君はいつも、答えを知っているんだね。
例えばそれは、とても高価なものと似ているんだ。目の前で、欲しいなと憧れて。届かないことが歯がゆくて。
例えばそれは。空を飛ぶ鳥を羨むことに似ていて。青空を優雅に飛ぶ姿に見惚れて、なぜ僕には羽がないのだなんてよく分からない疑問を抱く。
ただ、この心にあるものは似ていて違う。届くのだ、手を伸ばせば。あるのだ、心の中に。憧れることも、羨むこともすることなく。
一歩、踏み出せれば。少しだけ、手を伸ばせば。それはきっと、触れることが出来るんだろう。
♦︎
「…… 軟弱者」
呆れた顔で君は言う。呆れられる理由が思い当たるから、僕はなにも言い返せない。
「た、タイミングは重要だろ⁉︎ い、今のはその…… 間が悪かったんだ!」
言い訳とも言えない、もはや言い逃れを口から吐き出した。君は合わせたかのようにため息を吐いて僕を指差す。
「一つ。もはや修復不可能なレベルであんたはあがり症。 二つ。そんなあんたにも何気なく話しかけてくれるあの子。 三つ。話しかけられてるのに目が泳ぐあんた。 …… そりゃ、恋どころか会話すら始まらないのは当然」
「じ、じゃあどうすればよかったんだよ」
仕方ないじゃないか。何の前触れもなく「元気?」なんて言われたってさ、こちらとしてはどう答えるのが正解かなんて分からないんだよ。
「…… はぁぁ。 ほんと、馬鹿だねあんた」
君の呆れた顔は、もう見飽きるくらい見慣れてしまった。
僕には好きな人がいる。あんまり目立つタイプではない、でも別に暗いというわけじゃない。必要以上に前に出ないと言えばいいか。気さくであり、人当たりが良く、誰にでも優しい。そして可愛い。
そんな子に、恋をした理由は単純。進級に伴うクラス替えで、隣の席だったから。
『よろしくね』
その一言で、なんともたやすく好きだと確定してしまった。それから始まっている僕の片思い。
「…… それ、僕のメロンパン」
「ん? …… あんたねぇ、平和ボケしすぎ。これだからゆとり世代は…… いい? ご先祖様達は自然界を食うか食われるかの瀬戸際の中で生きて、文明を築き上げてきたのよ? 目の前にあるものは捕らえる。いわばこれは捕食、結論あんたがいつまでも食べずに置いとくから悪い」
ご先祖様って。どれだけ昔の話をしているんだ。いま平成だぞ。しかも君もゆとり世代だろ。だいたい、パンが置いてあったから食べたって。それただの窃盗だろ。言い方が悪いと言うなら、横取りとでも言い直してあげようか?
…… 僕の目の前で。僕のメロンパンを頬張る女子。この人が僕の好きな人、ではない。関係性を伝えるなら…… アドバイザー?
奥手な僕が勇気を振り絞って書いた手紙、下駄箱に入れるのは相当緊張したのを覚えている。…… 同時に、目の前の君がとても嬉しそうにニヤついていたのも覚えている。
『 言わない代わりに、見せてよ』
君のその言葉で、今の僕らの関係が始まった。 なぜそんなことするのか、なんてのは。君に言ってもどうしようもないのだろう。
「…… いつまで続くんだろ」
「ん? なんか言った?」
「…… メロンパンは美味しいですか?」
「当たり前じゃん」
もはや自分の物のように言うんだね……
♦︎
「はぁ……」
今日も進展はなかった。 想像通りにはいかないのは分かるけど、やっぱりつらい。
高望みはしない、でも多くは望んでしまう。何気無いことや、ごく当たり前のこと。そんなことを、あの子にも出来たなら。願うだけで、気持ちが収まればいいのに。
誰もいない放課後、机に視線を落として一人落ち込んでみた。
「女々しいね、ほんっとに」
「…… 落ち込むことを拒否されるなら、僕は女々しくていいです」
本当に。どこからともなく現れて優しくない言葉を投げつける。少しくらい優しさを持ち合わせてはいないんだろうか。
「まったく。あんたね、悩んでばっかで情けないと思わないの?」
思いますとも。しかし、なにも出来ないんですよ。仕方ないじゃないか。
「…… どうしたらいいと思う?」
「…… なにが」
君にはもう、隠し事は出来ないんだろう。だったら、逆にぶつけてやる。僕だって、ちゃんと考えてるんだ。
「僕はこんなだし。見た目も中身も良いとは言えない。あの子は友達多いし明るいし、釣り合わないんだよ。僕なんかじゃーー」
「 あんたは」
言葉を遮る、君の言葉。どこか苛立ちを感じさせる、初めて聞いた声。
「あんたは、どうしたいの?」
「だから、どうすればいいか悩んでーー」
「質問、ちゃんと聞いてた? どうすれば、じゃなくて。あ、ん、た、は。 どうしたいの?」
…… どうしたいかって。そんなの、決まってるよ。
「…… あの子と、付き合い、たい」
「…… はぁ。あんたはいっっつも、どうすればいいって悩んでるみたいだけどさ。私の知る限り、あんたはそんな器用な答え出せるやつじゃない。難しく考えすぎなのよ、バーカ」
「ば、馬鹿は酷くないか?」
「馬鹿でしょ。恋愛感情を小難しい暗号文とでも思ってんの? 人が人を好きになる、そんでその人を振り向かせたい。さ、あんたが取るべき行動は?」
取るべき行動。 ……あの子、確か生徒会に入ってたよな。
「い、行ってくる!」
「…… いきなり告白はやめなよ。連絡先くらいね」
「…… 断られないかな?」
「知らん」
「そ、そこは嘘でも大丈夫ってーー」
「私、無責任なことは言わないからさ。ぶっちゃけなにを血迷って突然好きな人のところ行こうとしたのかも分かんないし」
「き、君が言ったんだろ!」
「…… ほんと単純。 連絡先くらい教えてくれるでしょ。ほら、行った行った」
君は邪魔者を追い払うように手を払う。
「い、行ってきます」
「私は親か。早く行けっての」
「うん。いつもありがと! 今度何か奢る!」
僕はそう言って、教室を出た。
好きな人に、一歩近づくために。
♦︎
「…… 難儀な人たちだ」
お互いに、自分に自信持ってないからなぁ。まぁこれで、自分たちでどうにか出来るくらいにはなれるかな。
「…… いつもありがと、とか。 ほんと、馬鹿だ」
あんたとあの子が付き合うのが目的なんだよ。それまでの関係だ。『いつも』と『いつまでも』は違うんだ。あんたと私は『いつまでも』にはなれないよ。 …… ならないよ。
あの子の気持ち、あんたに知ってほしいけど。あの日私があの場にいた理由を、あんたは知らなくていい。そういうこと。
手が届くのに、手を伸ばさないのは馬鹿だ。でも。手が届かないから、手を伸ばさないのは賢いだろ?
「…… 私は賢いからね」
賢いけど、あんたみたいに強くはない。あんたみたいに、辛くても我慢できる人間じゃないから。
「…… 明日。ニコニコしながら学校くるかな」
涙は。不必要になったものを、身体の中から取り除くんだ。今、悲しいって気持ちを全部出しとくよ。明日も、あんたが言う『いつも』でいられるように。
「…… ぐすっ。へへ、賢いな私」
口角を上げてみても。涙は止まりそうにもない。この涙が出た理由が、あんたなんだから。
零れた分だけ、あんたのことが好きだったんだね。でもね、後悔はしないよ。
これが私の、答えだから。
終