われてますが、命に別状はありません。しかしずいぶん恐ろしい目にあわれたようで……口がきけず、重蔵さまと日和ひよりさまが保護されてます。お名前はわかりませんが、口元にほくろが」

 重蔵は妖に怯える女性を放っておけず、平次の元へ向かうのを諦めたらしい。重蔵本人が、本来ならここへ現れるはずだったのだ。

 平次は苦笑した。平次の知る重蔵は、もっと武骨で気の利かない男だった。それが妻の日和を娶ってから、人が変わったようだ。音沙汰なく行方をくらませた平次を案じ、再会後はまめに土産を送ってくれる。面倒見が良くなった。今回は代理でやってきた佐之助のことも、大切にしているのだろう。少年にすれたところがないのは、その証拠だ。

(俺たちのときとは違う形を作ってんだな、お前)

 思わず口元が笑みの形になっていた。

 平次が佐之助ほどの頃は、荒んでいた。怪我など日常茶飯事で、妖と聞けば西へ東へと奔走した。ただただ強さを目指し、妖を憎む日々は、人の情やぬくもりを忘れるには十分過ぎた。笑いかたさえわからなくなるほど、心が疲弊したものだ。

 そんなことではいけないと諭してくれたのは、重蔵の妻である日和だったか。彼女がいたから、緩やかに平次や重蔵は『人間』へ戻れた。

「日和さんが一緒なら心強いな。ありがとう、佐之助」

 佐之助は目を伏せた。

「自分は何もしておりません。それに、その女性が探し人かどうかも……」

 わかっていると平次は小さく告げて、踵を返した。もう少し先が『彼女』のよく現れる場所だったが、向かわなかった。町を離れるためしばらく会えなくなるが、それは承知の上だ。

 六郎爺さんにこのことを伝えるほうが先決だった。

(もしかしたら、派手なことになるかもしれない)

 一抹の不安を宿らせながら、平次は駆けた。





 ひげ男の姿をもうずいぶん見かけなくなった。あの問答で追いかけ回すのを止めたのか。二三日置きに顔を合わせていた分、いないと物足りなく感じられる。だが、時間が経つと慣れるはずだ。

 平次と名乗った男と出会う前の日々に、戻るだけなのだから。

 俺は、お前が人を狩る姿も見たくない。

 妖の本能とも呼べるそれを否定する台詞が、ふと思い出された。人形を取る気になれず、影法師は影の中をたゆたいながら思う。もしかしたら、奴はもう現れることもないのかもしれない――と。

 そのほうが良かった。

 人の考えに触れて揺らぐなど、弱い証拠だ。あってはならない。

 町の方もざわついたままだ。『影法師』が活動しなくとも妖の動きは活発になっている。東から追われた連中は余程酷い目にあったのだろう。人間へ報復するように、襲撃を繰り返していた。小物たちが多いため、いたずらの域で済んでいることもあるが。

(ふん、うじゃうじゃおるわ。まったくもって騒々しい)

 先だって平次が口にしていた棺桶や、影法師が見た人の死体。あれに影法師は関与していない。最近は狩りを控えていたのだ。少し前ならそれらは全て影法師の仕業と呼べたが、今は違う。

 妖たちのさざめきが徐々に激しさを増している。それは疑いようがなかった。

(なぜ人間は、これだけ妖がいて気付かんのか)

 町を緊張が包んでいた。一触即発の空気がぴりぴりと肌を刺す。『影法師』の名も霞んでしまう程の変貌だ。今も妖たちが、町を練り歩いて標的を探していた。昼日中であってもその活動は広がりつつあった。どこでも妖がいる。大通り、狭い路地、商店、軒先、屋根の上、空、水の中、木の上……、酷い奴は人の頭をひょいひょい伝って移動していた。

 目に余る光景だ。これが、普通の人間には見えていない。

(よそ者が息巻いておるな。まぁ、わしもよそ者ではあるが)

 中級の姿もちらほらあった。人の姿に化けて夜の街を闊歩している。

 小物とは一線を画した連中が中心となって、何やら目論んでいるようだ。まとまりのない妖を束ねるには、力に訴えるのが手っ取り早い。影法師は心当たりをいくつか思い浮かべた。

 東にいた妖で、元々人を毛嫌いし、力のあった妖は……

「おい、聞いたか。火渡さまがついに人間への意趣返しをされるらしいぞ。腕自慢を集めてられるんだと。行くか? 行くよな」

 人形を取ってうろつくと、見知らぬ妖に声をかけられる機会も増えた。今回は上手く人に変化した妖だった。影法師を妖と見抜いた力量は認めざるを得ないか。どうやら彼らは、東の地の奪還を画策しているらしいのだ。

(火渡だったか。血迷いよって)

 そういえば、怪我を負ったと噂を耳にしていた。まさか奴が動くなどと。

 百年ほど前は、人狩りの数を競ったこともあった。人形をとっていないときは猿のような姿をしており、炎をともした長い尾を自慢していた。火を喰らい火を操る力を持つ。『火渡』の名はそれに由来したものだ。

 奴は好戦的であったが、決して短絡的ではなかったはず。

(割りを食うたな。そんな柄でもあるまいに)

 群れを必要としない強さを持った昔馴染みが、引き返せない坂を転がり落ちているようで胸騒ぎがした。火渡はそこまで面倒見の良い奴だったか。それとも、東の出来事は奴の怒りを買うほど熾烈だったか。

(縄張りを荒らされ、己を傷つけられては大人しく出来なんだか)

 そして担ぎあげられた。囃し立てる妖たちの無責任さを見逃すほど、愚かな奴ではなかった。きっと奴なら全力で――それこそ己を燃やしつくすまで――人間を襲うに違いない。どこまでその勢いで突っ走れるか。

 考えにふける影法師は、傍らで勧誘を続ける妖には目もくれず路地へ入った。そのまま影へと沈む。その肩を、がしりと掴まれた。

「腰抜けめ。人間ごときに恐れをなしたか。見かけ倒しかお前の力は」

 影法師は表情のない面をそちらに向け、唇だけでうっすらと笑みを作った。

「群れんと何も出来ん臆病ものはそちらであろう? 礼儀もなっとらん雑魚になど構うてられんわ。とっとと去ね、下郎」

 露骨な侮蔑に、妖が気色ばんだ。人の姿が一瞬で崩れ去り、妖の本性が剥き出しになる。人の手だったものが鎌のような刃へ変化した。

「言わせておけばぁ!」

(ふん。この程度の挑発もかわせんとは、小物にも程がある)

 影が唸ると、邪魔ものが排除されるのにいくらも時はかからない。妖の喉元に影が迫ったのは一瞬だった。つ、と錐のように尖った影は、妖の喉を貫く寸前で動きを停止した。ぞわりと、路地を埋めた影が蠢いた。足元から伸びあがった影、側面に迫った影、せりたった屋根から手を伸ばすようにうねる影。……妖は影法師の腹の中へ飛び込んだとようよう悟ったか。

「じょ、冗談だ……本気ではなかったんだ……冗談だ」

「わしは今、虫の居所が悪いぞ? 不快にさせるならばそれ相応の報いを受けてもらうが、良いのじゃなぁ?」

「頼む、助けてくれぇっ!」

 無様に震えあがった姿が、多少の溜飲を下げさせた。手足の一本を千切ったとて死にはしないが、闘志の失せた輩をいたぶるのもみっともない。影法師は、影の中へ身を沈めていく。

 大体の妖は、影法師がその力の鱗片を見せただけで、尻尾を巻いた。影法師の名を知って平謝りするものもいた。名を上げようと、影法師を喰らおうと狙ってくる愚か者もいたが、それは少数だ。警告したのに逃げなかった妖は、問答無用で叩きつぶしてきた。相手の力量も悟らずに絡むからじゃ、下種が、と影法師は腹の底で罵って。

 すべてが煩わしく、苛立ちが治まらなかった。絡んでくる妖がいると、鬱憤晴らしに好都合だったほどだ。しかし、心に広がった虚無感がそれさえ削いだ。影法師は人形になることもなく、影の中をたゆたう日々が増えていく。

(そろそろ潮時なのかもしれぬ)

 そう何度も影法師は己に言い聞かせた。ここを立ち去るべきだ、と本能が告げているのだ。じきにとんでもないことが起こる。そうなる前にさっさと町を出ろ。引き際を見誤るな、と。

 だが、動く気になれなかった。

 平次の姿が、平次の声が、ちらつく。

 自分がどうしたいのかわからないまま、数日が過ぎ――馴染んだ気配を感じ取った。





「やっと見つけた。おおい」

 夏の終わりが近づいたその日、見知らぬ男が息を切らせて現れた。少し釣った目だが、すっと鼻筋の通った若い男である。真黒な女の姿をした影法師は、じっとその姿を見つめた。少し前から察していた気配は、馴染みあるもの。しかしこちらへ一直線に駆けてくる男の姿は、全く見覚えがない。

「怪我! 怪我はしてないな。大事はないな?」

 汗を滴らせた男は、がっしりと影法師をつかんで上から下までを見つめ、胸をなでおろした。その手をゆっくりと払う影法師に気付き、「悪い」と一歩後ずさる。それでも気が気じゃないのか、ちらちらと影法師を男は窺っていた。

 その顔を、困惑交じりで尚もじいっと見つめていると――男の方が狼狽し始めた。

「変? やはり変なのか。剃らなければよかった!」

 それとも……まさか久方ぶりで忘れられた? とおどおどしている。

 その言葉で誰だか判明し、影法師は驚愕した。平次か。気配でもしやと疑っていたが、身なりを小奇麗にしただけで別人のようではないか。

(このような顔をしておったのか)

 重い前髪とひげでずっと人相が不明だったのだ。驚きを隠せない影法師の反応に、平次は複雑そうな面持ちを一転させた。くしゃりとした笑みになる。日頃見ていた男の笑みはこのようなものだったのか、と不思議な心地になった。同時に、懐かしさも込み上げてくる。たかだか七日程顔を合せなかっただけなのに。

 短い髪で無理やり作った髷は少年のようだった。後頭部にピンと跳ねた短い毛先を見つけ、影法師は噴き出していた。何やら可愛らしい。笑うつもりなどなかったのに、止まらない。もっと年かさの男だと思い込んでいた。三十路はとうに超えているものだと。もしかしたら予想よりいくらか若いのではないか。

「なんじゃ、ぬしはまだ小僧であったか。気づかなんだわ」

 ぽてっと深く考えずに落ちた言葉は、思いのほか男を傷つけたらしい。

「小僧じゃない! だ、だから顔を出すのは嫌だって、何度も言ったのに!」

 かあああ、と耳まで赤くして、平次は髪ひもを解いた。たちまち顔が半分隠れた。さらに両手でぐしゃぐしゃかき回すと、見慣れた鳥の巣になる。ああもう、日和さんも佐之助も、俺のことなんか気遣わなくていいって何度も言ったのに、とぶつくさ言っている。

 どうやら男の意ではなかったらしい。

「何故隠すのじゃ。そのままにしておれば、可愛がられようぞ?」

「何のために、誰から可愛がられるんだよ。このなりは……、そう、仕方なくやってるんだ。俺にも都合ってものがあってだな」

 影法師がほほう、と含み笑う。何故そんな格好をするのか尋ねると、怪しい風体をしていると変な奴が寄ってこないからだ、と即答された。ざんばら頭にも意味があったようだ。童顔なのか見たままの年齢なのか影法師には判断つかないが、呆れ眼で指摘してやった。

「何を申す。ぬしは言動がすでに怪しかろう?」

 今更取り繕う外聞などあるまい。十二分に変人じゃ、と影法師が断じる。

 夜な夜な妖を追いかけているのだ。人相の定かではない浮浪者を演じるには好都合であったか。少なくとも物取りにあう危険はぐっと減るだろう。街でも夜道は危険が付き纏うものだ。



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