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 しんしんと雪が降る。綿のような雪だ。真っ暗な空から絶え間なく落ちてくる。昨晩のうちに降った雪は、世界をそっと白に包んだ。分厚い雪に覆われた銀世界は、音を吸収し沈黙を彩るのだ。さくり、さくりと響く足音や呼気さえ、かき消してしまう。


 現代ではそんな大雪は滅多にないが、感傷に浸りながら、影法師は雪景色を眺めていた。枝葉に飾られた真っ白なデコレーションが、時折重みに耐えきれず落ちる。その傍らでぼうっと数時間は過ごしたころだ。

 ふと気配が湧いて出た。


「影法師、お前人間に化けることができるな」

 後見人になってやっている鬼の子の姿があった。ねぐらを尋ねてくるとは珍しい。用のあるときはからすである黒矢を使いに寄越すのが常であったが。


「なんじゃ、藪から棒に。来るなら来ると一報よこさんか」

 小言で迎えると、鬼の子はふいと踵を返す。取り込み中なら邪魔をした、と去ろうとするのだから、調子が狂う。

「これ、帰れとは言うとらん」


 鬼の子が足を留めた。表情の乏しい顔で無言のまま戻ってくる。外見は十五歳ほどの人間の子どものようだが、この少年は、妖の中でも高位である鬼の一人だ。その証拠と呼べる小さな角が、柔らかな黒髪の間から覗いている。


(また寒そうな格好をしおって)

 影法師は影の中でたゆたいながら、いさめようとした自分に苦笑した。同じように咎められた過去を思い出したのだ。

 もっとぬくそうな格好をしろ。こっちまで冷えてくる、と言った相手は遠い過去にいる。


 鬼の子はいまどき古風な単衣の着物姿だ。スニーカーを履いていたが、素足である。首も腕も、この雪の中素肌を晒していた。夏のような装いだが、寒くはないだろう。ばさばさと降る雪は少年へ触れる前に消えていた。足元の雪も同様だ。少年は熱気を纏って寒気を消している。身体に極近い空気を適温に調節する程度は、異能を持つ鬼にとって容易い。


 だが少し前の鬼の子なら、そうと気づかれぬよう装いも季節に合わせたものだ。現在は髪を梳かさず、手足の怪我も手当しないまま放っている。身に付けた着物も擦り切れていた。虚空を映すばかりの瞳は伏せられがちだ。元々口数の多い少年ではなかったが、この荒みようは気にかかった。


(幽鬼のようじゃ)

 それでも鬼の子のほうからやってきたのだ。無下にしたくはなかった。


「……それで人に化けてなんと申しておったか」

 影法師は木陰から、鬼の子に届く程度の調子でそっと切り出した。影法師は影に潜む妖だ。本来なら鬼に及ばぬ力量しか持たないが、これは千年近く生きた妖怪である。過ごした年月は、影法師に多大な力を与えてくれた。この近辺であっても五本の指にはいる実力を持っている。そのうちの一人は、この鬼の子であったが。


 鬼の子は逡巡のため束の間沈黙し、ぼそりと言った。

「一緒に……歩いてみたいと思った」

 一緒に、と影法師はまごついた。どう返答したものか、咄嗟に回答が浮かばなかったのだ。

「いや、忘れてくれ。深い意味などない。人は……寒いと手を繋ぐものだろう。どんなものなのかと……思っただけだ」


 少年の眼差しは遠く、人の街へ注がれている。影法師のねぐらは山腹にあった。この近辺まで登ると、街の景色が一望できるのだ。山から人の街までは遠い。だが、決して遠すぎる距離ではない。鬼の子の眼差しに憧憬を感じ、影法師は複雑な思いを抱いた。


(相当参っとるなぁ)

 鬼の子は、先だって辛い別離を経験したばかりだ。

 人を好きになり、守れなかったのだ。


 壊れた過去を宝物のように仕舞った少年からは、稚気が消えた。ぼろぼろの身体で立ちあがり、『御役目』を全うすべく奔走する姿が、影法師には痛々しく映った。今も、昨日負った怪我が治りきっていない。鬼の治癒力を持ってしても追いつかないのだ。


(自分を罰しとるかのようじゃなぁ。許せなんだか、己が。それほど大事じゃったか)

 心の拠り所を失うことは辛いものだ。恐らくこれから何年、何十年と尾を引く。もしかしたら何百となるやも。

(何かに没頭することで、娘のことを考えんようにしとるのか)

 少年は膝を抱えたままぼんやりと街を眺めている。人々で賑わうその場所に何を見ているか、容易に想像できてしまった。


 影法師は重く息を吐きだすと、木陰からにゅるりと顔を出した。こうして姿をさらすのはどれほど振りか。普段は影から影へ移動するのが常なのだ。特定の形を持たないもの。それが影法師なのだから。

 影から現れたものは、真黒の少女へと変化していく。鬼の子が目を丸くし、次いで苦った。

「たまには街へ行くのも悪うない。だが、その前に傷の手当てをせい。痛々しいのでな」

 鬼の子は身体を見下ろして、初めて傷に気付いたように顔をしかめた。


 *


「わかっているのか。雪の中を行くんだぞ。何故そんな姿になるんだ」

「わかっておらぬのはぬしのほうぞ。この姿が一番自然じゃろうて」

 影法師はくるりと回ってみせた。その姿はどこから見ても人間の少女だ。黒髪に黒いワンピース、黒いコート、黒いバッグ、ブーツ……身につけているものすべてを影のように黒くそろえた、鬼の子と年頃の変わらぬ少女。人間であれば中学生ほどか。


「不服ならぬしが変われ。子どもでも大人でもわしは構わん。ほれ変化してみぃ」

 鬼の子が変化は下手だと知っていて、影法師は挑戦的に言い放つ。少女の姿なら共に歩く相手が同年代の少年でなくともおかしくない。影法師が子どもに化けることは可能だが、遥か年上の自分が少年を仰ぐのは癪だった。この姿なら、身長にさほど差はない。共に歩くのにも適している。


 しかし、少々意地悪であったことは否めなかった。鬼の子が失った少女を思い起こすには十分すぎる演出だった、と。

(だが男に化けると『手を繋ぐ』という点でなぁ)

 それは鬼の子の年齢を鑑みると不自然だ。鬼の子も、自分の要求の無謀さに気付いたのだろう。「……それでいい」と不服そうに承諾する。


 角を帽子で隠した鬼の子は、着物姿から現代人のような格好になった。ジーンズとパーカーを身につけ、さらにジャケットを羽織った。こちらもブーツだ。マフラーをぐるりと巻いた姿は、どう見ても妖だと判別がつかない。和装を常日頃から好むが、そんな格好も少年はよく似合った。あの娘とも、このような出で立ちで会っていたのだろう。


 それじゃあ、と歩みかけた少年へ、影法師は手を差し出した。意地悪く微笑みかけながら、

「手、繋ぐんじゃろう?」

 しばしその手と影法師を注視し、鬼の子は顔をそらした。

「……いい。自分がどれだけ血迷っていたか、はっきりとわかった」

 影法師がけらけらと笑う。確かにこれほど滑稽なことはない。妖がわざわざ人の姿になって手を繋ぐなどと。人のように触れ合いを望むなどと。


 ある程度進んで山を降りると、多くはないが人目につきやすくなる。そこからは人のように進もうと提案された。姿を消していた影法師が、舌打ちする。

 ざくざく雪を踏み抜いて、しばし歩いた。膝近くまである雪の中を歩くだけで、すぐに呼吸は乱れた。山裾の踏み固められていない雪にいちいち足を取られるのだ。自動車が走る道路まで出られれば、この難儀も終わるだろうが。


(なんじゃ、あやつは。自分一人さくさく進みよって)

 ついには「ひゃあ!?」と悲鳴を発し、転んでしまう始末である。振り返った鬼の子が血相を変えるほど、見事な転がりっぷりだった。

「……あれじゃな。人間の身体は慣れぬ。動きにくいわ。まだ影に潜っても良かろうに」


 顔面から雪へと突っ込んだ影法師が、ぶつくさしながら身を起こした。髪に雪が絡まり、手櫛で梳かしていると、鬼の子が無言で手を差し出してくる。その頬がひくひくと引きつっていた。

「なんじゃ、その顔。笑うか笑わぬかはっきりせい」

「文句を言う割に楽しそうじゃないか。美人に化けてるし」


 ふ、と吹き出して鬼の子が肩を震わせる。身体についた雪を払い、影法師はつんとすまして鬼の子の手をつかんだ。お前も転べ、とばかりに思い切り引っ張ってやったが、逆に引き上げられてしまう。

「ふん、化ける以上、見目良くしたほうが面白かろう。よう人が引っ掛かるぞ」

 つけつけ言ったのだが、鬼の子が「へぇ」と目を丸くすると悪い気はしない。


 影法師は狐のように眼を細くした。今でこそ山に引っ込んでいるが、昔はよく人の世をふらついたものだ。人を脅かし、人を襲った。そんなときは決まって美しい者に化けた。美し過ぎないよう化けるのがコツだ。

女子おなごに化けるとな、馬鹿な男がよう引っ掛かるんじゃ。だが男に化けたときが傑作でな。女じゃのうて男が引っ掛かりおる」

 鬼の子がきょとんとする。

「男が? なぜ?」

「知らんわ。男のほうがええ男もおるんじゃろ。昔はそれこそ何でもありでな」


 くっくと妖怪らしく影法師は喉を震わせ――ふと動きを止めた。鬼の子が手を引いて歩くからだ。また転ばないよう案じてくれているのか。

「俺の歩いた後を通れば転ばないだろ」

「さっきもしておったわ。だがな、歩幅が違うことを忘れるでない」

 ぬしは男で、わしは女の姿をしておるのだと、影法師がぶすりと棘を刺す。鬼の子は「そうか」と僅かに笑った。その息が冷やされて白くなっていた。影法師と違って、鬼の子には最初から体温がある。だから繋がった手が、あたたかい。


「……手、冷たいんだな」

「わしには不要じゃからの。忘れておったわ」

 人には、このぬくもりが必要なのだということを。

 鬼の子を参考に、影法師も身体を温めていく。そうしていると、遠い過去がふと浮上する。


 遠い昔も、手を繋いで歩いた。影を使って移動する遁甲とんこうのほうが楽だが、人に手を引かれてわざわざ足を運んだことが。

 あの頃は今より巧みに人へ化けた。人と交わって生きていた。


 ――れん


 そう呼ばれていた一時ひとときが懐かしい。もう朧にしか思い出せないその声は、二度と耳にはできない。

 誰かと触れあうのは、いつ以来なのだろう……。


(そうじゃな。喪失とは、なかなか埋まらぬ深い穴であったな)

 影法師は、遠い過去に思いを馳せる。あれはそう、冷たい冬がようやく終わり、桜が舞い散る季節の出会いだった。



 *

 *

 *




和風ファンタジーで、恋愛を絡めたキャラ小説を目指しました。

初チャレンジ要素の多い作品なので、ご意見やご感想を頂けるとありがたいです。

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