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 今振り返ると、昨日身ぎれいな姿で影法師を尋ねてきたのは、無事を確認するためだったとわかる。あんな格好で出歩きたくないと言っていたのに、息を切らせて走ってきた。きちんとした身なりで出向く必要があった訳は――退治屋の招集がかかったためか。そこで『影法師』がどれなのかを知ったのだろう。

(何故、退治するべき妖を案ずる)

 退治屋共はこの近辺を騒がせていた妖の情報を欲したはずだ。そして平次は、影を操る妖を、知っていた。

「何をしている……早く、行け」

 棒立ちになって男を見つめるばかりの影法師に、今もまたそんなことを言う。ここを影法師が動いたら己がどうなるか、理解していて。

 蓮を見に誘ったのは、影法師が逃げるための時間を稼ぐためか。

 影法師の迎える結末とは、迫り来る狩人たちのことだったのか。

 それを回避するための方法を、この男は模索していたのか。

 退治屋としての己と、影法師を天秤にかけた。天秤が掲げたのはどちらだったか――

(そんなもの、こやつの自己満足に過ぎぬ!)

 姿かたちは人に似せていても人ではない影法師に、その感情は理解しがたい。男をねめつけて、影法師はやおら胸ぐらをつかみ、頬を張ってやった。ぱん、と小気味よい音が響く。

「ぬしは阿呆か。死んでは元も子もないわ……! わしは、ぬしの憎む妖であろう。手心を加えよって不愉快じゃ。わしはぬしなんぞに滅ぼされはせなんだ! 侮るのも大概にせい!」

 どうせ死ぬなら加減などせず全力で襲いかかってくればよかったのだ。人間らしく卑怯で汚い手段を使えば。……なぜ罠を張っておきながら、必殺の技を繰り出さなかった。

 それが影法師の癇に障る。人間ごときに守られるほど弱くない。

 殴られて目を丸くしていた男は、微笑んだ。

「……行け。今ならまだ、間に合う」

「っは! ぬしは助からぬぞ……。わしが離れれば小物どもが寄ってくる。ぬしは逃げられぬ! よしんば他の退治屋が間に合ったとて、裏切り者として見捨てられよう。それで満足か!」

 男の瞼が頷くように力なく下がっていく。やつれた微笑みが、消えた。どれほど無理をしていたのか。

「たわけが……。わしをそこまで見くびるか」

 退治屋など、返り討ちにしてくれる。そう口にしても、気迫は伴わない。

 妖と己の命を天秤にかけた退治屋など、聞いたことがなかった。まして、己を庇う人間など。

 その時、どおん、と何かがぶつかり合うような音がした。地面がかすかに揺れる。朝もやが消えて覗いた青空のただなかに、真っ黒な雨雲がぽつりと漂っている。――違う。影法師は目を凝らした。あれは妖の塊だ。妖が妖を乗せ、空を埋め尽くさんと日差しを遮っているのだ。黒雲はどんどん膨らんでいく。地上へと雨ではなく、妖が、火炎が、雷が、飛び交い、迸っている。とうとう始まったのだ。

(予想していたより早い)

 方角は、影法師たちの町から少し離れた山腹。火渡がいた穴倉のあった辺り――

(火渡)

 恐らくその麓に退治屋も集結している。血みどろの合戦が開かれた。おおおおおおおおおおお、と雷鳴のような轟音が響き渡る。耳を澄ませると、単純に妖たちを鼓舞するためのものではないと知れる。オンオンオンオンオンオン……恨みや辛み、人へ対する負の感情が剥き出しになって、ところ構わずばら撒かれているのだ。あれは、瘴気にも似た呪詛の雨。怨念は全てを闇へと帰す毒となる。妖側の宣戦布告だ。

 ぞくりとした。肌が泡立つ。最高の『祭り』が始まろうとしているのだ。それを率いる火渡の元へ馳せ参じようと、妖たちが方々から続々と合流しているのがわかった。人間へひと泡吹かせようと、あわよくば妖の絶対的な領土を確立しようと。

 影法師の足もそちらを向かいかけた。狂おしい戦の空気に感化され、我先にと駆け付けたくなる抗いがたい魅力。それに水を差したのは、背後で倒れた人間の消えそうな吐息だ。

 ここに平次を置いて行くか。

 妖たちが囲ったこの場に。

 激しい戦闘の余波か、空気がびりびりと揺れた。身を捻ると、黒雲のかかっていた山が、ごそりと削り取られていた。激突している。すさまじい力と力が。その中心にいるのは――

 影法師の隙をついて、下位の妖が飛び出した。ぐったりしている男の四肢を引きちぎろうと、鋭い爪や牙をむき出しにする。はらわたを、腕や手足の一本を、目玉一つを、と襲いかかった。一匹の動きに釣られ、数匹も続く。

 その瞬間、ぎゃっ、と悲鳴が上がった。妖たちがことごとく真っ黒な針に貫かれたのだ。

 いがぐりのように尖った無数の黒い針が、男の身体を覆っていた。それに突っ込んでは一溜まりもない。周辺の藪からもぎあああ、と醜い悲鳴が響き渡った。影法師の影が、潜んでいた妖たちを根こそぎ仕留めたのだ。ぼとりぼとりと、割かれた肉片が落ちた。かろうじて免れた低級は、こけつ(まろ)びつ逃げていく。

「ふん、戦にも参加できぬ下種の分際が」

 平次はこの騒ぎにもぴくりとも反応しない。のろのろと屈み、影法師は青白い頬に触れた。あたたかかった。知っている。このぬくもりが消えると、人は二度と動かなくなるのだ。

(わしはこれをどうしたい)

 男の上半身を、恐る恐る抱き上げた。

(助けたいのか? 人間をか? 人などすぐ死ぬではないか。今を生かしたところで)

 人の生など、瞬きの内に過ぎ去ってしまう――

 人形の手が、震えていた。なぜ己が震えているのか、影法師は理解できなかった。

(……怖い……? 怯えている? わしが? 何に?)

 妖で汚れた場所にいては、傷の浸食を促進させてしまう。影を使って風上へと運んだ。目をあげると……池に薄紅や白の蓮が咲き乱れていた。男の生気を吸い込んだごとく、力強く美しい光景だった。胸が締め付けられる。

 このままでは、連れて行かれてしまう。人の言うところの極楽浄土、影法師の手が届かない、神の花が咲く場所へと――

(神の花が咲く地)

 影法師は僅かな可能性に思い至り、固唾を呑んだ。ぐっと男を抱く手に力を込める。

(もしや、あそこなら)

 ひゅんと何かが飛んできた。反射的に影でたたき落とした影法師は、目をすがめる。法師や退治屋の使う護符であった。落としたそれが、ぼ、と青白い炎を発した。ぼ、ぼ、ぼ、と炎は肥大化し影法師へ迫る。退治屋が来たのか。

(こけおどしが)

 平次を庇うようにして影法師はその炎を受けた。ごうと燃え盛った炎が、影へと吸い込まれ、消える。この程度の炎では、傷一つ負わぬ。影法師は平次を抱えながら警戒を密にする。がさりと、藪が揺れた。

「平次さまを放せ、妖」

 現れたのは、まだ少年のようだった。平次を小僧かと揶揄したことはあったが、こちらは正真正銘の小僧だ。身構えた護符で退治屋であることがわかる。身につけた武具は、先日聞いた妖の骨から削り取った代物か。だがそれも酷使されたのだろう。ちらほらと損傷が目立った。

 満身創痍と呼べる。骨の二、三本は折れているかもしれない。ここへ来るまでに相当な無茶をしたようだ。

 少年は、影法師をかたきを見るような眼で睨んできた。

 ――どうやって、ここまで接近出来たのだろう。ふと影法師は疑問を抱いた。手負いの退治屋を見落とすだろうか。平次に気を奪われ、探索が疎かになったか。だが、周辺に展開している妖たちまで気取らせず、ここまで来れるだろうか。

(陰術かの)

 出会ったばかりの頃、平次もよくそれを使って影法師を見張っていた。一定の距離からすうっと気配が消える不思議な術だ。

「平次さまを放せ。放さないなら、容赦はしない」

 護符を指にはさみ、少年は陣を描く。ぶつぶつと何かを呟いていた。未熟な退治屋だ。影法師の力量を瞬時で察した平次との歴然とした差。先ほどの炎にしても、術の出来栄えが全く違う。

(こんなときに)

 平次が倒れたこんなときに、小物の相手など。

(じきにもっと来ると申しておったな。小僧は斥候か? 手間取ってられぬ)

 何を仕掛けられようが、発動する前に斬り捨てる。早さなら負ける気がしない。印を切る手を斬るか。それとも首をはねるか。足をとって引っ繰り返すか。胴を薙ぐなら確実か。

 ざあっと地を這った影が向かうと、少年は飛び退った。地面をえぐる一撃を間一髪で避けた少年は、影? と口走っていた。気が殺がれたか、組み立てていた術式は霧散する。しゅるしゅると足元で影をくゆらせる影法師は、少年が硬直していることに気付いた。

「そういえばさっきも炎を呑み込んだ……影使い……まさか、影法師……?」

 絶望を映したはずの少年の目に、活力が宿った。震える手を抑えつけながら、笑みさえ浮かべているのだ。少年は護符を取り出し、身構えた。明らかな力量差を知りつつも、退く気は微塵もないらしい。

(逃げれば良いものを)

 影法師は舌打ちする。平次も言っていたか。強敵と耳にすれば足を向けた、と。退治屋にはこういう輩が多いのか。だから早死にするのだ。

 どうする、と迷う。平次を置いていくか。そうすれば火渡に加勢出来る。しかし、置いてどうなる。この男は助かるのか。影法師はその解に否、と出した。もし平次の知り合いに癒し手がいるなら、とうにあの傷は治っている。

 今は身体を覆った影が、平次を保護していた。身体機能を著しく抑え、瘴気が広がるのを防いでいるのだ。解除すれば、あっという間に喰らいつくされる。それを防ぐ手立てを少年が持っている可能性は、無に等しい。

 少年は口の中で文言を唱え続けていた。ひらりひらりと間断なく襲いかかる影を避けながら、息を切らせず文言を紡いでいるのだ。動きを最小限に留め、詠唱を決して切らさない。ここへ至るにはかなりの鍛練を要しただろう。平次は囮を使い、さらに護符を利用して影法師の感覚を狂わせた。あれはそうせねば戦うことすらままならなかった故の作戦だ。

 本来、呪符使いはこのように戦うものなのかもしれない。

(しかし、この男には及ばぬ)

 少年の足を捕え、引き寄せた。うわ、と短い悲鳴が木霊する。少年が身を崩したところへ影が食らいついた。仕留めた、と思った瞬間だった。

 ぎん、と高い音を立てて、影が弾かれた。煌めいた白銀は退魔の刃か。岩さえを容易く斬り倒す影を弾くとは、余程の力が込められているのか。咄嗟に行った、苦し紛れの一撃が思わぬ効用を示したのだろう。少年自身が呆気にとられた顔をしていた。ぽかんとして短刀を見つめている。だが、すぐさま刀を構えた。護符ではなく、刀を依り代に使う気か。


 ひと ふた み よ

 いつ むゆ なな や ここのたり

 布瑠部ふるべ 由良由良ゆらゆら 布瑠部 由良由良止ゆらゆらと 布瑠部


(数え唄……?)

 それは平次が使っていた呼気と同じものか。古よりある時の流れ、その神秘が数の中に込められている。矛盾なく元の形に正そうという、絶対の法則。単純でありながら真っ向から異物を弾こうとする。妖の存在そのものを拒絶する言霊だ。

 少年が「一、二、三……」と繰り返すたびその力は増していく。刀の輝きも。

「良い刀であるな。だがぬしの身に定まっておらぬ」

 一見するとそこらに転がってそうな刀だった。少年には不釣り合いなほど強力な破魔の力が宿っている。あの刃は危険だ。次は刀身を砕く――

 しかし影法師はハッとなって上空を仰いだ。強い力の乱入を感知したせいだ。何かが、来る。こちらへ迫ってくる。それも恐ろしい早さで。

 ごうっと強風が壁となって押し寄せた。それに不可視の刃が混ざり、木々をなぎ倒していく。津波のような突風に、何だと思う間もなかった。展開した影で身を固定する。状況を把握できぬまま、影法師は平次を庇った。

 激しい突風に身が千切れそうだ。

 あの少年の力か。

 否。

 少年が消えていた。この暴風に飛ばされたのだ。悲鳴も呑み込まれたか。

(火渡!)

 妖と退治屋による衝突の余波が、これほど離れた地にまで及んでいる。その苛烈さに胸が騒いだ。低級の妖は一溜まりもなかったか。風によって裂かれた妖の死体が、池の花を蹴散らして浮かんでいた。平次と通り抜けてきた竹林も一掃されている。すっぱりと斬られ、へし折られ、見通しがよくなっていた。

(派手にやっておるな)

 視界を巡らせた影法師は、降ってきた巨大な妖の死体に押しつぶされた少年を見つけた。咄嗟に身を守った影法師とは違い、露骨に衝撃を受けたのだろう。吹き飛ばされ、ずいぶん遠くにいる。額を切ったか、血にまみれていた。

 影法師は影を操り、横倒しになっても見上げる巨体から、少年の身体を引きずり出した。ずうんと放りだした死体に、地面が軽く振動する。――若い退治屋は、半身が巨体の下敷きになっていたが、生きているようだ。足首が奇妙な角度で曲がっていたが、それと頭部以外に大した傷はこさえていない。



今更ですが、この作品って『残酷描写あり』なのですかねぇ^^;

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