君と月の下で
「ねえ、私が居なくなったら君はどうする?」
朝の電車の中、隣に座る月原蕾が僕の顔をのぞき込むようにそう言った。
昨日、夜遅くまで小説を読んでいた僕は暖かいお湯の中にいるようなまどろみの中、彼女のその一言で目を開ける。
「急にどうしたのさ」
「昨日、読んだ小説で恋人を無くした人が自殺していたから、私も気になって。君はどうするのかなって」
「君が死んだらか~。どうだろうね。僕は無感情な人間だから自殺なんてことは絶対しないし、泣かないかもしれない」
「ふ~ん。つまんない答え~」
「僕の性格は知っているだろ?」
「それはそうだけど~」
蕾は口先をとがらせて目を半眼にして不満げに目をそらす。
僕は蕾に泣かないとは言ったけどそれは恋人の前で見せる無意味な強がりではない。僕は人より感情の起伏が小さい。全米が泣いた映画や友人がおすすめしてくる泣けるアニメ、小説。「これで泣かないなら人間じゃない」なんてネット上で評価されている作品。どれをとっても僕は悲しみも切なさも感じない。それだけでは無く、怒ることも笑うことも無い。
「私は君が死んだら、同じように死ぬかな~」
「なんで?」
「だって君の居ない世界なんて居ても仕方ないでしょ?」
「そんなことはないよ。君はいい人だからそのうち僕よりいい人と恋に落ちると思うよ。そうすれば楽しくなるでしょ」
「嫌だよ。私は君以外の男には興味ないの」
「それは今だけだよ」
「そんなことないも~ん」
本当になぜこの子は僕と付き合っているのだろう。
一ヶ月くらい前に僕は彼女に告白されて付き合うことにした。特に好きとかでは無く、『恋』という感情を知りたかったから僕は告白を受けたのだ。
告白された時には驚いたのを今でもよく覚えている。といっても常人のそれよりは小さな驚きだったが。
月原蕾は転校生で一ヶ月前にやってきた生徒。黒く艶やかな長い髪に吸い込まれそうな程、大きな目。彼女は転校してきた初日に学校一番の美人という地位についた。
一方僕はクラスの中でも静かな方で卒業したあとは「ああ、そんなやつもいたな」くらいの認識で終わるだろう人物だ。
当然、付き合った当初は学年のイケメンや、上級生に暴言を吐かれたりはしないものの、なんであいつが、といった目で見られることが多かった。今ではそんなことはない。
『まもなく、巳郷駅。巳郷駅。出口は左側です』
彼女を見ながら過去のことを思い出していると駅についた。
「ほら、降りよ」
「ああ、うん」
席を立った彼女の左側に立ち、僕は出口が開くのと同時に電車を降りた。
僕たち以外にも多くの生徒が降りていく。朝から元気にはしゃいでいる者やゲームをしながら歩いている者もいる。
「あ、つぼみーん! おはよう!」
蕾のあだ名を呼びながら手を振って走ってくるのは少し茶色が混じった髪を肩で切りそろえた少女。日焼けしているため肌は常人より少し茶色い。蕾の友人の赤坂南だ。今は冬だと言うのにマフラーも手袋もつけず、少し汗をかいている様にも見える。
「おお! おはよう! みんみん!」
蕾と赤坂南は二人で両手の手をつなぎキャッキャうふふと笑い合っている。
僕はその様子を眺めながら蕾が戻ってくるのを待っていた。
しばらくすると二人は「また学校で!」と言って手を振って別れた。
「別に南さんと学校に行ってもいいんだぞ?」
「いいの! 私は君と一緒にいきたいの?」
そう言って白い歯を見せながら笑う彼女の笑顔は花が咲いたように輝いていた。
学校に着くと彼女とはクラスが違うため、別れた。
自分のクラスに入って席に着くと、小柄な男子が話しかけてくる。右手には紙袋を持っていて僕には何が入っているかは大体分かってはいた。
「よっ。今日も夫婦で一緒に登校か?」
「まだ恋人だよ、健吾」
「ははっ。今日も男子達はがうらやましがってたぜ?」
別にほしくも無い情報をくれる彼は田上健吾。中学のころからの友人で良くしてくれるいいやつだ。
「ま、いいや。ところでよ、昨日の『人間失格』見たか? 最高だったぜ!」
「ごめん、昨日は本読んでた」
「なら、俺が持ってる原作の方を貸してやるよ!」
「ありがとう」
彼がそう言って紙袋からその本を出す。
太宰治が書いた『人間失格』。健吾は明治の文豪の本を好んで読んでいて結構頻繁に僕に勧めてくる。
僕自身は明治期の小説を読む方では無いのだが、彼ともう一人、のおかげで最近は読むようになった。
彼らの本は今の本に比べて少し読みにくい所もあるが実際に読んでみると「すごい」と言う感想しか出てこないくらい面白い。
そんなこんなで彼から紙袋ごと本を貰ったところで担任が入ってきてHRが始まった。
***
放課後、僕は蕾と一緒に帰っていた。
二人とも部活には入っておらず、付き合ってからは毎日こうやって帰ることが習慣になっている。
もちろん、帰り際にどこかで遊んだり、なにか食べたりすると言うことも経験していた。
ただ、今日は少し違った。
二人で向かった先は病院。
受付を済ました僕らは病室に向かう。
消毒液の匂い、落ち着いた雰囲気、薄橙色のリノリウムの床。見慣れた場所を進んでいく。
目的の場所に着いて、横開きの扉を開ける。
中のベッドに横になっているのは僕の妹の咲。僕がちょうど一ヶ月前に交通事故に遭った。大型トラックの死角に入ってしまい、轢かれてしまったのだ。それ以来目覚めることはなく、ずっと眠ったまま。医者によればおそらく植物状態に近いと言われた。
僕はベッドの横にある小さな椅子に腰掛けて、鞄からある本を出して花瓶が置いてあるサイドテーブルの横にその本を置いた。
「今日も来たよ。咲。今日は咲が好きだった『舞姫』を持って来たんだ。早く目を覚ましてまた一緒に遊ぼうな。兄ちゃん、咲を見習って最近は明治期の小説も読んでるんだ。だから、目が覚めたら一緒に語ろうな」
僕は彼女に向かって話しかける。返事が返って来ないのは分かっているがそれでも語りかける。
ふと、蕾の方を振り返ると彼女は少し悲しそうな顔をしている。いつもは僕と一緒になっていろいろ話しかけてくれるのに今日はそれが無い。
不思議に思いながらも僕は一人で話し続けた。
電車に乗り、駅に着いたとき時刻はすでに18時を回っており、辺りは暗くなり始めていた。
蕾と駅からしばらく歩く。会話は無く、お互いに黙々と歩を進める。
やはり、咲の見舞いに行った後は少ししんみりする。全く感情が動かないわけではないので少しだけ悲しいという気持ちを抱く。
「ねえ、君は私が居なくなったらどうする?」
突然、蕾がそう言った。朝、電車の中で僕とした質問と全く同じだ。
「今朝も言っただろ。泣かないし死なないよ」
「そう・・・・。良かった」
良かった? 何がだろうか。
「私が居なくなったら妹さんが戻ってくるって言ったらどうする?」
「・・は?」
「私と妹さん、どちらをとる?」
「馬鹿にしてるのか?」
これまで妹の事については何も聞かず、言わなかった彼女が妹のことを突然、言及しだした。少しイラッとする。だがそれだけ。普通なら大声を上げて怒り出したりするんだろうか。
「月下美人って花、知ってる?」
彼女はまた脈絡のない話を始める。
「急にどうしたんだ。様子が少しおかしいよ?」
「月下美人ってね、月の下でしか咲かない花なんだ」
「それがどうしたのさ」
「月の下で咲き、蕾は開く」
そう言った瞬間、彼女の髪が白く変色し始める。
「この一ヶ月、君といれて良かったと思ってるんだ」
「何をいってるんだ・・?」
「満月。綺麗だね」
「・・は?」
確かに今日は満月だ。ちょうど一ヶ月くらい前に新月を迎えていたので今日が満月でも不思議じゃ無い。
満月はすっかり暗くなった空に輝いている。
「私は月下美人。月が満ちるまでの間、君の隣に居ることを許された存在なんだ」
「・・ちょっと待て、まさか」
僕は先の言葉を思い出して慌てて彼女の目をじっと見る。
「”蕾”は消え、花は”咲く”。じゃあね、君と一緒に居れた日々は幸せだったよ」
「っ! おい!」
彼女に駆け寄り、触れようとした瞬間、彼女の体は半透明になり、僕の手は彼女をすり抜けた。
「君の鞄にこっそり手紙を入れておいたから、嫌じゃ無ければ見てね」
彼女はそう言って笑いながら消えた。
喪失感、悲しみ。常人ならそういった感情から泣いたり、塞ぎ込んだりするんだろう。でも、僕は涙もなにも出てこない。一ヶ月とは言え、彼女、自分の恋人がいなくなったと言うのに。
鞄から手紙を出して読もうかと鞄を探る。
悲しみに暮れることも無く、淡々と行動をとれる自分に少し嫌気がさす。
鞄の中には白い便箋が入っていた。中を開いて僕は読み始める。
『拝啓、私の好きな人へ。
君がこの手紙を読んでいると言うことは私はもういなくなっちゃったのかな? もしそうでないならまだ読まないでね!
君と私が付き合ったのは一ヶ月前だね。私、時間が無かったから急いで告白して絶対失敗すると思ってたのに君がオッケーしちゃったから恋人になれたね。
君は私のこと好きじゃないのは分かってるから別に罪悪感とか抱かなくていいからね! ←ここ重要!!
君と出会ったのは私が中学生の時。病気で余命を告げられて意気消沈してた所に君が現われたんだ。いや~、一目惚れだったよ。運命の人だ! って思ったもん。
でも、次の日に私は病状が悪化して死んじゃったんだ。余命ではあと半年は生きられたはずなのにね。
運命の人に想いも告げられず、死んでも死に切れないな~って思ってたらなんと!! 幽霊になっちゃいました!
幽霊になってしばらくしてね、君の妹さんと会ったんだ。君の妹さんは事故にあって今は生死をさまよってるから幽体になってるって言ってたよ。
私はね、君の妹だと知って不謹慎だけど少しうれしくなっちゃってね。一目惚れの話をしたら妹さんが命をくれるって言ったの! 優しい妹さんだね!
でも全部貰うのはいけないから、一ヶ月だけって話になったの。彼女の意識が一ヶ月戻らない代わりに私が一ヶ月だけ君の前に現われることができることになったんだ。
だから私は君の前に現われた。
夢みたいだったよ。君と付き合えて、毎日一緒に登下校して。
幸せだった。
君がくれた一ヶ月は私にとっては宝物になった。
未練がなくなっちゃった私はきっともう幽霊でもなくなっちゃうんだろうけど最後に君がくれた思い出は絶対に忘れないよ。
ありがとう。 月原蕾』
彼女の手紙はそこで終わっていた。いや、そのあとも少しだけ文章が続いていたけど視界がぼやけて読めなかった。
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