給料日
パタンと携帯を閉じ、ロッカーを閉めてからマフラーを首に巻く。
そのまま更衣室を後にし、灯りがついている部屋に顔を出す。
「店長、お先に上がらせて貰いまーす」
私が声をかけると机に向かっていた見た目二十代の店長が顔を上げた。
「あら、知夏ちゃん。お疲れ様ー。今日はありがとね。大丈夫だった?」
「はい、店長が色々教えてくれたおかげでなんとか」
これは決してお世辞ではない。
このお店は私が短期で雇ってもらえたバイト先の大手チェーンのファミレス。家からも丁度いい距離で、尚且つ魅力的な待遇だったので即座に申し込んだら採用してもらえたのだ。
店長は企業のお偉いさんの娘らしく、実績や人望も厚い為店を任されているのだ。
今回急遽バイトをとったのは他の従業員が二人、体調を崩したらしい。そこに丁度来た私に、店長直々指導してくれたおかげですぐに仕事を覚える事ができたというわけだ。
また店長の分かりやすい説明ときたらなく、何故学校の教師にならないのか不思議なくらいだ。下手すればそこら辺の教師よりうまいぞ。
「ふふふっ、知夏ちゃんは上手ね〜。それじゃあ暗いから気を付けてね。明日もよろしく」
「はい、失礼します」
お世辞ではなかったのだが、押し問答になるのが分かっていたので大人しく引いて部屋を後にした。
しかし店長わけぇな。綺麗な肌にとても三十路を手前とは思えない若々しさだ。私も将来あんな風になれるかな………………無理だな。
早々に将来の自分に見切りを付けた私は裏口のドアノブに手をかけると、甲高い音を蝶番が鳴らしながら扉を開けば声を掛けられる。
「あ、坂本。お疲れ様」
寒空の下、出口の横に立っていたイケメン山下君に正直驚く。
「ほんとに来てたんだ」
つい、ぽろっと口から出てしまった。失敬失敬。
「どういう意味⁉︎」
心底驚いたという顔で目を剥く山下君。
まさか本当に迎えに来てくれるとは誰も思わんよ。
「俺さっきメールしたよな⁉︎」
メール……。更衣室で見たアレの事か。
「いや、何かの冗談かと」
イケメンジョ〜ク的な。
「何でそうなるんだよ」
「冗談だよ」
少しむくれてしまった山下君に笑ってしまう。
「もうっ、さっさと行くぞ!」
「はーい」
先に歩き出した山下君に私も小走りで続いた。
山下君はコートの襟を立てて首をうずくめる。
「そういえば山下君マフラー無しで寒くないの? 見てて寒いんだけど」
「去年まではあったんだけどなくしちゃったんだ」
「だったら別にこなくても良かったのに」
「まだ言う! こんな時間に女の子を放置できません」
「そんな鼻を赤くして言ったって説得力無いよ」
そんな風に楽し気な笑い声を上げていた私達はこの時、建物の陰から私達を伺う陰に気づかないまま一日が終わった。
なんだか日常になって来た、三人で食べるお昼。
今日ものんちゃんの机に集まって食べていると、のんちゃんが唐突に呟く。
「そういえば最近桂木町辺りで不審者が出てるらしいよ」
「にょ?」
なんだいきなり。
口に突っ込んでいたウィンナーのせいでくぐもった声が漏れてしまう。
不審者なら今の日本、特に変わった事じゃないだろ。
彼女が何を言いたいのかいまいちピンと来ず、首を傾げる。
「そこってあんたのバイト先ら辺じゃなかった?」
呆れた眼差しをくれるのんちゃんが説明してくれた。
「ああ、そういう事。大丈夫大丈夫。私みたいなのに何かしようと思う奴は居ないから」
彼女は心配してくれたらしかったが、こんなモッサい女誰も襲おうとは思わないだろうよ。
「そういう事は自衛手段を獲得してから言え」
「のんちゃんに言われちゃ殆どの人が駄目だよ」
柔道合気道剣道などなど武才に秀でた彼女より強い奴はこの学校にいるか?否、居ない。これは断言できる。
「中条ってそんなに凄いのか?」
のんちゃんの事を知らない山下君が首を傾げる。
「別に」
「柔道合気道共に黒帯。剣道初段の奴が何を言う」
こんな高校二年生早々いないぞ。
山下君の頬が引きつっている。ホントはまだまだあるんだけどね。
「そんな事よりちゃんと気を付けなよ」
「そうだぞ坂本」
「わかったー」
「……」
眉を顰めたのんちゃんに私は脛を蹴られるのだった。
バイトを始めて早数日。ついに……っ! ついにこの日がやってきた!
それは、給料日!
この数日間、必死に働いた苦労の結晶は何者にも耐え難い。世の大人達が給料日にはしゃいでいる姿を見て、うっわいい大人が何やってんだとか思っていた事を全力で訂正する。わかるぜその気持ち。
短期の私は給料が支給されるのも早い。
可能な限りシフトを入れまくってヒィヒィ言いながら働いた結果、それなりの額をもらう事が出来たのだ。家でも今までこつこつ貯めていたお小遣いプラスお年玉で大半は集まっていたんだけどどうしてもあと少し足りなかった。
それがやっと貯まったのだ! これを喜ばずして何を喜ぼう。
舞い上がっていた私は次の日デパートにお出掛けしていた。
まず向かったのは電気製品を並べているお店。そこで借りて壊してしまったゲームとソフトを購入する。中々にパンパンだった財布が一気に軽くなったのは少し寂しかったな。
そのあと、私はこの時季の防寒具が色々と売っているお店に立ち寄った。メンズ、レディース共に揃っているここはカップルで溢れかえっている。
ここで買うのはマフラー。
先日山下君が首元を寒そうにしていたのでこれをクリスマスプレゼントで渡そうと思っているのだ。
さあ選ぼうとメンズコーナーに入り、若者が身に付けそうな所で止まり、開いた口が塞がらなかった。
ナンダコレハ。
色取り取りの布地が使われた数多のマフラー達。いったい何種類あんだよ。この中から選べと? ないわ〜
何だよこれ、ラピスラズリ? ルクソール? 同じじゃねぇか。青なら青で統一しやがれ。
何が何だか分からず悩みに悩んだ結果、結局モデル人形が来ていた灰色を基調に両端に赤と白の色が使われた物にした。
別に適当に選んだわけじゃない。ただ種類があり過ぎてどれにすればいいのか分からなかっただけだ。私は悪くない。こんなに作りやがったファッション企業が悪い。
何故彼にこんな物を渡すのかと言うと、元はと言えば彼に非がある事はあるのだが、それを差し引いても余る程良くしてもらっている。学校での雑用然り、送り迎え然り。
そんな彼に何もしないのは流石の私も心が痛むというもので、のんちゃんに相談したらプレゼントを贈れとのアドバイスを頂けたのだ。
その時、マフラーが無くなったと言っていたのを思い出し、今に至る。
土日明けの月曜日は終業式だからその時にでも渡すか。まだクリスマスまで二日前だけど。
山下君がどんな反応をするのは少し楽しみになりながら帰宅したのだった。