第1話 美少女との出会い
ランカディア王国、カサリナの町。
雪解けの季節、月も出ない真っ暗な夜に俺は生まれた。
黒いキャンパスの如き闇夜を彩る星の虹。赤や青や緑の流れ星が降り注ぐ、とても幻想的で美しい日だったという。深く垂れこめた黒き帳と、相反するように輝く七色の夜。
後に「闇虹の日」と呼ばれし日が、転生者=エミル・ヴェルベインの誕生日となった。
正直に言って赤ん坊時代のことはよく覚えていない。
でも、他の子より物覚えのいい子だったみたいだ。そして自分が転生者だという漠然とした感覚がずっとあった。むろん前世の記憶なんてないけど……。
それで俺は、鬼族の父と龍族の母の間に生まれたハーフ。種族でいうなら龍殻鬼族である。貴族じゃないがそれなりに裕福な家庭だ。
「じゃあ、行ってきます」
「今日は夜外食だから早めに帰ってくるのよ」
「はーい!」
朝、そう言って元気よく家を飛び出した。背後で扉が閉まる音がする。
俺は、高鳴る気持ちを胸に長い尻尾を振り走っていく。ふっふっと息を上げ軽快に足を動かし、行きがけにちょっと寄り道をした。角を何度か曲がってある通りに出る。
この時間ならこの辺りを走ってる筈だ。そう思って周囲に目を向けた。すぐに目的の人物を見つけて駆け寄りながら大声で呼ぶ。
「おーい、タルホ!」
「あっ、おはよう」
「おはよう」
新聞の入った荷物を肩から下げた少年。自分と歳や背丈もそう変わらない。
ライトグリーンの瞳がこちらを見つける。そばかすのある顔で、キャラメルブラウンの髪に帽子を被った彼はタルホ・ロッキンガム。一番仲のいい友人だ。
ちょっとお古な感じの服を着ているけど、いつも小奇麗にしてるし明るくて気のいい奴なんだよな。
配達の邪魔をしちゃあ悪いので、挨拶をしてすぐに別れる。大きく手を振れば振り返してくれた。走っていく背中に「頑張れよ」と声を飛ばす。
相手は振り返らなかったけどちゃんと聞こえているだろう。気にせず行く。
「おっと近道しよ」
行き過ぎそうになって急ブレーキをかけ脇の細道に入る。
猫が通るような道順を身軽な動きで突き進む。このくらい俺には朝飯前だ。翼はないけど、全然危なくなんてない。近道で怪我したことなんて一度もないもんね。
でも、人間族だったらこのくらいの道も危ないのかな。前に読んだ本の内容を思い出して思う。例えばそう、タルホはこんな道進めないのかななんて……。
とんとんたったと近道を駆け抜け、町の近くにある森の入り口まで来た。
この森は魔物の出没が殆どなくて子供でも遊べる場所だ。まあ、あまり奥まで行ったら出るかもだけど関係ない。俺は強いからな。
俺は高まる冒険心を抑えきれずに森の中へと踏み込んでいった。
1時間後、俺は森の中を流れる川までやってくる。
今日は遅くなっちゃいけないから奥まで行ったりしない。楽しいことは後に残しておいたほうが面白いしな。それに冒険は一人でやってもつまらないし。
「今日はタルホと遊べないしなぁ」
俺は服を脱いで川に飛び込む。
ブクブクと泡を立てて水中に沈む身体。つぶっていた目を開けると水の中の世界が広がっていた。岩陰から覗く魚の顔。揺れる水草に底を横断する小さな生物。
水中に差し込む光が、頬や首元、手首から手の甲、腰や膝から下などにある鱗を艶っぽく輝かせる。これは龍殻と呼ばれる龍の頑丈な皮膚。部分的にしかないのは俺がハーフだから。
子供にはちょっと深過ぎる深度だが泳ぎは得意だ。流れもそんなに激しくないし大丈夫だろう。
「ぷはっ。気持ちいい」
息継ぎをしてまた潜る。尾をグルグル回せば結構な速度がでて楽しい。
でもやり過ぎは禁物だ。尾を振り回していると魚が逃げてしまう。観察したい時は普通に揺らめかせて微調整するだけに留めた。
流されないように尾で岩を掴んだりもできる。本当に便利、使えるものは有効に使わないとな。
時々川から上がって日光浴や木登りなんかもして遊んだ。
お昼は自分で捕獲した魚を焼いて食べ、ちょっと疲れてひと眠りし、起きたらまた遊びを再開する。一人で遊ぶのは寂しいけど別に悪くない。
そうして日が傾くまで思う存分に遊びつくした。
夕方、暗くなる前に帰宅した俺は身支度している。
今日の外食は奮発してレストランだって言ってた。だから恥ずかしくないように着替えていくのだ。
鏡の前で最後のチェックをする。移り込む自分の姿。母親に似て綺麗な顔立ちと、父親に似た中紅色の髪と鴇羽色の瞳。それと頭には鬼っぽい小さな角が一本。
「支度は済んだ? そろそろ行くわよ」
扉の向こうから母の声が聞こえる。ちょっと離れているみたい。
「うん。もうちょっと」
「早くね」
「はーい」
急かしてくる声に返事をしながら髪を整えた。
よし、これで完璧だ。リボンタイも曲がってないし変な癖もついてない。
俺は満足して部屋を飛び出す。玄関では両親がこっちの支度が済むのを待っていた。お待たせと言いながら一緒に家を出る。
家族並んでレストランに入ると、店員が席まで案内してくれた。
荷物の預かりもしてくれる店だったが俺には関係ない。景色の見える窓際のテーブルとイスにつき、注文をして料理を待つ。恥ずかしくないよう行儀よくして両親と話す。
やがて料理が運ばれてきた。目の前に熱々のステーキが置かれ思わず笑顔になる。
「それでこの子、剣の試合で一番になったのよ」
「ほう。よく頑張ったね」
「えへへ」
剣の試合っていうのは、この前道場で開かれた大会のことだ。
あんまり大きな大会じゃないけど門下生の中で一番になった。魔物がいるから、剣術は割と一般的な武術として習いにくる子が多い人気の習い事である。
魔法と違って特別な適性なんていらない。才能のある子はもちろんいるんだけど……。
「魔法の勉強のほうはどうだ?」
「うーん、あんまし。難しいんだよな」
「ははは。そうか」
魔法のほうは……まあ、普通だ。
適性がない訳じゃないから身につけられる筈だけど難しい。誰か魔法が得意な子が身近にいればなぁ、と思う。タルホは人間族だし、学校にも通ってないから全然当てになんないし。
あ、別にアイツのことをバカにしている訳じゃないよ。仕方ないんだもん。学校ってまだ学費が高くて、それなりに裕福じゃないと受けられないらしい。他の国は違ったりもするみたいだけど。
「確かハロルド君も魔法塾に通ってなかったかな」
「そうね。あの子に教えて貰ったりしないの?」
「ええっ、アイツは嫌だよ。そんな話さないし」
嘘、実は話くらいはする。でもなーんか気が合わないんだよね。
「それに魔法は種類が多いだろ。得意分野が違うって」
「そうなのか。父さん、魔法はからっきしだからわからないな」
食事しながら会話を楽しんでいると、レストランに家族連れが一組入ってきた。
その中の一人に俺は目を奪われる。両親と一緒にいる同年代くらいの少女だ。第一印象をいうならすっごく可愛い。
あれは森樹精族かな。ミントグリーンの長い髪を優雅に流し、エメラルドグリーンの綺麗な瞳をした女の子。お淑やかそうな雰囲気がある。
「あの子可愛いな。ああいうのが好みなのか?」
「えっ、なんで!?」
「いやだって、ずっと見てたからさ」
「そ、そんなに見てたかなぁ。あはは……」
我ながら恥ずかしい。いつの間にかガン見していたようだ。
慌てて視線を反らし食事に戻る。身体の熱をごまかそうと口いっぱいに肉をほおばった。そんな俺を両親が微笑ましそうに見ている。いや、そんな気がした。
口に次々と食材を運んでいる時、視界の隅にさっきの子が通りかかるのを見る。
「…………」
「えっ」
今、一瞬だけど目が合ったような気がした。確かにこっちを見たよな?
そう感じつつ自分の状態を顧みる。途端にしくじったと後悔が浮かぶ。ひょっとして変な奴だと思われたんじゃ……。だから見ていたとか。
いくらなんでもレストランでがっつくなんて行儀が悪かったよな。
いやに気になり、ガーンッと手も口も止めていた。
その後の記憶はない。放心していたようで覚えていないのだ。
気がつくと部屋にいて、疲れていたからすぐ眠ってしまった。だから今は翌朝である。気が落ちっぱなしの状態で身支度をする。
まだ始まってもいないのに、勝手に落ち込んで食事も楽しめなかったよな。アレが運命の出会いとかだったらどうしよう。そんなことを云々と思い悩む。
(こんなの、女じゃなくても落ち込む)
運命の出会いなんてそこまで信じちゃいないが精神に堪える。
可愛いと思った子に、変な子とか素行の悪い子認定されるような態度を見せてしまった。もしまた会ったら……最悪の朝だ。
「こら~、いつまで支度してるの? 学校があるんだから早くご飯食べなさい」
また扉の向こう側から母親の声が聞こえる。
顔を洗いに一度部屋を出たから、母は俺が起きているのを知っているのだ。体調が普通なこともバッチリ見られているからサボることもできない。
家から出て時間を潰しててもバレるもんな。はあ、今日は休みたいよ。
俺は気が乗らないまま食事を済ませ家を出た。
そんな俺に更なる悲劇が降りかかる。
そう、それは学校でのホームルーム時のことだった。
「な、んだと……」
俺は否応なく絶句する。せざるを得なかったのだ。
だって目の前には昨晩見かけた少女が立っていたのだから――。
「今日から皆の新しい友達を紹介します。さあ、自己紹介して」
「はい。……初めまして、私の名前はニーア・クラリスです」
よろしくお願いします、と律儀にお辞儀をする。
周囲ではクラスメイト達の話声でざわついていた。可愛いと男子達が色めき立ち、女子らはどんな子だろうと興味を注いでいる。
教師に促されて皆が順番に質問していく。
ニーアはひとつひとつ丁寧に答えていった。俺の意志に反してどんどん情報が追加されいく。
聞こえる話をまとめると、彼女は最近引っ越してきたようだ。
種族はやっぱり森樹精族。見かけた時は気づかなかったけど、綺麗なペンダントを首から下げていた。なんか模様があるみたいだけどアレはなんだろう。
ニーアが言われた席に座った。一瞬だけ彼女がこちらをチラ見する。
こうして6歳の春、俺はニーアと出会う。
学校の始まりからちょっとばかり遅れて加わった同級生。
彼女とこれからどんな風に関わっていくのか。俺は不安に思いつつ、ワクワクしていた。
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