親友との語らい
美月さんに用意したお薬とお水。そして美月さんのお友達である桐生明日香さんへのお茶を用意した俺は、リビングに居る桐生さんにお茶を持って行った。
「どうかしました? 桐生さん」
俺がお茶の入ったコップを持ってリビングへと入ると、そこには椅子に座る事なく部屋を見回している桐生さんの姿があった。
「あっ、鳴沢君。ううん、別に何でもないよ」
そう言ってにこっと微笑む桐生さん。
桐生さんは『何でもないよ』と言っていたけど、声を掛ける前に見たその横顔は、どこか儚げに見えた。
「そうですか。あの、お茶を淹れて来たんでどうぞ」
「あっ、どうぞお構いなく」
桐生さんの見せていた表情が気になりつつも、俺は持って来たコップを近くにあるテーブルの上に置いた。
「それじゃあ自分は美月さんに薬を飲ませに行って来ますね」
「ねえ。鳴沢君って、美月ちゃんの彼氏なの?」
踵を返して美月さんの居る部屋へと向かおうとしていた俺の背後から、桐生さんがそんな質問をしてきた。
「ちっ、違いますよ!」
「そうなの? それじゃあ、美月ちゃんの事が好きとか?」
「何でそうなるんです?」
「だって、一人暮らしの女の子の家に来てわざわざ看病してるなんて、普通に考えたら恋人か、もしくは好意を寄せてるからって考えるのが普通じゃないかな?」
言われてみれば桐生さんの言うとおりかもしれない。一般的に考えれば、俺がしている事ってそういう風に見られるものだろう。しかし、真実はまったく違う。
「そのどちらでもないですよ。俺はお隣に住むお友達の美月さんが心配でこうしているだけですから」
「ふうーん……まあ、そういう事にしておきましょう」
桐生さんはにこにこと微笑ながらそう言った。
その表情からは、誤魔化さなくてもいいのに――みたいな感じの印象を受ける。
「さあっ! 美月ちゃんの部屋に行こう!」
「えっ!?」
桐生さんはテーブルの上にあるコップのお茶を一口飲んでからそう言うと、二階へ続く階段の方へと歩き始めた。
「ちょ、ちょっと!?」
桐生さんは何の迷いも躊躇も無く、部屋を出て二階への階段を上って行く。
「ん!? この香りは……美月ちゃんの匂いだ。この部屋に居るんだね」
二階へと上がった桐生さんは、一番手前にある扉の前でクンクンと鼻を鳴らしてからそう言った。
確かにあの部屋には美月さんが寝ているわけだが、匂いでそれを感じ取るなんて凄い。まるで警察犬みたいだ。
「鳴沢君。入ってもいいかな?」
そのまま勢いで部屋へ入るかと思ったけど、桐生さんは俺に入室の良し悪しを聞いてきた。美月さんの病状が分からないから、それを知っている俺に入室の判断を委ねてきたんだろう。思いがけない行動とは裏腹に、結構思慮深い人みたいだ。
「部屋の中にある小さなテーブルの上に使い捨てのマスクが置いてありますから、入ったらそれを着けて下さいね?」
風邪が移るかもしれない可能性を考えれば入室を断るべきだろうけど、せっかく遠くから会いに来たんだし、入ってはいけないとは言い辛い。
まあ、俺としてもせっかくだから会わせてあげたい気持ちはあるし、桐生さんと会う事で美月さんも元気が出るかもしれないから、短い時間なら大丈夫だろう。
「ありがとね。鳴沢君」
桐生さんは俺にお礼を言うとドアノブへ手を伸ばし、それをゆっくりと回して扉を静かに開いた。
「美月ちゃん。起きてる?」
「……えっ?」
そっと開けた扉の隙間から顔を覗き込ませながら、桐生さんが静かに問い掛ける。
そしてそんな桐生さんの後ろに居た俺の耳に、美月さんの小さな声が微かに聞こえてきた。
「やっほー♪ 美月ちゃん♪」
覗き込んだままの体勢で右手を部屋の中に入れて小さく振りながら、明るくも静かにそう言う桐生さん。
「えっ!? 明日香さん!?」
唐突な桐生さんの登場に、美月さんの声がとても大きく跳ね上がった。
「あっ、起きなくていいから!」
桐生さんは慌てて部屋の中へと入って行く。俺はそのあとに続いて入室し、二人の様子を見ながらテーブルの上に薬と水が入ったコップを置いた。
ベッドの上で上半身を起こしていた美月さんを、まるで小さな子供でも寝かし付けるかの様にして優しく寝かせた桐生さんは、俺に言われていたとおりにテーブルの上にある使い捨てマスクを一枚取ると、それをサッと着けてから話を始めた。
「久しぶりだね。美月ちゃん」
とても優しい声で寝ている美月さんに話し掛ける桐生さん。その透き通る弾んだ声は、聞いているだけで癒しを感じる。
「明日香さん。どうしてここに?」
美月さんは未だ目の前に居る親友の登場が信じられないみたいで、その綺麗な目を驚きで丸くしていた。
「どうして? そんなの、愛しの美月ちゃんに会いたかったからに決まってるじゃない♪」
――えっ? 美月さんと桐生さんてそんな関係だったのか!?
思わず頭の中で美月さんと桐生さんがしっとりと絡み合っているところを想像してしまう。
――うん……悪くないね。むしろいいねっ!
二人が絡み合う想像のビジョンだけで顔がニンマリとしてしまう。
「もう、相変らず冗談が好きですね。明日香さんは」
「えへへ♪ 美月ちゃんにはバレバレか。でも、美月ちゃんが好きなのは本当だけどね♪」
「私も明日香さんの事は好きですよ」
「ありがと♪ 実はね、こっちにちょっと用事があったから美月ちゃんのところに来たの。三日前からずっとメッセージを送ってたんだけど、まったく返事が来ないから心配してたんだよ?」
「あっ、ごめんなさい。具合が悪くなってからずっと電源を切っていたので」
「相変らずしっかりしている様で、どこか抜けてるな~美月ちゃんは。まあ、そこが可愛いんだけどね♪」
そう言いながら美月さんの頭を撫でる桐生さん。そんな二人の様子を見ていると、仲の良い姉妹みたいに見える。
「抜けてるなんて酷いですよ~」
「あはは。ごめんごめん」
そう言って一層頭を優しく撫でる桐生さん。
そんな桐生さんに対して美月さんは口を尖らせながら不満を言いつつも、とても嬉しそうだった。
「それで、用事って何だったんですか?」
「ん? うん。それはまたあとで話すよ。今は病気を早く治す事を考えなきゃ」
「はい」
美月さんはその言葉に素直に頷いた。
まだまだお互いに積もる話もあるだろうけど、少し中断させてもらおう。
「お話中のところ悪いけど、美月さんは薬を飲んで」
「あっ、ごめんね。鳴沢君」
「すみません。龍之介さん」
「気にしなくていいよ。身体は起こせる?」
「はい。大丈夫です」
そう言って身体を起こそうとする美月さんを、桐生さんがそっとサポートしてくれる。
こんな時に女性が居るのは非常に助かる。やはり男である俺が女性である美月さんをしっかりと看病するには、色々と難しい事もあるから。
「はい。美月さん」
上半身を起こした美月さんに、薬と水が入ったコップを手渡す。それを受け取った美月さんは、『ありがとうございます』と言ってから薬を飲んだ。
そして美月さんが薬を飲み終わると、再び桐生さんが美月さんを優しくベッドに寝かせてくれた。
「それじゃあ、ゆっくり寝てて、美月さん。何かあったら携帯に連絡してね? どんな小さな用件でも遠慮はいらないからさ」
「ありがとうございます。龍之介さん」
「桐生さんはどうしますか?」
「そうだなあ。このまま美月ちゃんのところに居るのも悪いし……」
桐生さんはそう言うと、腕組をしながら小さく唸って悩み始めた。
「あの……龍之介さん。私の体調が良くなるまでの間、明日香さんをそちらの家に泊めてもらえないでしょうか?」
「えっ!?」
「おおっ! 美月ちゃんナイスアイディアだねっ!」
美月さんのお願いに、桐生さんは右手をグッと握り込んでから左手の平にポンッと打ちつけた。
「そ、それはさすがにまずいんじゃ……」
「あっ、やっぱり、恋人の美月ちゃんに悪いから?」
にこにことした表情でそう聞いてくる桐生さん。やはりまだ、俺と美月さんの関係を疑っているみたいだ。
「ち、違いますよ、明日香さん。私と龍之介さんはそんな…………」
段々と語尾が小さくなっていく美月さん。
恥ずかしさで顔が赤いのか、それとも熱で顔が赤いのかは分からないけど、そんな感じだとますます桐生さんに誤解を与えかねない。
「あーもう。そんなに顔を赤くしちゃって、可愛いなあ。鳴沢君、もう素直に白状しちゃおうよ?」
そう言って右隣に座っている俺の身体に、自分の右肘を何度も当ててくる桐生さん。
どことなくだが、桐生さんの行動を見ていると陽子さんの先輩である金森憂さんを思い出してしまう。
「ち、違いますって! ほら、ここに居たら美月さんが眠れませんから、家に行きましょう」
「OK! そう来なくっちゃ!」
この場を収める為に止むなく我が家へ来る事を認めると、桐生さんは右手の親指をグッと立ててからスッと立ち上がった。
「それじゃあ美月ちゃん。ちゃんと寝てるんだよ?」
「はい。早く治しますね」
「うんうん! それじゃあ行こう、鳴沢君」
そう言って美月さんの部屋を素早く出て行く桐生さん。
「ふうっ。やれやれ……」
「ごめんなさい、龍之介さん。明日香さんは昔から人の恋愛ごとには凄く興味があるみたいで」
「そうみたいだね」
「私と龍之介さんの事はあとでしっかりと明日香さんには言っておきますから、気を悪くしないで下さいね?」
「大丈夫だよ。それに、気を悪くするわけないじゃない。それじゃあ、しっかりと寝ててね? また様子を見に来るから」
「はい」
俺は美月さんの部屋をあとにし、下で待っているであろう桐生さんのもとへと向かった。
「恋人同士の語らいは終わったかな?」
「だから、俺と美月さんはそんなんじゃありませんてば」
「うーん。なかなか強情だねえ。まあ、そのあたりは鳴沢君の家でじっくりと質問攻めにするとしよう!」
「どれだけ聞かれても、結果は変わりませんよ」
俺はふうっと溜息を漏らしつつ外に出て鍵をかけ、そのまま桐生さんを隣の自宅まで案内した。
――さてさて。いったいどういった事になるやら……。
にこにことした笑顔の桐生さんを見て一抹の不安を感じながら、俺はこれから起こるであろう桐生さんからの追求をどう切り抜けようかと考えていた。