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 先ほどの展開した陣の腕前からして、男は単独の退治屋だ。これが捕縛ではなく、滅するための陣であったら、多かれ少なかれ影法師も傷を負っていただろう。思い出すと、ないはずの肝が冷える思いだった。その実力を身につけねばならぬほど、この男は死地を潜り抜けてきたというわけだ。

われらを憎んでおろう」

 呑気な男だと思っていた。影法師あやかしを恐れない希有な者だと。

 その逆か。狩る機会を虎視眈々とこの男は狙っていた――

「お前に会うまでは、そうだったなぁ」

 影法師が瞬いた。退治屋はそれを面白がる目をしていた。優しい、色だった。

「俺は、そこそこ腕が立つと自負していた。大物の妖も倒したことがあるんだ、これでも。だがお前を一目見て……敵わないと悟った。わかるか。お前の一瞥で俺は身が竦んだんだ。恐ろしいと感じた。あの感覚は久しぶりだった」

 ゆえに、影法師は死に場所として選ばれたのだ。


 俺を喰わないのか。

 美味そうだと思わないか。


 あの言葉の意味を、知った。

 苦虫を噛み潰したような影法師の前で、男は身体を折り曲げて咳き込んでいる。吐血はしなかったが、見る間に男の生気が穢れていく。

「瘴気の侵食が始まったか。力を使わねば、もっと生き延びられたものを」

 男を生かしていたのは、強い霊力が瘴気を抑えていたためだ。それを先ほどの対峙で使ってしまった。心身ともに弱っている男を喰らい尽くそうと、瘴気は猛威をふるっている。そして影法師の放った力も、瘴気を活性化させるのに一役買っていた。

 死の気配を嗅ぎつけ、低級の妖たちがざわめき始めた。影法師がいるために踏み込んでこないが、何かがこちらを窺っていた。ぐずぐずしていたら囲まれてしまうだろう。

「退治屋が集められていると……、知っていたか」

「東の妖を追い払った者たちか」

 くれぐれもご用心くださいまし、と忠告をすでに受けていた。術者がその中にいることも。

 退治屋は普通集団で妖を狩る。集められたと言うなら、二十か三十か。数を頼みにした襲撃であれば蹴散らすことは容易だ。だが男の言い方は、そうではないと仄めかしていた。恐らく護符や術を操る者も数名いる。幾重もの罠を巡らせている。火渡のときのように。

「知っていたのか」

 知らないはずがない。住処を追われた妖たちが溢れていたのだ。奴らは人を恨んでいた。妬んでいた。いたずらをし、時に人を傷つけ、殺した。奴らにすればそれは単純な報復行為だ。

「近頃、小物たちが騒ぎを起こしておったからの」

 人が動くと知っても、動揺も感慨も現れなかった。ああ、ついに来たか、といった程度だ。妖たちもいきり立っている。予想通り、人と妖との衝突が始まるのだ。他人事のように考えていた。影法師にとって、人の世も妖の世も、関心の範囲外だ。

「お前がもっと……嫌な妖であったらよかった。不審になって付け回したし、見張っていた。事あるごとに、狩りも邪魔した。だがそうしている内に、お前が極悪の妖だと……思えなくなっていた」

 退治屋が、妖に心奪われるなどあってはならないことなのに。





 そして時は数刻を遡る。

 大仕事を前にぴりりとした空気の退治屋一行に、佐之助も混ざっていた。今夜は山間の村長の屋敷に泊めてもらうことになっていた。厳重に目くらましの護符を巡らせたその場所で、退治屋たちは明日に備えるのだ。日和やその赤子など、戦闘に向かない者たちを預ける意味もある。

 その点で、今回は戦場に連れて行ってもらえると、佐之助の士気は上がっていた。前回は重蔵に頼まれて平次の様子を見ていたため、連れて行って貰えなかったのだ。

(いや、重蔵さまは……本当なら僕も置いて行きたいのだろう。日和さまたちのように)

 佐之助は貴重な護符使いだ。身を守り、仲間の支援も施せ攻撃もできる。仲間に頼らずとも一人で戦える素質がある。それは平次と同じ型の退治屋といえる。本来なら平次の下に就くべき人間だった。

 しかし平次は風来坊で、ふらりと現れては去っていく。腕の立つ平次個人を指定して、次々と仕事の依頼が舞い込むのだ。同じ一門の中でも、群を抜いた稼ぎ頭である。幼い子どもにその生活は酷だ、十六の歳までは重蔵の下で他の子たちと同様の修業をさせようという話になった。

 佐之助は十六の歳になるのが待ち遠しかった。尊敬する平次が帰ってくるたび、修業を見てもらうのが楽しくて仕方がなかった。一番腕の立つ退治屋に目をかけてもらえる事実が、誇らしくてたまらなかった。

 二年前、平次が傷を負いさえしなければ。

 進むはずだった未来が、がらがらと崩れ落ちた。

 その後は日和が師の代わりになって、護符の扱いや術について教えてくれる。しかし日和は癒し手で、攻撃の手段を持たない。その類稀な能力を独自に開花させた人だ。術式に則ったものではなく、感覚に左右されている。同じ力を有するものでなければ理解できないそれに、佐之助はしばしば戸惑ってきた。

(さらに言えば日和さま本来の能力は、とうに失われてしまっている)

 自然と独学で攻撃用の術を身につけることとなった。平次の残していった書物を紐解き、修業を行った。そんな佐之助を不憫に思ってか、重蔵はよその退治屋を紹介してくれたこともあった。

(平次さまさえいてくれたら)

 己の才能を活かすには、師がいない。道を示してくれる人が、いない。

 だが、新たな師を見つけて一門を抜ける踏ん切りはつかなかった。佐之助は、妖に襲われたところを救われた恩がある。あだで返すような真似はしたくない。

(僕の生まれがあと五年早ければ)

 もっとちゃんとした師を探した方がいい、と周りから何度も忠告を受けた。その度、燻り続けるしかできず、出て行った平次を恨みたくなった。

 ――それが一変したのは数ヶ月前のこと。

 二年振りの再会に驚いた。見目もそうだが、あれほど逞しく生気に溢れていた人に、影が下りていた。幼いころには視えなかったものがはっきりと視えて、衝撃を受けた。本当に平次だろうかと疑ったほどだ。だが、中身は変わらない平次のままで。会えなかった時間を感じさせない、気安さで。

 成長したな、と撫でられた頭。

 ぽろりと涙が落ちるのではないかと焦った。手の熱さに仰天はしたけども、誉められたことが何より嬉しかった。見つけたからには、この方に師事したかった。足しげく通ったのは、考えを変えてくれないだろうかとの思惑もあったためだ。

 だが佐之助が修業を見て欲しいと頼んでも、笑って流されてしまう。もう自分は退治屋ではないから、というのが口癖のようだった。

 しかも、あの傷。

 目の前で倒れられると、自分が頼もうとしていたことの無謀さに気付かされた。彼は、生きるだけで手一杯だったのだ。微塵もそんな素振りは見せなかったが、医術方面に長けた日和が深刻な顔をしていた以上、決して良くはないのだ。

 今思い出してもぞっとする。瘴気に蝕まれた肉体は、色が赤黒く変色していた。そこに文様を描く手伝いを、佐之助もした。優秀な退治屋が瘴気によってなぶり殺されていく。その現状が堪らなかった。

 どうして平次さまがあんな目に。退治屋としての将来が約束された人であったのに……なんて惨い。

 やりきれない思いで塞ぎこんだ。誰より傷ついているのは平次であったはずなのに、涙が溢れた。

 留まって欲しかった。今度こそ、離れないで欲しかった。だが、返ってきたのはやんわりとした拒絶の言葉だ。己では何の足かせにもならないと、知った。

「やる。大切に扱え」

 別れ間際、平次の武具を譲り受けた。彼が倒した妖の皮と骨で生み出されたそれは、何物にも代えがたい価値があった。戦えないと悟ったときも、手放さず持ち続けた彼の宝。彼の誇りが詰まっている。妖に倒れなかった平次の『守』が込められた武具だ。

 それを手渡された意味は。

(ついに、師とは呼ばせてもらえなかった)

 わかっている。ああいう人なのだ。どこまでも本心をはぐらかす。こんな形でしか思いを届けてはくれない。その背を追いかけることさえ佐之助には許されなかった。

 唇を噛み締めて、少年は入念に武具の手入れをする。護符の最終確認も行った。明日の早朝、妖たちの動きが鈍り始める刻限から、狩りは始まる。余計な雑音は遮断し、集中しなければならない。神経を研ぎ澄ませるのだ。

 そのときだ。ひらりと白いものが視野の端に飛び込んだ。佐之助は異様なものでも見たかのように、硬直した。ごとりと篭手が落ちた。驚愕し、立ち上がる。目が離せなかった。あれは、数年前までたびたび見かけた、平次の式だ。

 ひらひらと蝶は、佐之助の下へ飛んでくる。

 平次は退治屋をやめて以来、式を操らなくなったはずだ。肉体への負担を避けるためだ。術らしい術は使わず、身の内に巣食う毒とひたすら戦っていた。

 その平次が何らかの連絡をよこしたのだ。

(それも、こんなに小さな式……)

 人型ではなく、鳥でもなく、蝶。夜には飛ばない蝶の形をした式は、佐之助が手のひらをかざすとそこに留まり、力尽きたようにぱたりと倒れた。折られた紙に文字がつづってある。破らないよう慎重に佐之助は式を開いた。


 ――西の山腹、妖の宴あり


 たったそれだけの一文に、何故か佐之助は悪寒が走った。朗報のはずだった。倒すべき妖が一か所に集結しているのだ。そこを叩くことができれば一網打尽にできる。しかも今宵に動く気配はない。こちらが先手を打てる!

 しかし頭の中で何かが警告する。危険。危険。危険。危険。訴えてくる。胸騒ぎが治まらない。この不安は、何だ。

 取るものも取らず佐之助は頭領を探した。日和を先に見つけ、居場所を聞き出した。頭領は打ち合わせの真っ最中だ。今回の件はこの一帯を治めるお上からのお達しである。同門だけの仕事ではなく、規模も大きい。打ち合わせが入念になるのも当然のことか。

(一門の名に泥を塗るような失態は許されないから)

 先日の討伐より派手になることが予想された。手練れたちが数名怪我を負った一門としては、慎重にならざるを得ないのだ。

 佐之助は深呼吸をし、気を落ち着けてから、その部屋の前で片膝をついた。お話のところを失礼致します、と声をかける。

「重蔵さま、平次殿より文が」

 すぐさま襖は開いた。手渡した文を見るなり、頭領は眉間のしわを深くする。佐之助と同じものを嗅ぎ取ったようだ。重蔵と膝を折った少年の視線が交錯する。

「佐之助。お前ならあいつを見つけられるか」

 その確認に佐之助は、必ず、と短く返した。平次はひょいひょいと行方をくらます癖がある。それも含んで佐之助は、平次とたびたび顔を合わせていたのだ。探査の足がかりを得るために。

(今は頂いた武具もある。必ず追ってみせる)

 束の間沈黙が落ちた。本当なら重蔵自身が駆けたいのかもしれない。親友を助けるために。だが、すでに彼は一門を背負う身だ。この大事に勝手はできない。軽く男は深呼吸する。

「行っていいぞ。あの阿呆をふん縛って、一般人が手間取らせるなっつっとけ。――いいか、決して無理だけはするな。お前が怪我を負うことをあいつは望まない。俺たちもだ」

 ぱっと佐之助は下げていた頭をあげた。

「承知いたしました。ありがとうございます……!」





 晩夏を伝える虫の音が聞こえる中、退治屋の乱れた呼気が小さく響く。胸を大きく上下させる男の表情は一息ごとにやつれていくようだ。血の気が引き、目の下に隠しようのないくままで浮かんでいる。

 眩しそうに影法師を仰いだ男は、ついに自らの身体を支えられなくなったか。横倒しに地へと伏した。

「じきに来るぞ、退治屋たちが。次はお前が……獲物になる番だ」

 冷たい下生えに頬を当てて、男は言う。すでに声は、切れ切れにかすれていた。

 脅されたはずなのに、影法師は恐怖を感じなかった。退治屋の猛者がここへ来る以上、無駄ないさかいを避けるべく身をくらますのが常であったのに。影法師は動けない男を凝視するばかりだった。

「なぜそのようなことを、わしに伝える」

 退治屋の策を漏らして、この男に益は一切ないのだ。男は口の端を上げた。

「お前が、人を襲う以上……俺の手で始末をつける必要があった。だが、他の奴にくれてやるのは……癪だろう」

 よく言う。最初から負けるつもりでいただろう。死ぬために、この場所を選んだだろう。

 罠を張るなら、もっと強力なものを張ることができたはずだ。捕縛の陣などではなく、滅するためのものを。影法師は完全に油断していた。その隙を突くことは、安易であったはずだ。まして他の退治屋と連携してなら、影法師を滅することさえ。

 しかしこの男はしなかった。

 惚れた、などとうそぶいて。

(憎んでいたのではなかったのか、妖を)



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