◆007 カクシゴト・クライシス
『ルポワール』のソファ席。
個人経営らしくあまり大きくはない店内にちょっとだけ存在するテーブル席である。そのうちの一つを俺が一人で占有するのはかなり心苦しいけれど、これから美華がやってくることを考えると致し方ない。
客が一人もおらず、店主さんもカウンターチェアに腰掛けて読書にいそしんでいるくらいなので文句も言われないだろうが、美華が来ていないのならば外で待つべきだったかも知れない。
からん、と抜けたようなドアベルとともに人の気配が入ってくる。
思わず美華か、と目をむけるが、そこにいたのはどこか見覚えのある美少女。
くりんとしたアーモンド形の大きな目に、すっと通った鼻梁。唇は艶やかピンクなのに、どこか清廉な雰囲気さえ感じさせる。
同じく清楚な雰囲気を感じさせる華奢な肢体はうちの高校の制服に包まれていた。
まごうことなく、正統派な美少女である。
「………………」
目が合ってしまい、思わずスッと目を逸らすが、突き刺さるような強い視線を感じる。
気のせい。
気のせい。
気のせい。
気のせい――
「ちょっと良い?」
「気のせいじゃなかった……!」
思わず口に出してしまうけれど、美少女はこてんと首を傾げながらも当たり前のように向かい側に着席する。
「君、名前は?」
「えっ、ぁっ? な、な、中っむ、ら、りく、です」
俺自身ですら聞き取れない程につかえてしまって赤面するけれど、美少女はこくんと頷く。
「去年、文芸部の見学に来たよね?」
「アッ、えっ、は……はいっ」
「良かった。私は文芸部部長で三年の静城遥。よろしく」
「よ、よろ、っしく?」
俺が頭を下げたところで再びからんとドアベルが来客を告げる。
やってきた人物を確認するまでもなく、聞き覚えのある大声が店内に響く。
「はぁ!? 中村のくせにナンパしてんの!?」
「馬鹿! 人聞きの悪いこと言うんじゃねぇ! 俺は何もしてねぇよ!」
「じゃあ何でそんな美人が中村なんかと同席してんのよ!」
「なんかって何だ! なんかって!」
「そうよね、書籍化――」
慌てて近づいてきた美華の口をふさぐけれど、もう遅い。
俺の向かいに座っていた静城先輩は色素薄目な茶色の瞳をキラッキラに輝かせていた。
「そっか。こないだ話してたのを聞いてもしや、と思ったんだけど間違いなかった! 君たちは小説を書く人なんだね!」
確認するようなことばに、中学時代俺がやられたことが脳裏をよぎり、ぎゅっと内臓を締め付けられるような痛みを感じた。
「ああ、ごめん。別に取って食おうってわけじゃないから安心して。そこの――春日部美華さんだったかな? 貴女も座って」
「あれ、私のこと知ってるんですか?」
「うん。一時期、同級生達が騒いでたよ。超絶美人な読モが入学してきたって。改めて初めまして。私は文芸部の部長で三年の静城遥です」
にこっと笑うと美華はちょっとだけ顔を赤くしながらも、アリガトウゴザイマス、と呟いて静城先輩の横に座る。
俺はといえば、変な汗で脇やら背中やらが濡れてきていて、とてもじゃないけれどまともに会話できる状態じゃなかった。
今すぐ逃げ出したい。
逃げ出したいけれど、足にも力が入らない。
「中村くん。何かすごく顔色悪いけど大丈夫? 私、何かしちゃった?」
「ええと、その事なんですけど」
俺が俯きっぱなしなのを見た美華が最初の疑問をぶつける。
「静城先輩、何で中村と同席してるんですか?」
「いや、こないだ君たちがアツい創作論を交わしているのを聞いてしまってね」
「こないだっていうと、エルフとかオメガバースの話のときですか?」
「そう。なので、折角だから混ぜてもらおうと思って声を掛けたんだよ」
にっこり笑うと、注文もしていないはずなのに美華と静城先輩の分のブレンドコーヒーが運ばれてきた。
「姪っ子がすまないね。先輩相手だと言いにくいだろうけど、嫌だったらきちんと断っていいからね」
サービスだ、と二人にコーヒーをサーブし、俺にはお代わりのアイスティーを出してくれた。
店主は静城先輩の親戚だったのか。
「さて、それでは改めて交渉の時間だ」
「交渉、ですか」
「そう。さっきの口ぶりからすると、中村くんは書籍化を目指しているってところかな? 違う?」
「――」
何か余計なこと言おうとしたであろう美華を視線で止める。
「そそそ、そう、です」
「良かった良かった。モノは相談なんだけどさ。君たち、文芸部に入らない?」
「ええ」
「いやぁ、ウチの高校ってスポーツ系ばっかり優遇してるじゃん? 私と、私の弟しか部員がいなくて、このままだと今年で廃部になっちゃうんだよね」
それは交渉でも何でもなく、ただのお願いじゃないだろうか。
「ああ、もちろんタダとは言わない。週に一回はここのコーヒーをサービスしよう」
「は? え?」
「叔父さん、文芸部OBだから。廃部回避のためならそのくらいは良いって」
見れば、カウンターに戻った店主は良い笑顔で親指をグッとしていた。
……世間が狭い。
「それに、私は公募で二次選考まで通過したことがある。大した実績じゃないかも知れないけれど、アドバイスできることもあると思うんだ」
何ともコメントし辛い提案だ。
色んな声が聞けるのはタメになるだろうし美華にとってもプラスなんだろうけれど、俺が書籍化作家であることを隠して批評してもらったりして、万が一にでも酷評でもしようもんなら、客観的に見て相当なピエロになるんじゃなかろうか。
「中村、ちょっと相談しよ。静城先輩、すいません」
「ああ、押しかけたのも勝手なことを言ってるのも私だから気にしないで。席を外すね。――もちろん、断っても良いから」
静城先輩はにこやかな笑みを残してさっさといなくなった。そのまま、店員向けと思しきバックヤードへと消えていく。
入れ替わりに来たのは店主さん。
今度は可愛らしく生クリームが盛り付けられたシフォンケーキを俺と美華に配り、
「勝手なことを言ってすまないね。遥も言ったように、本当に断ってくれても良いからね。ただ、創作が好きなら、入っても損はないと思うし、オススメはするけどね。楽しいよ、文芸部」
再びカウンターへと戻っていった。
こ、断りづらい……!
「中村、どうする?」
「どど、どうする、って?」
「文芸部。入る?」
正直、興味はあった。
「はっ、いり、たい気持ち、は、ある。けど」
「私が入っちゃうと、運動部と揉めそうよね」
……ああうん。そうだね。
そっちの方が大事になりそうな予感がする。
万が一にでも運動部の連中に詰め寄られて囲まれでもしたら、俺は再び不登校になるぞ。
『どうやって春日部を脅したっ!?』
『我が柔道部のマネージャーになるべき人材を!』
『殺すぞクソ陰キャ! 今すぐ文芸部を廃部にしてやるからな!』
うん。
俺が不登校になるというより、運動部の連中に不登校(物理)にされるな。
誰のものとも知らぬ幻聴が余裕で脳内再生できちまう。
「こここっ、断、るか?」
俺が訊ねれば、美華は首を横に振った。
唇を尖らせ、不満そうな顔をしている。
「折角だから入りたい」
「ギャルの、立ち、位置、は?」
「ギャルって言うな! そこで中村先生に相談があるんですよ」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないじゃん!」
「どうせ碌でもないことだろ!? 気配で分かる!」
「じゃあ私が何を言おうとしてたのか当ててみなさいよ!」
「いや、それは分からんけど!」
俺のことばに、何故か美華は勝ち誇った顔をして鼻を鳴らす。
「ほら、適当に言ってるだけじゃん。別に私はやましいこととか碌でもないことを言おうとなんてしてませんー」
「じゃ、じゃあ、何だよ?」
「ほら、例えばだけどさ。私と中村が付き合ってることにして、――」
「却下ァっ!!!」
「はぁ!? 何で光速で断ってんの!? さすがにムカつくんですけど!?」
「俺がお前と付き合う!? その日のうちに校庭に埋められる未来しか見えねぇよ!」
「お前って言うな書籍化作家!」
「馬鹿、余計なこと言うんじゃねぇギャル!」
ピーチクパーチク囀っていたところで、おほん、と可愛らしい咳払いが聞こえる。気づけば、すぐ近くに静城先輩が立っていた。
制服はブラウスとスカートのみになっていて、『ルポワール』のロゴが入ったエプロンを着けていた。叔父さんの店でアルバイト、ということなんだろう。
「……書籍化作家って聞こえたんだけど、ちょっと詳しく聞かせてもらえないかな?」
最初に感じた儚げな感じはどこへやら、静城先輩は肉食獣もかくや、といった笑みを浮かべていた。
大変申し訳ありませんが、私情により更新頻度が遅くなりそうです。
見捨てずにいて下さるとありがたいです。