幕間02 哀愁の先にみたものは……
ある日、僕は見知らぬ建物の中に立っていた。
そこで説明された話の衝撃は凄まじく、殆ど反射的に待ったをかけてしまう。
実感が湧かないのか。当初は不満も嫌悪も感じずただ困惑した。どうにか猶予を得て今――。
緊張しながら国境を越えて幾らか、今は山近い森の中を歩いている。
心の迷いは晴れぬまま当てもなく行く。彷徨っていると言ってもいい。まだ受け入れるには時間が足りていないのだろう。
(つい馬車を降りて来てしまったが、我ながら計画性がない)
いや、1人になりたかったのかもしれないな。
「翼の神アレスティナよ、我に真実なる道を示し給え」
心迷いし時に口にする呪いだ。これをすると少しだけ落ち着く。
(それにしても国境というか。あっさり越えられてしまったな)
見るものすべてが、かけ離れてはいないが違う。驚きを隠せない。
現在地はランカディア王国の辺境。カサリナの町の近く。冒険者の活動が盛んな国。つけ焼き刃で覚えた知識を反芻しながら進むと子供の声がした。
同時に獣の声まで聞こえ、考えるより早く走り出す。
「おい、逃げろっ」
(普通の獣じゃない。幻魔か!?)
少年の声に反応したのか。猫が1匹は駆けて行く。
だが様子がおかしい。どちらも逃げるどころか動けない様子だ。
迷わず剣を抜き怪しい獣を倒す。安全を確信してほっと安堵の息を零した。
(戦いは慣れないな。だがやらなければ……)
恐れはあるが躊躇う暇があるなら動く。本当に恐ろしいのは失うことだ。
剣を鞘に納めて振り返ると息を飲んだ。助けた少年の姿は人間のそれではなく――。
(この子噂に聞く魔族か? いや、違うよな)
まだ僕は現実を受け入れられないらしい。こちらにいる筈がないだろう。
躊躇いはあったけど、子供を1人置いていくなんてできなかった。角と尾を持つ少年に歩み寄り、できるだけ動揺を感じさせぬよう努めて声を出す。
「君、大丈夫か。怪我はない?」
「うん」
周囲の状況を確認して親の姿がないことに気づく。改めて少年に向き合う。
「ご両親は見当たらないけどはぐれちゃったのかな。こんな所に1人で来たらダメじゃないか」
「ごめんなさい」
なんとも言えない複雑な心境だった。
町まで送ると告げ一緒に森の中を歩く。道中の幻魔、いや魔物を倒しながら。
時々視線を感じて振り向くが背けられてしまう。怖がらせてしまったかなと気持ちが沈む。やがて出口が見え、少年の母親らしき人と町の住民の姿と合流した。
「心配したのよ。どうしてこんな無茶したの!」
「ごめんなさい。実は……」
(タリア……)
我が子を案ずる母の姿を見て、故郷に残してきた妻の姿が脳裏を過る。
ああ、会いたい。あの子は無事に……。
「息子を助けて頂きありがとうございました」
「いえ、無事に助けられてよかったです」
「お兄さん強いんだなぁ」
「それほどでもありませんよ」
お礼のつもりでも周囲の親切が眩しい。気のいい人達だ。
大変なことになっている筈なのに時間をくれた城の人々を思い出す。でも、だからと言って簡単に覚悟が決まるものじゃなかった。申し訳ないくらい、どうしようもなく迷ってしまう。
(僕も大概我が儘だよな)
話すうちに町の人々の押しに負けて宿に泊まる。
ごめん、もう少し迷わせてくれ。そう思いながら就寝した。
翌日、少々気だるい心地で目が覚める。
大きく伸びをしてベッドから出て顔を洗う。支度を整え、どこか違う日常が始まった。他愛もない話の中で荷車や壊れた道具を修理する流れに……。
「こんなことを頼んですみません」
「構いませんよ。簡単な修理ですし」
「助かります」
なんてことはない。やはりこっちのほうが性に合う。
荷車は外で荷運びしている時魔物に壊されたらしい。いろいろ大変なんだな、と話す中で急に宿主の口ぶりが悪くなる。理由はすぐにわかった。子供達の姿が見えたからだ。
「はい、終わりました」
「ありがとう。これお礼です」
「えっいや……」
(この金額は妥当なのか? でも今後のことを考えると)
「では、これだけ有難く頂きます」
感謝の気持ちを忘れず報酬を受け取る。
店主が去った後、子供達が話しかけてきた。微笑ましく思いながら話す。
「あの猫ちゃんは大丈夫だった?」
「うん。最初は元気なかったけど今は普通にしてる」
「よかった。でも、なんで……」
怪我をしている風でもなかった。病気か?
疑問に思っていると、少年達が能力と才能の話をする。その単語に城での出来事を思い出す。千里眼を持つという鑑定士から告げられた言葉を、だ。
――貴方に与えられた才能は「超治癒力」です。
確か才能は体質っぽいのが多いんだっけか。常に力を発揮しているという。
能力のほうは発動が任意で代償がある。ただ寿命が縮むものから反動で済むものと様々らしいが……。
「おじさん?」
少年が問いかけるような顔で見上げてくる。
おじさんか。そうだな、おじさん呼びには早く慣れないと。
「なんでもないよ」
僕は不安がらせないよう表情を緩めて言った。
会話はほどほどに切り上げて町中を歩いて交流する。とにかくこの世界の人々に触れたかったのだ。
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町に滞在する間、あちこちで頼みを聞きながら過ごす。
いろいろな種族が入り混じる環境に驚くが、のどかな日常の風景に和む。気持ちのいい晴天のしたで老夫婦の畑仕事を手伝う。
「いやぁ、悪いね」
「作物の世話は楽しいのでこのくらい任せて下さい」
作業をしながら老爺の話し相手をする。
「息子夫婦は店が忙しいしユウちゃんは今遊び盛りでな。ああ、ユウちゃんは孫での、今年で6歳になるんだけどもこれが可愛ええんだ」
「元気で可愛い頃ですよね」
「お疲れさん。ほら、冷たいお茶でもどうぞ」
「ありがとうございます」
ご厚意を受け取っているとあらぬ方向から声がかかった。
最近よく来てくれる少年の1人だ。快活で不思議な魅力を感じる子である。開口一番の言葉は「おじさんって何してる人?」という何気ない問いかけだった。
(さて、なんて答えよう)
正直なところ少し困ってしまう。
ここにいる理由は自分の柄じゃないと感じていたから……。
迷った末に捻り出したのは「冒険者」という答え。少年は目を見開いて言う。
「えっ、冒険者だったの!?」
「ん~まあね。意外だったかな。こっちじゃ珍しくないんだろう」
熱心に話しかけてくる彼としばし会話を楽しむ。
時々無性に恋しくなって空を見上げた。今頃、どうしているだろうと。僕の視線を追ったらしい少年が「何も見えないよ」と怪訝な表情をする。
純粋な言葉の1つ1つに胸が締めつけられ、同時にどうしようもなく平穏を感じた。ああ、変わらないものだ。こちらの世界でも空は、人々の営みは何ら変わりがない。
別の日、清々しい朝に来訪者があった。外で鍛錬をしていた時のこと。
最近よく来る1人で利発そうな少年。こちらは話に聞くエルフ族と酷似している。こちらでも特徴は差して変わらないようだ。
「おはようございます。朝早くに失礼」
「おはよう、早起きだね」
手を止めて彼に応じた。丁寧だが気位の高さを感じる。
少年は躊躇う様子を見せ、僕は焦らせずきちんと向き合って言葉を待つ。少しの沈黙から彼は意を決して一歩踏み出した。
「不躾ですが、冒険者とお聞きしました。是非話を聞かせて下さい」
(あの子から聞いたのか)
「話か、冒険者の何を知りたいのかな?」
(困ったなぁ。あまり込み入った話だと答えられないぞ)
これは冒険者と言ったのは間違いだったか。
だからと言って、真実の役割について聞かれても答えないのだが……。
ほんの一瞬、木の枝にとまる影を尻目に見た。子供の夢を壊すのは忍びない。僕は急いでこれまでに得た情報・記憶を片っ端からひっくり返す。
「冒険者は換金所で依頼を受けたりするんですよね。ここへは依頼で来たんですか。今までどんな依頼をがありましたか?」
「ここに来たのは偶然だよ。普段はそうだな、魔物の討伐だったり、遠方への物資運搬を手伝ったりいろいろさ」
「結構地味なんですね。いや、仕事の大小を選ばないことこそが重要?」
「そうだね。困ってる人に上も下もないかな」
想像以上に詳しい子だったことに安堵しつつ応じる。
受け答えをしていく内に、改めて幼さで侮ってはならないと痛感した。
昼飯時を過ぎた頃、もう1人の少年が元気よくやってくる。
僕の作業を邪魔しない配慮か。彼はしばらく静かに後をついて歩く。話しかけてきたのは一区切りがついた時だ。うずうずと待っていた様子が可愛らしい。
「なぁなぁ、今までどんな場所を冒険したんだ? どんな物見た?」
教えて教えて、とせがんできた。
内容には少し悩んだ。このくらいならと自分に言い訳して答える。
「記憶に残ってるのは走るニンジンかな。とても素早くて、追いかけて行くと歌う花の楽園に出てね。それはもう楽しくも不思議な場所だったよ」
「ニンジンが走るなんて初めて聞いたよ。花の歌ってどんな感じ?」
「いろいろかな。低い音を出す花と、高い音を出す花があって大合唱は迫力満点さ」
「わぁ~他にはっ」
瞳を輝かせて聞く少年に申し訳ない気持ちになった。
たぶんこの世界には実在しないだろう。嘘ではないが幻である。子供の頃に聞いたエルフの国の話や、空を泳ぐ魚の話をしていく。とても美味しいのだと話すと――。
「空を魚が泳ぐの? どうやって捕まえるんだ」
僕が人間で空を飛べないのは少年も知っている。当然の質問だ。
「道具を使うんだよ。こう空に浮かべる網があって……」
(正確には水気球っていう罠なんだけど)
説明が難しいし、存在しない筈の物なので例え話にして伝えた。
楽しく会話しながらふと切なくなる。ことある毎に浮かぶのは故郷と家族のことだ。
(もしも息子なら、いや娘でも、こんな風にまっすぐ育って欲しいな)
そんな願いを胸に抱き思う。果たして帰れるだろうか。
きっと待っている。探しているかな。何がなんでも帰りたい場所。
目の前で笑う平穏と、そこに忍び寄る不穏、置いてきた団欒とのせめぎ合いを抱え今日が過ぎて行く。
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町外れで佇みながら思考を廻らす。
肩が揺れるほど大きく息を吸い、吐く。そして目線を少し上へ。
変わらない空、変わらない日常。その中にたった1つ混じった異物である自分。
(でも、やれることがある。迷っている場合じゃない)
もう十分だ。見捨てられないってわかったから……。
僕は最後の迷いを振り払うべく剣を鞘から抜き、正面に掲げた。瞼を閉じてそっと口を開く。
「地の神ダイオーン、我が身に苦境を砕く力を授けよ」
(どうか見守っていてくれ)
すーっと瞼を開けて、何気なく視線を動かすと少年がいた。
ただならぬ様子で棒立ちしていて少し気になる。ああ、そうか。聞かれてしまったのかな。バレてしまったのかな、と半ば諦めの入った心地で笑みを作る。
「なんだ、来てたのか。声掛けてくれたらよかったのに」
「ねえ、おじさん」
「うん?」
「その、もしかして転生者なの」
予想外の問いかけだった。なるほど、転生者というのもいるのか。
僕は取り繕うの止めて真剣に答えることにする。
「違うよ」
「そっか」
明らかに落胆した反応。期待を裏切ってしまったか。
言い出しにくいけど謝罪と、ここを立つことを伝えよう。悲しい顔をさける心苦しさを感じながら努めて優しく声を出す。
「ガッカリさせたみたいでごめん」
一拍おいて――。
「君のおかげでこの数日楽しかったよ」
「えっ」
「そろそろ町を出ようと思ってる」
「行っちゃうの?」
「うん、楽しい時間をありがとう」
(君達のおかげで覚悟が決まったんだ)
少年は「楽しかった」と笑顔を見せてくれた。本当にいい子だ。
元気に走り去っていく。名残惜しい気持ちで背中を見送っていると不意に振り返る。つい首を傾げてしまった。彼はこちらが何かを言うよりも早く叫ぶ。
「俺、冒険者になる! それでいつか一緒に冒険するー!!」
「ああ! できたらいいな」
「ううん、絶対だよっ」
再び走り出すその背中はもう振り返らない。
子供の決意に約束できなかった。きっと、もう会うことはないだろう。
「そこに、いるんですよね?」
ガサリッと木の葉を揺らす音がする。1つの影が飛び出す。
尾の長い小動物だ。前は鳥だったか。雰囲気が同じでたぶん同一人物だろう。
「不思議な術ですね。それとも能力かな」
「いいえ。これは我らが種族特有の身体機能です」
「姿形を変えられるなんて……。おかげで声を掛ける時、同じ人かちょっと自信なかったですよ」
「すみません。人の姿でうろついていると不審者になってしまいますので」
僕は素直に迷惑をかけたと謝罪した。1人で考えさせて欲しいと頼んだせいだ。
しかし動物姿の彼は意にも介さず、こちらの気持ちを問いかけてきた。正面から向き合い頷く。
「はい、覚悟は決まりました。やります」
「ご決断ありがとうございます。では、改めて参りましょう。勇者カイル様」
一度ジルビリット王国に帰還すべく歩き出す。
荷物は既にまとめて来ていた。引き返す必要はない。だが数歩進んで足を止める。先導していた彼が「勇者様?」と振り返り小首を傾げた。その姿だと可愛いな。
つい愛でたくなる仕草に緩みかける顔を意識して正す。
「こちらも礼を言わせて下さい。猶予をくれてありがとう。おかげで戦えます」
「そんな、勝手に呼んだのですから当然ですよ」
小さな前脚でないないをする姿に緊張が解されてしまう。
このままでは顔面崩壊しそうだからと、人の姿に戻るよう頼むが難しいと言われた。何かすぐにできない問題があるらしい。
ならば仕方ないと断念し、彼の好きなようにさせて僕はまた足を踏み出した。
エミルにはおじさんと呼ばれた彼ですが、実はそれなりに若いです。
そのうち彼のプロフィールも公開すると思います。これからも応援よろしくお願いします!




