疑惑
月曜日。同じ制服を着たたくさんの生徒達が一様に学校へ続く道を歩く中、私の気分は朝から最悪だった。
「ねぇねぇ聞いた⁉︎ 山下君って恋人いるんだって!」
「うそ⁉︎」
きゃっきゃっと噂話に盛り上がっているその声や時折聞こえる悲鳴が頭に響いて耳障りだ。
うあー……。
なんだこれ。朝家出るときは何にもなかったのに、さっきから胸がムカムカして痛い。風邪でもひいたか?
ズキズキと痛む胸に手を添えながら教室へ入り、なんがなんだかわからないまま鬱々としていたら、終業式が終わり今は長ったらしい先生のお話を聞くホームルームだ。
休みだからと言って羽目を外しすぎるな〜〜ちゃんと宿題やれよ〜〜補導されるなんてことになるなよ〜〜など、わざわざ言われずとも分かりきってるわ。
出口のない苛立ちが私の中で延々と充満する中、早く終わらないかと思いながら遠くを見つめた。
* * *
「……か……ち………ち……か………ちか……」
うるっさいなぁ。誰だよ。騒ぐんなら他所でやれ。私は眠いんだ。
近くでする煩わしい声を振り切るように首を動かす。
「……」
止んだ声にやっとゆっくり眠れると微睡みに身を委ねようとしたその時。
「私が呼んでんのに無視するなんていい度胸だな」
一瞬にして私の意識は覚醒した。
しかし次いでガコッとおおよその人の頭から鳴りえない鈍い音と共に私の後頭部に衝撃が走った。
「ぐふぁ……っ」
っつ〜……っ!
顎が、顎が机に強打したよのんちゃん!
頭と顎に手を押し付けて悶絶する。
声にならない悲鳴をあげていると、横から違う声がかけられる。
「中条⁉︎ ……って、坂本大丈夫⁉︎」
のんちゃんの蛮行に素っ頓狂な声を上げた山下君が慌てて私に駆け寄る。
彼の顔を見た瞬間私の体は緊張したように強張る。
なるべく目を合わせないように大丈夫だと身振りで示して顔を上げると、教室には殆どの生徒が居なくなっていた。
「え、何で皆いないの?」
なんか教室がもぬけの殻なんですけど。いるとしたら数人の生徒だがそれももう今まさに教室を後にしようとしている所だ。
そんな私に片や溜息、片や苦笑を返された。
「あんたがぼけっとしてる間にホームルームはとっくに終わったんだよ」
「さいでしたか」
つまり私は居眠りをしていたと。
変な体勢で寝たせいか首が痛いな。
こきこきと首を回していると、山下君が横から顔を覗いてきた。
「坂本、顔色悪いけど体調が悪いのか?」
心配そうに眉尻を下げる彼は全て良心から言ってくれているのだろうけど、何故か胸が苦しくなるのと同時に後ろめたくなって俯いてしまう。
「大丈夫だから。さあ早く帰ろう! ごめんね私のせいで待たせちゃって」
少し素っ気無さすぎただろうか。
少し強引過ぎただろうか。
私は殊更明るく振舞って、さっさと鞄を手に立ち上がる。のんちゃんの視線が痛かったけど気づかないふりをした。
「そうね。せっかく早く学校が終わるのにこんな奴のせいで時間食ってたら泣くに泣けないわ」
今は追求しないでやると、言っているのが長い付き合いの私には分かる。
そしてそれが今の私にはとても助かった。
ひどいっと軽口を叩きながら教室の扉をくぐれば、山下君が教室の中で呆然と立ち尽くしているのに気付いた。
「ほら、さっさと行かないと置いてくわよ」
のんちゃんに声をかけられて我に返った山下君は小走りで駆け寄ってくる。
その姿に私の胸は痛んだ。
* * *
「んじゃあまた明後日。絶対に弁償してこいよ」
ガンを効かせた眼差しを私に向けて、のんちゃんは右の路地に入っていった。
ふ……っ。安心なさいのんちゃん。
もう既にゲーム本体とソフトは購入済みなのよ!
明日はクリスマスイブ。お互いイブの日は家族で過ごす予定なので、クリスマスにのんちゃんの家に行くのだ。手土産は勿論壊したゲーム達。
後漫画も貸し借りしているからそれらも。
ふ……っ、現実逃避もここまでだな。
のんちゃんと別れて約五分。
山下君と二人きり。
無言なう。
「……」
「……」
気まずい。実に気まずい。いつもならどちらからともなく話題を振って会話を楽しむのだが、今この状況で口を開けるほど私に度胸は無い。
……いや、度胸以前の問題か。
本心では会話が無いこの状態に私は安堵している。
何故か今は、彼と話したく無い。顔も見たく無いのだ。
一瞬、見てしまった途端胸が痛くなって苦しくなる。息が詰まるんだ。
昨日までこんなことはなかったのに、今日になって急にこんな事になってしまったのだ。これでら一体どう接すればいいのか分からないじゃないか。
そうこうする内やっと家にたどり着いた。
いつもより何倍も時間が長く感じた。
「……送ってくれてありがとう、それじゃあーー」
「さ、坂本!」
早々にこの場から立ち去ろうとした私の腕を掴んで山下君が引き止める。
反射的に体が跳ねる私に、しまったという顔になる山下君。
暫し奇妙な沈黙が降りる。
「……」
「……」
いくら待てど何も言わない彼に私は段々苛立っていた。
男ならさっさと言えよ。
「……」
「……」
(……あぁっ苛々する! この意気地なしのスコポンたんが!良いのは顔だけか⁉︎ 男なら根性見せろ!)
「何にもないなら帰るね」
ばっと掴まれた腕を振り解こうとするとさっきよりも力が込められる。
「ま、待って! あのさ! 俺、坂本に何かしちゃった……? なんか今日の坂本素っ気無言っていうかいつもと違う感じがしたからさ。言ってくれたら謝るし改善するから教えてくれない? 俺こんな形で坂本と仲悪くなるの嫌だし……、もっと坂本と一緒に話とか色々したいんだ……」
矢継ぎ早にかけられる言葉に面食らう。
最初の勢いがどんどん萎んで行って、最後は聞き取れないほど小さくなり自信なさげになる。
ああ、ごめん。
違うんだ。山下君が悪いんじゃなくって。
でも心の底では、お前が悪いと言う醜い自分もいて、自分の事が嫌で堪らなくなる。
悔しくて、泣きたくないのに涙が勝手に涙がこみ上げてくる。絶対に泣いてなんてやるもんか。
私は唇を思いっきり噛んで涙が引くのを待つ。
その間も不安げに揺れる山下君の瞳。
それを見た瞬間、また私の中で言い知れない感情が沸き立つ。
不意に脳裏によぎる朝の女の子達の会話。
『ねぇねぇ聞いた⁉︎ 山下君って恋人いるんだって!』
『うそ⁉︎』
今度はどうしようもない怒りが湧いてきて、これ以上ここにいたら心にもない事を言ってしまいそうだ。
「……ありがとう。でも今はちょっとほっといてくれる? 今は山下君の顔見たくないの。バイトの送り迎えもいいから。今までわざわざありがとう。じゃあ」
息継ぎも無しにまくし立て、私は家に駆け込もうとして、また腕を掴まれる。
「……っ」
「待って坂本! せめてバイトの帰りは誰かと一緒じゃないと危なーー」
「もうほっといて……っ」
腕を引かれた拍子に山下君と向き合う形になってしまった私は、思わずどんっと彼の部活で引き締まった胸を目一杯突き飛ばしていた。
冷たいアスファルトに尻餅をついた山下君の驚いた顔と、これでもかと目を見開く姿に罪悪感が膨れ上がって、気付いたら私は家の中に駆け込んでいた。
バタンとドアを閉めて、その場にずるずると座りこむ。
膝の上に頭を乗せて去り際の山下君の顔を思い出す。
酷く、傷ついた顔をしていた。
私が傷つけたんだ。あの時、山下君は私の事を心配していってくれたのに突き飛ばすなんて最低だ。
向き合った事だって別にわざとした訳じゃないのに。自分に吐き気がする。
(……でも、逃げてきてよかった)
あれ以上あそこにいたら私は何を言い出すのか分からない。今度こそ、彼をもっと深く傷付けたかもしれない。
今の私は感情的になっているとわかっている。でも、頭ではわかっていてもどうしようもできなかったのだ。
どれ位時間が流れたのか、すっかり暗くなった外に、私はのろのろと立ち上がり部屋のベットに横たわった。
ぼんやりする思考。ああ、制服脱がないと。今何時だろう、早くバイトに行かないといけないのに、体が動かない。
もう何をするのも怠くて、私は目を閉じた。