過保護
チャリっ。
教室から一番近い中庭に面した渡り廊下にある自販機。二百円を投入して、百五十円の○〜いお茶を選ぶと程なく投下される。
私はあまりの息苦しさに教室から逃げ出していた。
何故。
それはーー
「おーい坂本!」
私が来た道から走り寄ってくる男子生徒。
サラサラな黒い髪に柔和な目元を縁取る長い睫毛。部活で程よく焼けた頬を冷気に赤らめ、通常より早めにつがれる息を空気が白く染めて、慌ててきたのだろうことを如実に表していた。
「……山下君」
そう。こいつが私の憂いの原因だ。
「間に合って良かった。お茶買いに行ったって聞いたから急いで来たんだ。これ位言ってくれたら俺が買いに行くのに」
いやいや、イケメン山下君にそんな事恐れ多くてお願いできねぇよ。
平凡女子の人見知り舐めるな!
ここ数日、何故かイケメン山下君が私にこれでもかと付き纏……、んっんーっ、尽くしてくれる。
それはもうとっても。学校中その話題で持ちきりだ。
あの日以降、下校は必ず家まで送ってくれるし、のんちゃんも交えてお昼を食べている。ていうか押し掛けてくる。
本人にその気はないのだろうけど、山下君にお願いされて断れる女子生徒は殆どいないだろう。あらゆる意味で断り辛い。
ただそこにいるだけで話題な上がるイケメン山下君が、特定の女に付き纏っている様はさぞ噂話に花を咲かせるだろう。
こっちからしたら良い迷惑だけどな!
そして今日、ついに教室の空気に耐えかねた私は彼が一瞬席を外した隙を突いて逃げてきたんだけどもう戻ってきやがったのか。
正直に言おう、マジで鬱陶しい。
「いや、これ位自分でやるし大丈夫だから」
ああ、早くここから逃げ出したい。
この渡り廊下は比較的人が少ないが、皆無ではない。他の生徒からの好奇の視線が痛い。野次馬が増える前にとっとと帰ろう。
「駄目だ。坂本は女の子なんだから重い物を運ぶのは男に任せてくれたら良いんだから」
普通の男子生徒なら出来たさ。しかしね、君をその括りに入れてしまうのはバチが当たるというものなのだよ。
つかペットボトル一本で重いとかどんなだよ。
山下君のイケメン発言に私たちのやりとりを見ていた一部からきゃぁと小さな悲鳴と感嘆の声が漏れ聞こえる。
「いや、女はそこまで非力じゃないから。それじゃ箸しかもてない深窓の令嬢でしょ」
だから、つい本音が口から漏れてしまったと時にはもう遅かった。
(やっちまったー……)
何を突っ込んどる私は。今日までみんなの人気者という存在の山下君に気後れしていた私はどこか素っ気なかったのは自覚があった。それがいきなり突っ込んだら性格変わりすぎだろ。
因みにのんちゃんは、長い付き合いの中でそんなものはどこかに飛んで行った。
まあ言っちゃったものは仕方ないかと開き直って、若干、恐る恐る山下君の顔を伺えばきょとんとしていた。
ああ、彼の中の女の子像を壊したかな。
しかし私の杞憂など全くの無駄に終わった。
「はははっ! 坂本って面白いな。やっとホントのこと言ってくれた気がする。でもこれは俺がやりたいだけだから、それならいい?」
不意の山下君の表情に虚をつかれる。
いきなり笑い出した彼は満足気に屈み自販機からペットボトルを取り、下から覗いてくる。
「ありがとう?」
「なんで疑問形なんだ?」
「いや、なんとなく」
「ぷふっ。坂本って面白いな! 早く教室戻ろう。せっかくの休み時間が終わっちゃう」
イケメンと言う事に気後れしていた私が砕けた感じになったのがお気に召したのか嬉しそうに笑う山下君。
まあそのおかげで面白い人認定されたけど。
私の中でも何か吹っ切れたように自然に話せるようになっていて、歩きながら楽しく会話を出来た。
しかしまたあの教室に戻るのかと思うと私の足は自然と重くなっていた。
「おかえり」
教室に戻り、のんちゃんの机に行くと出迎えてくれた。
「ただいま」
そう返事をしながら彼女の正面に腰掛け、山下君も横に座る。当然のように付いてくる彼に私はもう諦めている。
残り少なくなってきた休憩時間を前に、速度を上げて中断していたご飯を再開する。
昨日は時間が無かったので今日はコンビニの唐揚げお弁当をつついているとのんちゃんが思い出した様に顔を上げる。
「そういえば朝にバイト始めるっていてたけど、どこのしたの?」
「ん? ああ。実はさーー」
「え、坂本バイト始めんの? いつ? 放課後?」
私がのんちゃんにご報告しようとした瞬間、山下君が異様な程バイトに食いついてきた。
「そ、そうっす!」
身を乗り出してくるイケメン山下君に思わず体を反らす。
何が彼をここまで突き動かすのか、あまりの熱気に頬が引きつり挙動不審になってしまった。
「この時季暗くなるの早いのに大丈夫なのか? 最近不審者もよく出るって言うし……」
「そこは短気だから大丈夫かと」
お前は私のオカンか。
本物でも大丈夫だろって気にしてなかったぞ。うちはどちらかと言うと放任主義だからな。
なんだよ暗くて危ないって。
そっか短気か、でも、とかやっぱり危ないんじゃとか、また倒れたらとかぶつぶつ言っている山下君。
私たちのやり取りを無表情で見ていたのんちゃんが、とんでもねぇ余計な事をのたまりやがった。
「そんなに心配なら迎えに行ったらいいじゃない」
「……は?」
脳がのんちゃんの言った事を拒絶して、理解するのに時間を要した。
ゆっくりと反芻して嚙み砕く。えーっと……。
「いやいやいやいやいやっ 何言ってんののんちゃん⁉︎」
いきなり大声を出した私に迷惑そうな顔をするのんちゃん。だがそんな事知らん。今はそう言ってられないのだ。
「……そっか。確かにそうすれば良いんだ! じゃあ坂本、バイト終わる頃に迎えに行くな」
眩しい笑顔を向けてくれるなよ!
そんな事したら、あああっほらまた! 教室中が変な空気に包まれる。
この居た堪らなさはなんだ。
「……いや、流石にそこまでさせるのは悪いよ!」
思わず手を前に出して押し留めるジェスチャーをしてしまうくらい私は動揺していた。
既に放課後家まで送ってくれた後、もう一回学校に戻って部活動を始めるなんて無駄な事をさせているのに、その上バイト。罪悪感で胃に穴が開くわ。
学校のアイドルにバイト先まで送り迎えなんざして貰った日には私の人生終わりだ。
因みに懸念していた事だけど、今の所予想に反して女子の方々からのお呼び出しは掛かっておらず、冷たい視線もあるけど、どちらかというとそれとは違う感じのが多い。
「でもまだ怪我の心配もあるし、また倒れたら大変だろ。俺がボール当てたんだ、それ位責任持つよ」
それを言われてしまっては何も言えまい。
そうして意外と意思の強いイケメン山下君に私は渋々折れたのだった。