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第44話 噂と事件と文化祭準備②

 渡り廊下から突入した内部は酷い有様だった。

 ペンキ溜りこそないものの、積まれていた物資が散乱し壁は飛沫まみれだ。のそのそと徘徊する怪物の間をすり抜けていく。

 次第に床の上を低く白い煙が漂い始める。周囲に徘徊する影はない。


(急に怪物がいなくなった。しかも、この煙は……)


 咄嗟に口元を手で覆い、慎重に発生源へと足を進めた。

 しばらく経っても身体に異変はない。煙が噴き出す一室を覗き込む。そこには薬品や容器が並ぶ机の前に立つ生徒の姿があった。気づく様子はなく机の上に集中している。


「ついに完成したぞ。これで突然変異個体どもを一掃できる」


 液体の入った瓶を手に持ち、怪しげにほくそ笑む。

 薬品を持ったまま転身した生徒と目が合う。一度目を反らされて、もう一度合い、次いで驚いたように目が見開かれた。


「ち、ち違うぞ! これは健全な薬だ」

「むしろ今ので怪しくなったよ」

「今回は本当に健全なのだ。外を徘徊中のドッペルペンガーどもを消し去れる。その名もイレイザー薬さ!」


 おかしな熱量で語りだす彼に俺は説明を求める。

 中途半端に遮らったからか生徒は顔をしかめた。直後、慌ただしい足音と共にニーアと数人の生徒が駆け込んでくる。


「ホランさん解除薬はできましたか。て、エミル君?」

「ニーア、無事でよかったよ」

「はい。それよりも早く解除薬を下さい」

「ああ、これだ。私はすぐ量産を始める」

「お願いします。皆さん、行きましょう」


 慌ただしく出入りしていく彼女達に唖然とした。

 口を挟む暇すらなかったので、改めて机に向かう生徒へ言う。


「俺も手伝います。状況は後で聞かせて」

「そうしてくれると助かる。持って行ってくれ」


 薬と散布用の小型噴射機を受け取る。使い方も簡単に教えて貰う。

 解決方法が見つかれば後はあっという間だ。薬品を吹きかけると、本当にただのペンキに戻っていく。皆で手分けをし怪物の掃討を行った。

 歩くペンキ人形らの騒動がひと段落した後、再び例の実験室へと足を運ぶ。疲れた様子の生徒達から事情を聞いてみる。


「私にもよくわからないんだ。ちょっと目を離した隙に、ドッペル薬の入った容器が宙を舞っていて……」

「奇跡的な確率だよね。飛んでった先にペンキ缶があって」

「だが待てよ。調整すれば、いいアトラクションになるんじゃないか?」


 何度も頷いて数人が共感を示す。一方でしおらしく片づけ始める者らが言う。


「僕が見たのは、物がドミノ倒しみたく倒れて瞬間さ」

「まるで何かが通り抜けた風でした。弾かれて物が飛んでく感じで」


 そして誰1人として犯人を見ていないらしい。

 証言を聞けば聞くほど不自然で謎ばかりが深まった。物が倒れる瞬間を見ているのに、元凶を見ていないってどういうことだ。

 じっくり考えたいところだけど、今は他にも気になる事件がある。


「医療科が事の発端じゃないならどこだ。でも今はトゥワが先だな」

「トゥワさんがどうかしたんですか」


 ニーアが心配そうに聞いてきた。俺は手短に事情を話す。

 物の噴出や損傷、蠢く小さな紙束のお化け。伝えてすぐ駆け出しながら考える。背後で「そういえば経営科に……」と聞こえた気がした。



 トゥワを探して校内を走る道中、窓から異様な光景を目撃する。

 紫瑶が虚空に向けて薙刀を振り回しているのだ。周りに人がいないとはいえ危ない。俺は一旦足を止めて窓から顔を出して叫ぶ。


「危ないよ! 何してるの」

「さっきから視線感じル。でも当たらナイ、逃げられるヨ」

「逃げられるって、誰もいないよ」

「そんな筈ナイ。ひぃやッ」


 悪漢成敗、と反射的に背後へ攻撃を仕掛けていた。

 嘘を言っているようには見えないが不審者の姿はない。透明人間でもいるのか。不意に浮かんだ考えにはっと閃くが振り払う。同時に窓から下階の人物が見える。


(ん、あの人調理室に来てた)


 半信半疑だったが今も慌てた様子で駆け回っていた。

 どう考えても怪しい。何かを探しているように見えるし、一度話を聞いたほうが良さそうだ。時々確認しつつ追いかける。


 その途中、同階、階段付近の廊下にギルバートが立っていた。

 同じく窓越しに見える景色で、彼は下のほうへ視線を向けているみたい。すぐ我に返った様子でこっちを一瞥して踵を返し去って行く。

 

(紫瑶を見てた? なんで)


 疑問に思ったけど優先すべき案件じゃないと切り捨てる。

 階段を駆け下りて廊下を進み、ついに件の生徒へ追いつく。ちょうど部屋から出てきた所で捉まえた。明らかに動揺して落ち着きがない。


「今急いでるんだ。後にしてくれないかな」

「わかってる。でもさっきから何か探してるよね」


 探し物の詳細を尋ねてみれば、相手は更に焦り目を泳がせる。

 滴るほどに汗をかき、頻繁にハンカチで拭い、何度も身体の向きを変えていた。質問をしても言い淀むばかりでなかなか進まない。もう一度、少し強めに聞く。


「お願い、教えて。手伝えるかもしれない」

「でも、そのだね。いや、しかし……」

「いろいろ起きてるんだ。隠してる場合じゃないでしょ」


 ダメ押しの一発を入れ、相手は強く瞼と唇を閉じる。そして開き――。


「実は、搬入物の中にマモットが数匹紛れてて。大きな音がして、目を離したら逃げ出しちゃってさ」


 マモットはモルモットの仲間で、葉の尾と花の香りがする動物だ。

 逃げ出したのは全部で3匹。1匹は逃げ出さずにケージの中にいるらしい。しかも探しに出てすぐ、塗料の入った缶が床に転がっていたという。


「その缶の中身って何か覚えてるの?」

「透明液さ、迷路用に発注したやつ。塗ると透明になるんだ」

「つまりソレ被って透明になってるってことじゃん!」


 限りなく確定に近い真相があっさりと判明した。


(見えない動物を探す方法かぁ。うーん、ちょっと待てよ)


 これまでの話を整理して俺は閃く。

 見えないなら別のものを目印にできないか。例えば匂いだ。

 もっと詳しく特徴を聞いてみる。具体的にどんな匂いなのかが一番重要だろう。尋ねてみたが、生徒は人間族なので正確にはわからない。

 けれどラベンダー、ミント、薔薇の匂いがすると言う。大きさは同じくらい。


「花壇に逃げ込まれたら困るな。好物でもあれば誘い込めるんだけど」

「マモットの好物なら野菜かな。でも菜園は真っ先に探したよ」

「入れ違いになったかもだから、もう一回行ってみて。俺は他を当たってみる」

「わ、わかった」


 できれば応援を頼んだほうがいいと助言し別れる。

 何か忘れている気がするが騒動の主らを探しに走った。まず協力を仰ぐために芸術科方面へと急ぐ。こういう時は、自分よりもずっと優れた獣人族の鼻が有効だ。

 廊下を進み、一度校舎を出て別棟へと向かう。途中でトーマスとすれ違った。


「エミル、慌ててるけど困りごと?」


 呼び止められて足を止め振り返る。


「ちょうどいい所に。お願いトーマス、力を貸して」


 はっきりと力強く助けを乞う。簡潔に説明すると彼は頷く。

 別行動になるけど探すと約束してくれる。軽く礼を言って俺は再び走り出す。



 芸術科の区画で聞き込みをしつつ捜索を行う。

 対象が動物なら齧りつきそうな物、隠れるのに最適な物陰や隅っこを重点的に探した。目に見えないから嗅いで回るしかない。

 もちろんトゥワとの合流も並行してやる。確かに走っていくのを見たが時間も経っていた。目撃情報を地道に集めていく。ある所じゃこんな会話が耳に届き――。


「すみません、経理班長を見かけませんでしたか」

「見てないよ。どうして?」

「探してるんだが見つからなくてね。どこ行っちゃったのかなぁ」

(人探し大変そうだな。こっちも大変だけど)


 不自然な現象が起きてないか、と耳を澄ませて渡り歩いた。

 校舎脇の花壇を見て回ていた時だ。ふと声がして振り向くと、少し離れた道を疾走していくトゥワを見かける。彼女は脇目も降らずに露店区画のほうへ突き進む。


 駆けこんだ露店が並ぶ地帯は、先の騒動の影響がなく綺麗なものだった。

 まだ設営中だから食品の匂いは微々たるものだ。けれど木材、塗料、金属、その他諸々の匂いを鼻が利く者なら嗅ぎ取れる。隠れ場所といい気が遠くなりそう。

 ゴーグルやマスクをして作業をする人々の合間を縫って捜索する。


「ねえ、なんかいい匂いしない」

「本当だ。誰かアロマ焚いてる? でも、それにしては香りが弱いかも」

「いやそれ、外だからだろ」


 聞こえてきた声にはっと振り返った。

 すると木箱の影からトゥワの狙いすました眼光が煌めく。

 視線を追うと、人がいない木材の山の一角、不自然に木屑が散っている箇所があった。紙束はなく、完全に透明な何かがそこにいる。


(やっぱり見れば見るほど心霊現象だな)


 トゥワは動き出す。姿勢を低くし忍び足で近づく。


(なるほど。じゃあ俺は逃げ道を塞いで)


 互いの位置関係から行動を予測して移動する。

 周囲の目なんて気にしてられない。集中が途切れると逃げられてしまう。


(何か道具を使ったほうがいいか。でも、そんな都合よくある訳……)


 足に当たる物を感じ、続いて鈍く光を反射する物が倒れてきた。

 地面に落ちる前に受け止めて確かめる。それは金属の輪っかだった。誰が何のために立てかけていたのかは謎だ。しかし、これは使えるかもしれない。


 俺は急いで鞄から網を取り出し金属輪に取りつける。

 視界の端でトゥワが飛び掛かるのが見えた。地を滑り砂を落とす姿から取り逃がしたっぽい。周囲に視線を滑らせ匂いを嗅ぐ。だが、匂いが弱すぎて周囲のものと紛れてしまう。


「きゃっ、今何か足に触った」


 素早く声のしたほうを向く。

 今まさに地面に直置きされた瓶が倒れる瞬間を目撃。


「そこだ!」


 足腰の能力全開で滑り込み網を構える。

 位置取りに成功し、何かが飛び込んできた。つけ根が外れそうだったので持ち上げて網を掴む。口を閉じて手近の風呂敷を借りて2重包みにした。


「獲物に逃げられるなんて~。悔しいにゃ」

「トゥワが追い込んでくれたから。けどこっちも危なかったよ」


 もごもごと荒ぶる風呂敷包みを抱えて一息つく。

 そこにトーマスが1匹捕まえ、呑気な声を上げながら校舎側からやってくる。すぐ後に疲れ切った様子の生徒が袋を抱え歩いてきた。


「なんとか全員捕まえたようだね」

「うん、よかった。けどケージに戻す前にお風呂に入れないと」

「お風呂!?」


 トゥワが身を強張らせ尾の毛が逆立つ。

 でも声を掛ける前に彼女は、髪を手で撫でわざとらしく鼻歌を歌う。


「透明生物をお風呂に入れるの大変そう」


 反対にトーマスは視線を落として言った。苦笑いを浮かべてそうな声音だ。

 捕まえた子を引き渡し、手伝いを申し出たトーマスと生徒を見送る。これでひと段落だ、と思いきや俺は唐突に違和感を覚えて走り出す。


 ――さっきから視線感じル。でも当たらナイ、逃げられるヨ。


 脳裏に浮かんだのは先刻聞いた紫瑶の証言。あと医療科に来た時の出来事。


(ドッペルペンガー事件の原因や、物の紛失がマモットの仕業だったとしても)


 彼女が倒れたのは俺の所為だけど、見えない敵がいると騒いでいなかったか。

 更に言えば、最初にぶつかった原因は別にあるかもしれない。あの時は背中に衝撃を感じた。つまり押されていた可能性は十分にある。


 まあ、相手はドッペルペンガーだったかもしれないけど……。

 もしも、マモット以外に透明液を被った存在がいるとしたら。考えただけで恐ろしくなった。

 

(紫瑶が危ない!)


 全力疾走で校内を駆け抜けて現場に急行する。

 疑惑と恐怖が心中に渦巻く中で、たどり着いた瞬間、盛大な悲鳴と共に何かが俺に激突した。押し倒され床に後頭部が直撃してしまう。確かな重みが上にのしかかっている。


「痛たた……。んん、これはっ」


 瞼を開けるが当然見えるものがない。だが、確かな感触が伝わってきた。

 大きさと合わせて思考の末に結論を導き出す。


「透明人間!? 誰なの、君」


 しかし返事はない。伸びているのだろうか。

 悲鳴を聞きつけ人々が集まってくる。後にわかったことだが、取り押さえられた透明人間の正体は姿の見えなかった経理班長だったらしい。



 講義の調整が入る準備の5日間は、いろいろな事件を経て過ぎていく。

 学科によっては、もっと早い時期から計画を練ったりするみたいだけど。でも冒険科の自分達にはあまり関係のないことだ。

 寮での時間、俺はこれまでのことを手紙に記し蓮之介へと飛ばした。

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