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「おおい、やっと見つけたぞー」

 喜々とした声をかけられ、影法師は振り返った。細い路地の向こう側に予想通りの顔があって、内心でげんなりする。


 あの遭遇以来、ひげ面の男は幾度となく縄張りへ姿を現した。獲物を得るため、場所を変え形を変える影法師を違えない、恐ろしく勘の良い男だった。神出鬼没の影法師の居所を「何となく」で突き止めているのだから。


 最初は、遠くから視線を感じる程度だった。敵意もなく悪意もない視線である。狩りの邪魔にならないならば、と放っていた。それが数日続くと、一定の距離からすうっと消えてしまう気配を察するようになった。視線の主はこれか、と当たりをつけた。影法師は他の妖より『鼻が利く』のだ。嫌でも奇妙な存在を意識するようになった。


 また来ている。

 そう気づく機会が徐々に増え――影法師が根負けした。鬱陶しいにも程がある、と捕まえて一喝したのだ。それが不味かった。身構えていた男がぱああ、と笑みを広げる。

 わかった。隠れなければいいんだな。ひげ面が神妙に頷き、以来たがが外れたように男の追跡は執拗になった――


「あ、その人は?」

 路地の影で気付かなかったのだろう。ひげ男の出現にぽかんとしていた男は、誰何されて影法師をつかんでいた手を放した。じりじりとにじり下がり、背後が行き止まりであると気づくと、ひげ男を突き飛ばす勢いで駆けていく。


「何だあいつ……」

 商店の並ぶ表通りからいくらか外れた、細く人通りのない路地は、しんとした空気が漂っていた。多くの人々は屋内へ閉じこもり、身体を休めている刻限だ。ここなら人目につくことがない。偶然通りがかったとしても、誰かがいると気づきにくく、逢瀬と知れたなら遠慮するのが人情である。


 それを、この男は抜けぬけと。


「すまん! 決して悪気があったのでは……あ、いや、あったかもしれない。あったかもしれないが、わざとでは――」

 影法師は、ひげ男をひっくり返した。影で足を払ったのだ。不意の攻撃に腰をしたたかに打ちつけたのか、悲鳴が上げる。その首に路上から伸びた影が巻きついた。


「どういう了見か言うてみぃ。聞くだけなら聞いてやろうぞ」

 もっとも聞くだけ聞いて、殺してしまうかも知れんがな、と影法師は腹の底で呟く。

 男の首を影できりきりと絞め、胸元に足を置いてやった。落ちてくる髪を耳にかけ、男の顔が良く見えるよう顎を指で上げさせる。すると男は、もがきながらも困惑に目を泳がせた。ちらちらと視線で訴えてくるので影をゆるめてやると、

「その、前かがみになるのははしたないと思う。もっと慎みを……ぐえっ」


 前髪で隠れて判然としないが、大真面目に言ったのだろう。ひげ面は影法師の胸元を見て、頬を染めている。あまりに馬鹿馬鹿しく、首に巻きつけた影を使って影法師は男を放り投げてしまったほどだ。

 男は喉を押さえ、激しい咳を数度してふらふらと立ち上がった。


「こそこそ隠れると怒るから……堂々とやってきたんだ。その、土産付きで。狩りの邪魔をしたつもりは、なかった。だが俺は、お前が他の男といるのは面白くないんだ」

 弱々しい響きが一転して、きりりとした顔つきになっている。


「……は?」

「一目惚れだ。俺はお前が好きなんだ。……こんな経験は初めてでどうしたら良いかわからん。何分不慣れで……自分でも挙動不審の自覚がある」

 大まじめに戯言をぬかした。男が抱える布包みから、ぽろりと一つ、何かが転がり落ちる。


「琵琶だ。知り合いに分けてもらった。妖も人間と同じものを食べられると聞いたことがある。どうだ」

 影法師は不可解な生物を眺めるように男を上から下まで一瞥した。やり取りに飽いたとばかりに路上へ身を沈める。それを予想していたのか、消えようとする影法師の手に無理やり琵琶を一つ、二つと置いた。


「甘くて美味いんだ」

 影法師は眉根を寄せ、手のひらから足下の影へまるい実をぽとぽとと落とした。実は影へ沈む。喰うならば、これでも十分だ。ひげ面は困ったように笑った。





 影法師は人を貶めるのに躊躇いがない。人同士が殺しあうのを眺めるのも好きで、諍いの種は率先してばら撒いた。必要とあらばその身を委ねることもやってのけた。

 影法師にとって、人形ひとがたが肉欲の対象であっても瑣末なことだ。それによって餌が踊るなら、より美味くなるなら、より長期的に楽しみを得られるなら差し出すことを厭わない。


 気が乗らなければすぐに喰らった。断末魔を響かせぬよう口を封じ、じわじわと嬲り殺すことが好きだった。しかし、そのどちらをもひげ面は破壊していく。


 時と場合を選ばず現れて、戦慄く影法師へ「すまん」と詫びると、魚介類や酒、甘味をご機嫌伺いに差し出すのだ。それがときに珍しい黒砂糖や、果実になることもあった。

「おおい、今日はわかりやすいところにいたな」

 また来たな、と影法師は苦い一瞥を向ける。


「なんだ、今日も男か。最近は男でいることが多いなぁ。それで女じゃなく男を釣ってるのは面白いが……もう女にならないのか?」

 目元の涼しい男に化けた影法師は、不機嫌に獲物から手を放した。獲物は突然の乱入に恥じ入って、そそくさと逃げていく。ひげ面がやってくる度この始末だ。


 稀にひげ男を追い払おうとする猛者はいたが、できなかった。場を変えてもしつこく付いてきたし、凄みは利かない。殴りかかったなら、「うひゃあ、お助けぇ」等とみっともない悲鳴を上げて逃げていく。

 そして、そろりそろりと戻ってくるのだ。少し離れた位置に陣取り、へらへらと笑みを貼りつけ、

「じゃあ向こうで待ってるから、用事が終わったら呼んでくれ」


 しゃあしゃあとそんな案まで持ち出してくる。獲物は傍若無人な振舞いに気色ばんだが、夜であることと己の立場を思い出したのだろう。騒ぎを起こせず、すごすご去っていく。


(邪魔しくさって、なんぞあれは)

 怒り心頭の影法師にも、尻込みせず笑いかける度胸は大したものである。影法師は、その気になりさえすればいつでも人を喰えるのだ。それは、ひげ面であっても変わらない。


「わしの姿など関係なかろう。ここぞと言う時ばかり現れよって」

 返答次第では八つ裂きにしてやると、触手のような影がゆらゆらと蠢く。岩をも切断する影だ。その恐ろしい凶器を前に、男はあっけらかんと言い放った。


「その姿も美人ではあるが、女の姿のほうが美しかったと言っているんだ。勿体ないと思うのは当然だろう」

 呆気にとられた影法師は、まじまじと男を見つめた。

「それに、惚れた相手が他の男と一緒にいて面白いはずがない」

「……死ぬか? 死にたいのか?」

 ふんぞり返った男の首をぎりぎりと絞めてやった。待った、待った、悪かった、もうしない、と男がわめく。


(何じゃ、こやつ)

 ひげ面の反応は、毎度意表を突いていた。

 形を持たない妖にとって人形ひとがたに意味はない。ときに少年や少女の姿で、老人の姿で、獲物を物影に引きずり込んできた。赤子の姿をとったこともあったか。そのどれであっても、人形は相手を油断させるための手段でしかなかった。

 それを、とても重要なもののように言う。


「お、落ち着いて、話し合おう。ほら、今日は点心をもらったぞ。甘いもの、お前は好きだろう」

 男が見せた包みをちらりと一瞥し、影法師は首を絞める影を解いた。

「向こうの橋へ行こう。星が今宵は綺麗だ。あそこなら良く見える」

 妖相手に、ひげ面はぬけぬけとうそぶく。


 普通は影法師が妖だと知ると、手のひらを返して逃げるものだ。しかし一緒に飲もう、食おう、と男は現れた。そんなものは不要だとあしらっても、変わらなかった。


(気味が悪い。何を考えておる)

 そう警戒しつつも食事同様、慣れ始めている自分がいる。


 橋の欄干にもたれかかり、次の獲物を物色した。共を二人連れた男が向こう岸にいる。灯篭の明かりがゆらゆらと揺れていた。良い獲物はいないか。


(そろそろ潮時かの)

 近頃は影法師の噂が巷を賑わし、夜道を歩く者が極端に減った。ぐずぐずと同じ町に留まっては痛い目を見ることを、経験によって知っている。長く留まっても半年。一度街を出た場合、次の狩り場を探すには時間がかかる。出来るうちに楽しんでおきたいが……


 ふと、低いうめき声が隣から聞こえた。星を眺めていたはずの男が、いつの間にか蹲っている。脂汗をかいて、胸元を押さえていた。いや、左肩か。荒い呼吸のためか、大きく胸が上下している。


(ああ。そういえばこの男、病をもっていたか)

 失念していた。そんな素振りを欠片も見せなかったのだ。覗きこむ影法師に気付き、男は何でもないと口にした。真っ青な顔色で、異様なほど汗を流していたのに、何でもない、と。

「少し眩暈がしただけだ。今日はもう大人しく休むことにするかな」


 よろめきながら男は立ち上がる。饅頭の入った包みを、やる、と影法師に押し付けてきた。そういえば、男は点心を持ってきただけで口にしなかった。その戸惑いが伝わったか、男はひげ面を苦笑へ変えた。


「俺は食えそうにない。勿体ないだろ」

 胸元を押さえながらゆっくりと、男は背を向ける。ふらふらした足取りで進む姿を見送るのは、何とも言えない心地だった。手を貸してやるべきだったかと、ふと思い至った。無理をするな、と声をかけるべきだったか、とも。


 どちらも影法師には馴染みない。男が「平気だ」と主張する以上、気遣うのも妙である。

(……気遣う? なぜ?)

 手の中の点心を影法師は複雑な面持ちで見下ろした。まだ真夜中には遠い時間帯だ。酔っぱらいたちの笑い声が聞こえてくる。町人の三人連れが脇を通り過ぎた。


「そういえば聞いたか。通り向こうで妖退治があったってさあ」

 ぴく、と影法師がそれに反応した。

「妖退治だぁ? それって今噂の『影法師』って奴か」

「違う違う。妖に憑かれた女を払ったんだと」

「それって退治とは言わんだろう」


 すれ違う酔っぱらいたちを遮るように、影法師は行く手に立ちふさがった。何だなんだ、と赤ら顔の三人は、影法師に気付くとしゃっくりを呑み込んだような表情になる。いつものように狩ってやろうかと誘惑に駆られたが、影法師は自制した。退治屋という物騒な単語を耳にした以上、騒ぎを起こすのは控えるべきだ。


 にこりと笑いかけ、

「その話、詳しく聞かせてくれぬか。妖退治など興味深い」

 先ほど手に入れた饅頭がさっそく役立ちそうだ、とほくそ笑んだが……その必要はなかった。凍てついた男たちの時間が動く。


「なんだなんだ、一瞬女かと思ったぞ、別嬪の兄ちゃん」

「ああ、俺も驚いた。なんでだろうなぁ、女の格好しとるわけじゃないのに」

 噴き出して男たちは腹を抱える。げらげらとひとしきり笑い、三人は意味深げに目を交わし、一人が肩をすくめた。


「悪いなぁ。その話、俺たちも詳しくは知らねぇんだよ。ああ、払ったのは通りがかった退治屋だってぐらいか。ろくに礼も受け取らず、町を出てったな」

 酔っぱらいたちは再び大声で笑い始める。酒臭い息から逃れるように影法師は身を引いた。苦笑交じりに饅頭の包みを投げ渡す。

「引きとめて悪かったな、礼だ。三人で分けてくれ」


 おお、ありがとうよ、と三人はまた笑いながら去っていく。中身の確認もせず、互いにもたれかかりながら、歌などうたっていた。


 どうかしている。

 千鳥足の酔っぱらい相手に、信憑性のない噂など尋ねたりして。

 退治屋と耳にして過剰に反応し過ぎたか。町を出たなら関係ない――


 そのとき、間の抜けた悲鳴と共にばしゃんと水音がした。振り返ると、先ほどの三人組が水路に落ちている。誰だこの野郎、早く退け、冷たい冷たい、足がもつれる、など三者三様の声をあげるその足元に、小物の妖たちがじゃれついている。影法師のやった饅頭を狙っているようだ。


 普段はおとなしい低級たちが、珍しくはしゃいでいる。

(いや……興奮しておるのか。気が立っているのか)

 三人と低級たちとの戦いは、低級たちに軍配が上がった。饅頭をまんまと掠め取って、奴らが逃げて行く。

 ため息を零し、すうっと影法師は闇に消えた。

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