第二王子会計係の受難
北に険しい山、南に遥かなる海を持つ大国、ソシエール国。その国力を物語るように広く、様々な建築様式を組み合わせて築かれた白亜の城の片隅で、密談が行われていた。
第二王子、アンリ・ソシエール殿下。
宰相の甥、サイラス・シャルル様。
騎士団長再従兄弟、ユニオン・ゴーン様。
大魔導師の玄孫、ネス・ウィリム様。
そして僕、会計係トム・スミス。
改めて列記してみると、びっくりするほどうだつがあがらないメンバーだ。第二王子は良いとして、権力者と血縁とはいえ微妙な距離感。
僕以外名家揃いで顔も悪くないのに、あまり女の子に人気がないのも頷ける。
実は裏で『闇鍋の集い』と呼ばれているのは知っているのだろうか。命名者曰く、悪くないはずなのに誰に当たってもはずれ感が否めないという意味だという。──正直、とってもよくわかる。
彼らは集まったところで、より良い未来を目指して邁進するわけでもないのに、愚痴だけは止まらない方々なのだ。
大体、今日のこの密談にしたって……
「ああ…メアリは本当に可愛いな、この間は私が好きだといったクッキーを焼いてきてくれたのだ」
「彼女、料理上手ですよね。私も頭が働くようにとお弁当をいただきまして…」
「俺は鍛練終わりにつかれているだろうからと、ハニーレモンをもらった。疲労した身体に染み渡る実に良い味だったな」
「僕は研究棟に籠ることも多いので、よく差し入れをいただきます」
にこにこほんわかぎすぎす。一人の女の子をめぐってこの調子である。
話にあがっているメアリ・レイジー男爵令嬢は、年度の途中で編入してきた、レイジー男爵の庶子だ。平民として育ってきた彼女は、恐ろしいほどの自由奔放さでここにいる闇鍋メンバーを惹き付けていた。ちなみにまともな男性陣はドン引きしていた。平民だが会計係として第二王子と10年を共に過ごし、学園の一員である僕も。
婚約者のいる男にしなだれかかり、大口を開けて笑い、学園の草の上に寝転ぶ。そして、最後には必ず男を立てる言葉を掛ける。
女の子たちと微妙な距離感であった闇鍋メンバーはころっといってしまったのである。
さて、ここで問題がひとつ。
他のメンバーはさておき、アンリ・ソシエール殿下には立派な婚約者がいらっしゃる。
マリー・ウェールズ公爵令嬢だ。
いつも取り巻きがおり(普通に友達だ)、視線が冷たく(こんな婚約者だれでも冷たくなるだろう)、メアリに厳しい(みんなの代わりに言ってくれているだけである)と、いうことで憤慨したこの方々は、ウェールズ公爵令嬢をこらしめようとしている。そのための密談なのだ。
そんなことのために何故しがない第二王子会計係の僕が呼ばれるか?理由は簡単。
余計なことを口走ったから。
「なぁトム、メアリに私の気持ちをこめて首飾りを送りたいんだが」
「殿下、婚約者以外の贈答品に使う費用は、国家予算となります。僕の範疇を越えます」
「なぁトム、メアリに便宜をはかってやるのはだめか?」
「僕が分かるのは殿下の予算が毎年下がってきていることだけです」
「なぁトム、メアリを婚約者にしたら予算は使えるのか?」
「仮にメアリ嬢が婚約者に万が一なったなら、可能です」
繰り返されるメアリ嬢関係の質問になげやりに答えたら、どこをどう勘違いしたのかマリー嬢からメアリ嬢に婚約者をかえるための協力者にされていた。本当によく分からない。
しかし殿下直々に頼まれたら否とは言えない。僕はしっかりこの密談のために準備をしてきた。平民の僕にも優しく接してくれるマリー嬢は、こんなお馬鹿さんから解放された方が良いのかもしれないという思いも抱いて。
「まあ、メアリは誰にでも優しいのが良いところだからな」
白熱してきた自慢合戦を、殿下はなんとなくまとめると、僕に目配せをした。頷き返し、闇鍋メンバーに資料を配る。
「こちら、マリー嬢からメアリ嬢に婚約者が変わった場合の試算です。殿下がマリー嬢がいながらメアリ嬢に手をだしているので、非はこちらにありますよね。婚約者をかえるとなると婚約違約金として5000万金貨、慰謝料として1000万金貨。これは婚約契約書にかかれている分なので最低払う分ですね。もう予定されている結婚式の中止や招待客への別の余興を考えないといけないので、もっと膨れ上がると思います。
またウェールズ公爵と興してきた事業を折半するので収入としては3分の1ほどに落ち込むと──」
「ま、まてまて、そんなかかるのか!?」
資料を手にすらすら読みだすと、まだ序の口だというのに待ったがかかった。殿下である。他の面々は目も口も開いたまま、時が止まったように動かない。
全くこの方々は何を考えているのだろうか…?王子の結婚となれば国家事業。軽くこのくらいの値はでてくるものである。
「ええ、かかりますね。これでも大分安く見積もったほうです」
「大分安く!?」
「な、なんとかならないんですか」
殿下はまた固まってしまった。代わりに口を開いたシャルル様はあの敏腕宰相の甥の割に、人に尋ねてくるとは。やはり闇鍋、と内心頷きながら答えを返す。
「マリー嬢に明らかに非があり、国民がメアリ嬢を推しており、陛下と妃殿下に認められるのであれば払い手と貰い手が逆のことになります」
「おおそうか!あの女はメアリの教科書を破いたりインクを掛けたり、ねちねちとしつこいぞ!」
「対してメアリ嬢は常に穏やかで笑顔を絶やさないですからね。国民の皆様にもご納得していただけるのでは?」
ゴーン様が大きな身体をこれでもか!と動かしながら熱弁すれば、細い顎に手を当てて訳知り顔でウィリス様が微笑む。
本当にそんな程度で婚約者のすげ替えができると思っていると思うと、いっそ笑えてくる。
微かに緩んだ僕の口の端を見て、殿下が笑み返してきた。
「それではこれから証拠を集め、必ずやあの悪女・マリーからメアリを5人で守るぞ!」
「ええ」
「おう!」
「はいっ」
「…うん?」
殿下、シャルル様、ゴーン様、ウィリス様で4人。すごく嫌なんだけど、もう一人ってもしかして。
「これからも頼むな、トム!」
まさか僕だったりなんて、ねえ?
その後、闇鍋メンバーは僕にあらゆる証拠を持ってきた。王宮に出す前に僕でチェックするのだ。
マリー嬢の父親は冷酷無比な鬼大臣こと財務大臣、ウェールズ公爵。彼が頷かないと、婚約者を変えることはまず間違いなく無理だ。そこで、日々会計係として東奔西走し、たまーに財務大臣とお目にかかる僕が、証拠の判定役を担っているのである。
証拠の判断基準は、財務大臣が予算をおろしてくださるかどうかと同じ、正確さ。日付が曖昧なものも、証人がメアリ嬢しかいないものも、証人が闇鍋なものも受け付けない。ドレスが破れた?水を掛けられた?転ばせられた?だからどうした、だ。
闇鍋が持ってくる証拠はいつも正確さに欠けていて、数ヵ月たった今も、マリー嬢に非がある証拠はひとつとして集まっていない。
むしろ、殿下の方がまずい。今までだってあんなメアリ嬢とつるんでいるとあって遠巻きに見られていたのに、果敢にメアリ嬢とマリー嬢がいる場面につっこんでいき、メアリ嬢の肩を持つのである。最悪だ。
フォローして回る僕に、マリー嬢は優しく「お疲れでしょう、こちらのお茶をどうぞ」「大丈夫です、分かってますから」と声をかけてくださった。彼女との付き合いも10年になる。お互い第二王子には苦労をかけられてきたから、半ば同志のような思いを抱いていた。彼女がそう接してくれて、心強かった。
しかし、こうも証拠が集まらないことに、もともと短気な第二王子は気持ちが収まらないようで、マリー嬢への扱いはどんどん雑になっていく。
そしてとうとうしびれを切らし、宣言なさった。
「既成事実だ!…皆の前で婚約破棄をする!」
証拠も無しに?なんていう正論を聞くようなお方であったら、どれほど良かったか。
目を輝かせている闇鍋たち、アンリ様には無理矢理迫られているだけで愛しているのはあなただけ、というメアリ嬢の言葉を本当に信じているのだろうか。僕は言われた瞬間「は?」と返してしまったけれど。
正直このメンバーに関わるのはやめたいが、第二王子会計係という職務が肩にのし掛かってくる。仕事やめたいな。
そしてきたる、卒業式の日。それぞれがこの日のために用意してきた最高の装いの中で、喜劇は始まる。
「マリー・ウェールズ公爵令嬢、共にきてくれないか」
この日ばかりはエスコートも無く、級友とのおしゃべりに興じて良い中でいきなり響いた声に周りの視線が集まる。
それを存分に見回し、殿下は満足げに頷いた。不審な者を見る目なことには気づいているのだろうか?
マリー嬢は落ち着いた様子で、周りにいる級友に断りをいれてから殿下の傍へと向かっていく。
「はい、馳せ参じました」
お手本のようなカーテシーを見せたマリー嬢と対照的に、殿下は鼻で笑っただけ。そしてもったいぶって話し出す。
「マリー、君は私のメアリを散々こけにし、いたぶり、いじめていたな。そのような者を私の妻にするわけにはいかない。よって──」
「殿下」
意気揚々と婚約破棄を告げようとした殿下は、突然声をかけられて止まった。
「なんだ、今さらなにか言うことでも?」
そう、声をかけたのはマリー・ウェールズ公爵令嬢。淑女の微笑みを浮かべたまま、マリー嬢は口を開く。
「ええ、とても沢山ありますの」
決して大きくはないのに、澄んだ優しい声が周りに響き渡る。
「ねえ殿下、私もいただいたことの無いような、素晴らしい数の宝石が装飾された首飾りをメアリ嬢に渡そうとしたそうですわね」
「なっ…」
「我が公爵家ほどとはいかないまでも、何にも秀でているところのないレイジー男爵家に、便宜を図ろうとしたこともあったとか」
「…」
殿下の顔色が悪くなっていく。そして、僕の顔も。とっても聞き覚えのある内容である。
そもそも、会計係とは王子とのやりとりを全て国王陛下にお伝えすることを定められている。不正使用が起きないようにするためだ。闇鍋がかき集めた証拠は、僕経由でそのままそっくり王家に渡っていたのだが。更にウェールズ家へと渡ったようだ。
マリー嬢の非を咎めるには穴だらけで証拠とすらいえないものたちだが、第二王子の非を咎めるには充分すぎるほど効力を発する。
メアリ嬢がいつ、どこで、誰といたか?そう、第二王子や闇鍋と共に、四六時中。
「これらの証拠を以て、婚約を破棄させていただきたいと思います」
一瞬の静謐、そして弾けるような拍手の渦。いかにマリー嬢が支持されているかが分かる。
ここまで見届けたら大丈夫。第二王子の会計係から次の職場がどこになるか、それだけの問題だ。
(まあどうせ下働きだしなあ……)
ため息をつき、盛り上がる会場から背を向けようとした時、また凛とした声が響いた。
「お待ちになって。…トム・スミス様、共にきてくださいませんか」
ギ、ギ、ギ、と音が鳴りそうなほどぎこちなく振り向くと、澄んだ蒼い瞳がこちらを射抜かんばかりに見つめている。
悪足掻きとして、左隣にいた級友を見た。激しく首を振られた。
まだ認めたくなくて、右隣にいた級友の婚約者を見る。扇で彼女の方を示された。
やっぱりもしかしなくても僕か。僕なのか。
先ほど以上の注目を集めながら、ゆっくりとマリー嬢のもとへと向かう。気の重さと比例するように、足取りは重い。
何とかたどり着くと、小さく深呼吸をした。
「…お呼びになられましたか」
「ええ。此度のこの騒動は、貴方の働きがあってこそおさまりました。感謝いたします」
見事なカーテシーを目前にし、少しだが落ち着いた。片手を胸に当て、礼を返す。
「いえ、僕は職務を全うしただけです」
「あの…」
格好つけすぎただろうか。尚も何かを言おうとする彼女に、首をかしげる。
「私と、婚約していただけませんか?」
「…は?」
デジャブのように一瞬の静謐、そして弾けるようなざわめき。完全に僕の思考はストップした。
とりあえず逃げ出した僕に翌日届いた異動命令は、財務部財務局、秘書係。財務大臣のお膝元である。
昨日以上に重い足取りで王宮に向かえば、雪山もかくやというほど冷たい空気が蔓延していた。
「やぁ、トム・スミス。昨日は可愛い娘のお話をあまり聞けなかったのではないか?」
にっこり笑われて、息がつまる。今後、公爵家にお邪魔しないという選択肢はなさそうだ。
まぁ、僕はマリー嬢があまりにも魅力的だから娶ることができる第二王子があまり好きではなかったわけで。身分の差を気にせず接してくれる彼女の姿を、学園内でも探してしまっていたのも事実としてある。
きっとそう遠くないうちに、マリー嬢とウェールズ公爵家の思惑通りになるのだ