大胆不敵な女の子
空に浮かぶ分厚い入道雲はお昼を過ぎた今では更に大きさを増していて、青々としていた空の約半分くらいを覆っていた。それでも所々にある雲間から射す太陽の光は相変わらず目に眩しく、砂地や海を激しく熱している。
そしてまひるちゃんをナンパしていた大学生らしき三人の男達からまひるちゃんを救い出した俺は、二人で設置したパラソルの下へと戻って来ていた。
「まひるちゃん、ごめんね。怖い思いをさせてさ……」
「あっ、いいえ。あれはお兄ちゃんのせいじゃありませんから」
そう言ってまひるちゃんはにこやかに微笑んでくれた。
相当怖かったと思うのに、まひるちゃんはこうして俺に気を遣ってくれている。本当に優しい子だ。
「ありがとう、まひるちゃん。もう怖い思いはさせないからねっ!」
「は、はい。ありがとう、お兄ちゃん……」
そう言ってまひるちゃんは、顔を真っ赤にしながら俯いてしまった。
そして両手を合わせて人差し指同士をクルクルと回し、モジモジしているまひるちゃんを見て俺は思わず笑みがこぼれた。
「お、お兄ちゃん。ちょっと喉が渇きませんか?」
「そうだね。何か飲み物でも買いに行こっか」
「はいっ!」
まひるちゃんは元気に返事をして立ち上がると、素早くビーチサンダルを履いてから座っている俺に向けて両手を差し出した。
俺はまひるちゃんが差し出された両手を握って立ち上がり、飲み物を買う為に近くの海の家へと向かった。
「まひるちゃん。どれがいい?」
「えーっと、そうですね……」
一畳分くらいの大きさのステンレス製容器に入った飲み物の数々。その中にはペットボトルから缶まで沢山の飲み物が取り揃えられていて、水に浮かぶ大きな氷がパラソルの横から射し込む太陽の僅かな光を受けてキラキラと煌いている。
俺はまひるちゃんと一緒にステンレス製容器の中を覗き込みながら、どの飲み物を買おうかと品定めをしていた。
ここはスカッと炭酸ジュースか、それともさっぱり爽やかな果汁系ジュースか、それともオーソドックスにお茶にするか、結構悩むところだ。
「まひるちゃん。どれがいいか決めた?」
「えーっと……あっ! お兄ちゃん。私、あれがいいです」
真剣にどれを買おうかと悩んでいた俺の腕を軽く引っ張りながら、まひるちゃんは海の家の中に居る一組の男女のお客さんを小さく指差した。
――あ、あれはっ!?
まひるちゃんが指差している先に居るのは、初々しい感じのカップル。
しかもこのカップルはハワイアンな感じの青い飲み物に果物がトッピングされた金魚鉢の様な一つの器に、ハート型のストローを挿して飲んでいる。これが世間で聞くところの、カップル限定の飲み物ってやつだろう。
「……ねえ、まひるちゃん。あれってどんな飲み物なのか知ってる?」
「えっ? あれって何か特別な物なんですか?」
まひるちゃんは本当にあれが何か分からないらしく、小首を傾げてそう尋ね返してきた。
「えーっと……あれはね、恋人同士が注文する物なんだよ?」
「それじゃあ、恋人じゃないと注文はできないんですか?」
俺の言葉に対し、まひるちゃんは明らかにテンションを落としていた。
「いや、絶対に恋人同士じゃないと注文できないって事は無いと思うけど……飲んでみたいの?」
「はい……」
「……いいよ。それじゃあ、一緒に飲もっか」
「いいんですか?」
「うん。いいよ」
「本当ですか? ありがとう、お兄ちゃん!」
嬉しそうに俺の腕へと飛び付くまひるちゃん。下がっていたテンションは一気に上がり、満面の笑顔を浮かべていた。
正直に言えば恥ずかしいけど、まひるちゃんがこうして喜んでいるのを見ていると、それくらいは大丈夫かなと思えてくる。
腕に抱き付いたままのまひるちゃんを連れて海の家へと入り、正方形の小さなテーブルがある椅子に向かい合う形で俺達は腰を下ろした。
それから俺はテーブルの上にあるメニュー表を手に取り、例のカップルが飲んでいると思われる品を探し始めた。
そしてメニュー表に書かれた商品名を人差し指で順になぞりながら見ていくと、そこにまさにこれだろうと思われる商品名を見つけた。
――げっ! もしかしてこれか!?
俺が見ている商品名には、『ラブラブカップル限定★恋のブルースパークリングソーダ』と表記されていた。
なんて注文し辛い商品名なんだと思いつつも、俺は手を上げて店員さんを呼んだ。
「お待たせしました~。ご注文をどうぞ」
俺の呼び掛けを聞いてやって来たのは、老齢の柔らかな雰囲気の女性。店に入る時には気にしてなかったけど、よく見ると厨房らしき場所には、ねじり鉢巻をした元気の良さそうなおじいさんの姿があった。
「えっと、あの……」
やって来たおばあさんに向けてまひるちゃんご所望の品を頼もうとしたけど、そのあまりの恥ずかしい商品名に、俺は口を開くのを躊躇してしまう。
――くそっ……恥ずかしいな。あっ、そっか。別に商品名を口にする必要は無いよな。
「あの、これをお願いします」
俺はメニュー表に書かれているラブラブカップル限定★恋のブルースパークリングソーダを指差し、それをおばあさんへと見せた。
「ん? ああ~、ごめんなさいねえ。歳で目が悪くなってるから、文字がちゃんと見えなくてねえ。耳は大丈夫ですから、お品物を言ってもらっていいですかね?」
さっきよりも更に優しげな微笑を浮かべ、そう言うおばあさん。
その時にチラッと視界に入ったおじいさんが何故かニヤついているのが気になったけど、とりあえずそう言われては仕方がない。俺は意を決し、再び口を開いた。
「ラ、ラブラブカップル限定★恋のブルースパークリングソーダを下さいっ!」
「は~い。ご注文、ありがとうございますね」
おばあさんは注文を聞くと、満足げに微笑みながら厨房の方へと去って行った。
「凄い商品名ですよね」
「穴があったら入りたいって気分は、きっとこういう時の事を言うんだろうね」
苦笑いをしながらまひるちゃんを見ると、俺と同じ様にまひるちゃんも苦笑いを浮かべていた。
そしてそんなこんなで恥ずかしい注文を終えてから十分くらい待っていると、注文を聞きに来たおばあさんが例の金魚鉢の様な器を両手で持ってこちらへと向かって来た。
「はい。ごゆっくりどうぞ」
おばあさんは注文した品をテーブルの中心へ置くと、そそくさと厨房の方へ去って行った。
俺は改めてテーブルの上に置かれている物を見たが、そのファンシーさに圧倒されてしまう。
グラスの縁にはこれ見よがしに飾られた色とりどりのフルーツ。そしてその真ん中には、ハートを模ったストローが二つ挿し込まれている。これを二人で向かい合って飲むのは、かなり勇気がいるだろう。
――リア充ってのはこういうのを平気で頼んで平気で飲んだりしてるのか……。
「えっと……それじゃあ飲んでみよっか?」
「そ、そうですね」
俺の言葉でお互いにゆっくりと顔を近付け、目の前にあるストローの飲み口を口に含む。するとこれまでで一番近い位置にまひるちゃんの可愛らしい顔が近付いた。
こんな間近でまひるちゃんの可愛らしい顔を見れる機会などそうそう無い。そう思った俺は、思わずまひるちゃんの顔をじっと見つめてしまった。
「あっ……」
そしてそれに気付いたまひるちゃんは、顔を紅くしながら少しだけ視線を横に逸らしてしまった。
「も、もう……いつまで見てるんですか?」
「あっ、ごめんごめん」
「……でも、こうしてたら私達も恋人同士に見えますかね?」
「えっ? あー、それはどうかな?」
なんとも答え辛い質問をしてくるまひるちゃんに対し、俺はお茶を濁す感じでそう答えた。
「もう……そこは『恋人同士に見えるさ!』って言ってくれないと」
「ええっ!?」
まひるちゃんはそんな事を言ってぷくっと頬を膨らませる。
そしてその言葉に驚いた表情を浮かべる俺を見ながら、楽しそうに微笑んだ。
まひるちゃんの言動は本気なんだか冗談なんだか分からない事があるけど、どちらにしても純真な男子の心臓に悪い。俺がその発言を本気にしたらどうするつもりなんだろうか。
「――とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「ごちそうさまです」
注文を取りに行っているおばあさんに代わり、厨房に居たおじいさんにお会計を渡しながらお礼を言う。
「そいつは良かった。あの飲み物はね、ワシと婆さんを結んでくれた思い出の飲み物なんだ。二人も仲良く付き合うんだよ?」
「は、はい」
「ありがとうございます。おじいちゃん」
明るくそう答えるまひるちゃんとは違い、俺は戸惑いながら返事をした。今更このおじいさんに恋人同士じゃないとは言えないから。
そして会計を済ませてから店を出ようとしたその時、俺は信じられないものを見た。
「これとこれと……あと、ビールを二つ下さい」
「あいよ。焼きそばにイカ焼きに、ビール二つだね?」
そこにはメニュー表を指差しながら、おばあさんに注文をする二人の女性の姿があった。
――あれっ? あのおばあさん、目が悪くてメニューの文字が分からないんじゃなかったっけ?
どう見てもそんな風には見えないおばあさんの姿に唖然としていると、チラッとこちらを見たおばあさんが右手の親指を立てて俺に見せてきた。
そしてそれを見た俺は全てを理解し、おばあさんに篭絡された事に軽く凹みながら店をあとにした。