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 平次はちがった。

 妖だと了解していてそう言った。

 複雑そうにひげ面を見つめた影法師は、ふいと水面へ視線を投げた。

「名を知りたくば、探るのだな」

 真名が漏れるはずないと確信しての台詞である。そうか、教えてはくれないか、と平次が苦笑した。

「なぁ、せっかく会ったんだし飯を食いに行かないか。腹が減っているんだ」

「断る」

「なんで」

 以前なら即答した時点で平次は諦めていたが、今日は妙に食い下がる。

「やかましいからじゃ。声をかけられるのも鬱陶しい。落ち着かぬ場所は好かん」

 常連の客が入り浸る場所に混ざると、影法師の存在は奇妙に浮いた。やはり人形ひとがたでは違和感があるようだ。だがそれに溶け込むことは案外簡単なのだ。笑みを浮かべ、他人の話に合わせる。もしくは煽てる。それだけで人は影法師を輪の中へ入れる。

 だが、狩りでもないのに気が乗らない。目的もなく踏み込みたくはない。人の食事に興味はあったが、煩わしいのだ。日暮れを眺めている方が、よほど好きだった。この時間帯は、影が良く伸びる。侘しい風景が不思議と気を休めてくれる。

(それに近頃はざわざわと落ち着かぬ。先日の小物もそうであったが)

 街に人が増えたような窮屈さがあった。狩りを控えた矢先にこれでは意味がない。影法師の憂鬱はまさにそこだった。

「じゃあくつろげる店なら構わないのだな」

「店による。……この近辺にはあるまいて」

 ぐう、と平次は黙り込んだ。この町は朝に小ぢんまりした市場が開かれ、慎ましやかな商店も並ぶが、都ほどの賑わいはない。夜まで開いている食事処は当然存在しなかった。今頃どこも店を閉め始める頃合いだ。落ち着いた食事は望めない。

 心ここにあらずといった風の影法師を覗きこみ、平次はぱんっと両手を合わせた。

「わかった。じゃあ何か持ってくるから、見つけてくるから、待っていてくれ。必ずここにいてくれよ。消えてるのもやめてくれよ。探すの大変なんだから!」

 頼むからな、と拝むように念を押され、鬱陶しげに影法師は手を振る。さっさとどこぞへ行ってしまえ、と。だが、たったったと駆ける背中を見送る影法師の表情は、柔らかい。大変か……とわれ知らず落としていた。

「おや、あれが次の獲物ですか」

 他人の声が、すぐ傍から発せられた。いつの間に現れたのか、女がしっとりと寄りかかっていたのだ。驚きに影法師は目を瞠る。女は悪戯が成功した子どものように、ふふふ、と笑い声を上げた。その正体を看破し、影法師が眉宇を潜めた。町娘の風体をしていたが、これも妖だ。影法師は女を邪険に払った。心ない仕打ちだが、女は長い髪をなびかせながら嫣然と微笑む。

「お久しゅうございます、影法師さま。ふふっ、相変わらずつれない態度。韓耶からやは寂しうございます」

「何用じゃ」

 影法師は飛びついて来た女を引きはがそうと、その額に手のひらを当て、ぎりぎりまで遠ざけた。韓耶は女の髪を好んで集める妖怪だ。今も自慢の髪を振り乱していたが、それが風に流れてまとわりつくので、影法師は我慢ならなかった。位置を入れ替え、距離を一人分置いて、やっと思い当たった。これの住処はもっと東の街だったはずだ。なぜここで遭遇するのか。

「用などと。影法師さまをお見かけしましたので、ご挨拶に」

 すり寄られ、影法師が僅かに顔を引きつらせる。勘を働かせて、ふわりと女は上空へ舞い上がった。女のいた場所で恨めしげに影がうねっている。内心で影法師は舌打ちした。気軽に寄って来ぬよう、足を縛りつけようとしたのに。

 くすくす笑う韓耶は鳥の眷族だ。小さな姿で普段は空を舞うため、影法師の影に捕らわれにくい。空中のものを感知するのは、影法師の苦手とするところだ。先ほど突然出現したのも、空から降りてきたせいだろう。敵わないなと影法師が降参すると、韓耶は微笑みを一転させた。すっと降りてきて、影法師の耳元で囁いた。

「あちらで大規模な狩りがございました」

 狩り、と影法師は不快さを露わにした。この場合の狩りは妖が人を襲ったのではない。人が妖を狩ったのだ。

「酷いものでした。唐突に住処が方々から浄化され、逃げたところを端からなぎ倒されて。何の力も持たぬ妖まで、無差別に襲われたのでございます。追討してくる輩も多く、みな決死で逃げて参りました。……あの火渡さまもお怪我を負われたとか。ここらも妖が増えたのではありませんか。私も西へ向かおうかと」

 火渡が? 影法師は耳を疑った。緋色の髪を揺らめかせた男を、刹那思い描いた。影法師とも縁のある妖である。実力は影法師に勝るとも劣らないものだ。それが――と驚愕したが、同時に頷けるところもあった。近頃小物たちが騒々しかった原因が、腑に落ちたのだ。よそ者が増え、自らの領土を奪われまいと奮闘していたのか。

 厄介なこととなった。

「あの……それと影法師さま。先ほどの人間、何やら少し毛色が変わっているように感じられましたが……」

 韓耶は鳥の姿に戻って空中に羽ばたき、影法師の肩に止まった。コルリに似た可愛らしい小さな青い鳥だ。通常の鳥ならすでに巣へ戻っているところだが、妖にそれは関係ない。韓耶は小首を傾げ、しばし言い淀んだが、結局止めたらしい。話題を転換した。

「東のほうでは狩りが盛んになってございます。影法師さまであれば返り討ちにすることも容易いでしょうけども、くれぐれもご用心くださいまし。凄腕の術者もいたと耳にしておりますゆえ。……では、仲間を待たせておりますので」

 ご挨拶までとの宣言通り、それだけ告げて空へと舞い上がっていく。二藍の広がる空には、小さな鳥のようなものが数匹韓耶を待っていた。その姿は雲間に消えてしまう。安息の地を求めて旅立ったのだ。

(東か)

 小耳にはさんだ例の退治屋が立ち去った方角を、確認していなかった。東へ向かう道すがらこの町へ寄ったのだろうか。

「よかった、まだいてくれた」

 ちょうど息を切らせた平次が戻ってきた。手に包みをいくつか抱えている。

「酒と、つまみを持ってきた。外で食う分にはいいのだろう。付き合ってくれ」

 意味深く見つめていると「烏賊は嫌いだったか」と男がしょげてしまった。慌てて否定すると、よかったと苦笑する。その薄い反応が少々引っかかった。帰宅する間に何かあったのか。態度がぎこちないのだ。橋の欄干に腰を落としたひげ男は、どこか思いつめた様子で注いだ酒を呷っていた。つまみにはろくに手をつけようとしない、自棄になったような飲みっぷりである。

「――なぁ、どうして妖は人を襲うのだろうか」

 影法師の顔から、笑みが引いた。すうっと表情が消えた後には、冷たいものしか残らない。

「どうしても、人は狩らねばならないだろうか」

 これは影法師の本質へ切り込む問いである。普段、男は影法師に何かを望んだりはしなかった。会話のない日もあった。ただ傍にいて、酒や点心がなくなると、時間切れだとでもいうように去っていく。当然だろう。二人には共通の話題がない。妖と人。それぞれ見ている世界が違う。

「異なことを言う。ふふ、わしらが恐ろしゅうなったか」

 軽口をたたいた。この男は恐怖に耐える精神力を備えている。死を意識して受忍する度胸もある。喰うにはつまらない相手だ。少し凄んだけで盛大に驚いてくれる相手の方が、余程愉快である。

「俺のことはどうでもいい。人は、狩らねばならないものかと聞いた」

 男をしばし見つめ、くっと影法師は口角を押し上げた。

「妖とは、人を襲うものよ」

 男は反論しなかった。影法師は胸の内で別の言葉を反芻する。妖とは、人と関わるものよ、と。人の恐れが、人の血肉が、妖を強くする。己を高めるために人を利用するのだ。妖同士ならば、弱者が呑まれた相手に併合される。そのため妖は、敏感に相手の力量を察知するのだ。敵わないと悟ったら、気づかれぬ間に撤退する。弱ければ喰われる。

 しかし人の多くは妖に対抗する手段を持たない。狩り放題だ。時折退治屋などいるが、それらはほんの一握りだった。この差は大きい。

 男は、ぽつりとこぼした。

「戻る途中、棺桶を見た。その身内が泣いていたんだ。妖に襲われたのだそうだ。俺は目を離せなかった。珍しいことではないが……見知らぬ者であっても悲しむ誰かがいる光景は、見ていて辛い」

「関係ないものであろう。なぜぬしが気に病む」

 素っ気なく言ってから、影法師は気まずさを補うように口を開いた。

 今日の自分は、何やら饒舌だと苦笑しながら。

「本当に妖であったかわからぬであろう。人は殺しあうもの。わしらが狩る数以上に、ぬしらは同族を屠る。山となった死体を見たことがないとは、言わぬよな」

「動乱の世だからな、人は大勢死んでいる。だが、必ず悲しむ誰かはいるんだ」

 それがどうした。

 喉元まで出かかった台詞を、かろうじて影法師は呑み込んだ。そして言い換える。

「……ぬしにもおるのか」

 しばしの沈黙が落ちた後、もういないと男は答えた。

「惜しんでくれる奴はいても、守りたかった身内はみな逝った。だから、こんなことを思うのだろう。お前たち妖は、仲間が死ぬと辛くはないのか。悼まないのか」

「なぜ辛くなるのかわからんな。悼むとは?」

 さらりと口をついて出たが、影法師は先日見かけた子ども瞼の裏に描いていた。その子どもは、男の遺体に縋りついて泣いていたのだ。年齢からして父親だろう。母親の姿はなかった。耳障りな泣き声に苛立ったものだ。その遺体は子どもから引き離されて、町から離れた墓地へ埋葬されると聞いた。

(野辺送りに墓か。そんなもの、いつ頃からできたのか)

 少し前までは野に打ち捨てられていた死体が、この頃は埋葬され始めた。野ざらしにせず、墓をたてるのだ。誰のものとも知れない山となった死体さえ、近隣の者が埋めてやっていた。死体が放置されると善からぬものが出てくるらしい。それなら埋めればよいだけだ。墓を立て、供養までする理由が、影法師には不可解でならなかった。

 霊というものがあるのだと云う。魂というものが。

 それは理解に苦しむ。霊だと人が錯覚する不可思議なことの多くは、妖が関係していた。それを勘違いをしているのか、そうであって欲しいと願っているのか。

 死んだものに、人は礼を尽くす。花を手向け、死を悼む。両掌を合わせ、涙を溢れさせる。

 泣き喚いていたあの子どもも、いずれ花を摘んで墓へ足を運ぶのだろうか。

(生きている側の儀式としか思えぬよな)

 死ねばそこで終わりだ。坊主が経を唱えると、死者の魂は極楽浄土へ向かうらしいが、胡散臭く感じないのだろうか。確かめたこともあるまいに、ありがたがって拝聴する者たちの多いこと。極楽浄土がどんな地か知りもしないのに、都合良く事実を捻じ曲げている。

 なぜ、と逆に問われた男は目を眇めた。

「喪失を恐れないのか。それとも、その恐怖を未だ知らないだけなのか」

 影法師は鼻白む。男に憐れまれているようで、面白くない。

「俺は、お前が人を狩る姿を見たくない。血に濡れた姿は美しかったが、同時に恐ろしく悲しくもあった。そうせねば生きていけないなら口を挟めない。だが人じゃなくとも良いなら……」

「好物を前に控えよと強要するか、人間。ぬしにわしを止められるか」

 男がハッと息を呑んだ。

「人も魚や鳥を狩っておるなぁ? ほれ、この烏賊はどうじゃ? 無残に喰われてしもうたわ。哀れよの、海を泳いでおったのに」

 烏賊の足をつまみ、あーん、と影法師は大きく口を開ける。ばくりと呑みこんだ。生命を惜しむなら魚や鳥も同等とみなすか。それらを憐れんで漁を止められるか、と問いかけているのだ。人間も、多種多様な糧を得て生きている。妖もそれは変わらない、と。

 男は言葉を失ったように、ただただ影法師を凝視している。

「命に優劣をつけるか、人間。ならばわしらがそれに従う道理はないわな」

 人が生み出したことわりに従う謂われはない。人が己の命惜しさに他の生物を脅かす限り、妖にそれを説くことはできない。妖を順わせるには、力で屈従させるか、益を見出させるかのどちらかしかない。

(もしくは……折れてやるかじゃな)

 妖が自ら膝を屈するに値する相手であるかどうか――

 最後の烏賊を嚥下し、影法師は男へと改めて向き直った。愕然と項垂れている男は、己の傲慢さに気付いたのか。影法師は冷静に次の言葉を待ったが、男はついに発することができなかった。

「ほれ、酒がもう空じゃ」

 男が持ってきた徳利を、影法師は逆さに振った。空のそれを男へ投げ渡す。この話はここで打ち切りという意思表示だ。訴えかけるような眼をしている男へ「もう帰れ」と告げた。なぜ、と問われる前に口を開く。

「ぬしの話はようわからん」

 男は、酷く悲しげな顔をしていた。





 ぬしの話はようわからん――

 拒絶の言葉が、平次を揺さぶる。予想以上に衝撃を受けた事実に、しおたれていた。追いかけて、追いかけて、手を伸ばして、ようやく届きかけたところを、ばしんと叩き落とされたような気分だった。寝起きは最悪で、ため息が止め処なくあふれ出る。



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