いのしし、きたる
「この河越えれば隣国だぞ! よかったな!」
御者のおじさんが馬を操りながら、中にいる私たちに小窓越しに声をかけた。
ブランシュ王国とその隣にある国、アッシェンプッテル国、は国の間に大きな線を引くように、河が一つ流れている。
ようやくか、とほっとする。
いい加減、長い旅に飽きてきて、なんどかホウキに乗って先に行こうかとも考えたが、間違いなくおじさんを悲しませてしまうので、言うことができなかった。
「ししょー、なんでガッツポーズとってんの?」
「この旅もようやく後半に差し掛かったと思うとね」
「まだ半分だよ、師匠」
ぐだーと横になりながら言う赤ずきんは本当にこの馬車に乗る資格があるのだろうか。
同じようなだらしない格好をしている私が言えたことでもないが。
ー私からホウキを取り上げたくせによくいう。
「顔に思い切り出てるからいうけど、違うよ。ホウキで行くなら、俺も連れていって、って言っただけじゃん」
ふふん、と鼻を鳴らす。
「その後、ホウキを奪ったじゃないの」
「だって、どっかでかけようとするから」
「帰ってくるつもりだったし」
「ええー、師匠だけ息抜きなんてずるいよー」
「魔女の特権だよ」
ずっとこの調子である。
最初のうちははしゃいでいた赤ずきんも、今は変わらない中身に飽きてしまったものらしい。
そんな中、私が一人だけでこっそりでかけようとしたことに少し、不貞腐れている。
「ところで、ししょー?」
「ん?」
「そのチョコ、とって。あ、ありがとう」
たくさんあった土産物の一つをこっそり失敬したらしい。
私は一つもらっただけで、あとは関係ない。
もっとも市販で売られている安物のチョコで、しかも大量にあったので、一つくらいとっても赤ずきんなら上手く白雪を言い含められるだろう。
献上品のリストをうまく、改竄できれば。
ちなみに世の中ではこうした行為を横領という。
ーそれにしても、献上品になぜこんな安物が紛れているんだろう。
王族とはかくも不思議なものかな。
「でさ、師匠」
ばりぼりばり。
「俺たちが行く隣国ってアッシェンプッテルだったの?」
こっそり、私も一つ失敬する。
「そうだよ。…ってえええええ?」
知らなかったとは驚きだ、と私は口のなかでチョコレートを溶かした。
「いや、何となくそうかなとは思ってたよ」
「思ってただけかいな」
「うん。だって俺、国の外出たことないし、どっちの隣国に行こうが、あんま関係ないんだもん」
だもん、と赤ずきんは軽くいう。
「ほぇー、何で来たのか心底不思議に思うよ」
だから私も軽く返した。
「うーんと、…師匠と離れるのが寂しかったから?」
「うわぁ、限りなく嘘臭いセリフだね」
「えーっ?ししょーひどーい。俺の気持ちを疑うなんて」
赤ずきんが声をあげるが、ねっころがったまま言われても、その姿に真摯さはまるでない。
キツネみたいな軽薄さだ。
馬車の細かい揺れが壁を伝い、背中に伝わる。
二回、大きく車体が動いて、橋を越えたことが分かった。
「師匠、師匠は行ったことがあるんでしょ?」
「まぁね。そんな長い間、いたわけでもないけど」
「師匠の知ってることでいいから、俺に教えて?」
ーしょうがないなぁ
私は上体をひねって起こし、大きく伸びをひとつする。
「いよっ、ソルシエール殿下」
飲み屋の掛け声みたいだ。
彼は寝転んだままである。
ブランシュ王国の歴史には必ず、隣国のアッシェンプッテル国が絡んでくる。
その昔、同じ国だった両者は、度重なる対立により、二つに分かれ、 それ以来小さないさかいや、争いを繰り返しながら、領土を奪い、奪われ、現在の形になった。
今はお互いに「友好国」として共存を誓い、国境を通過するには小さな検問所での検問だけで済む。
国力が豊かで、農業に強いブランシュ王国に比べ、アッシェンプッテル国は割合痩せた大地を持っている。
ブランシュ王国自体ががかなり豊かな土地であるので、アッシェンプッテル国も他国と比べたら豊かな方ではある。
しかし、国同士、特に国が隣り合っていれば競いあう宿命にある。
その僅かに劣っている部分をアッシェンプッテル国は鍛冶の技術力によってカバーした。
現在、最新の技術をつめこんだ蒸気機関車はアッシェンプッテル国が改良を重ね、使いやすくしたものである。
他にも、時計などの精密機械や、魔法においては、魔力を貯めてこんでおける箱や、その魔力を使って発動する道具なども作っているらしい。
そんな土地に暮らす人々は、職人気質の人間が多く、厳格で勤勉な性格の人が多いようだ。
「この国の現、王子っていうのが、頭はいいんだけど、なんか残念なひとでね。小さい頃から私たちの国で過ごされていたせいかね、うちの王とも仲悪くないんだけど。ああ、だからなのかな…別に悪く言いたい訳じゃないよ?」
「ししょー、たぶんそれ、外にいる人たちに聞かれたら、ぶん殴られるくらい、悪く言ってると思うよ」
チョコを頬張る赤ずきん。
「まぁ、何をとちくるったのか少し前に貴族対象で舞踏会を城で開いて、お妃選びの会をしたらしい。豊かな国だから、結婚相手くらいはすこしばかりの自由を、っていう王たちの優しさなのかな。生真面目な王子は真剣に妃選びに励んで、選び抜いた一人と今は婚約しているらしいよ」
「なんかよく分かんないけど、変な話だね、それ」
「まぁ、王族だからね」
「これってもしかして、結婚のお祝いだったりするのかな。やべぇ、食べちゃった」
「多分本当のお祝いは本人たちが行くだろうから、お祝いの前祝いの前祝い辺りっていう建前じゃない?」
そのとき。
私は何か異様な気配を感じたような気がした。
「…何か、感じない?」
「…なんか、獣の匂いがする」
赤ずきんも感じたらしい。
嗅覚が野生の獣並みに優れている赤ずきんだが、香料を使った食べ物の近くにいての臭いを感じ取れるなら相当近いはずだ。
「相当数の魔力がこちらに近づいてきている…」
「ええっ、じゃあ、魔獣?」
少し声のテンションがあがる。
数にして、30にはならないだろう。
いや、もっと減って15匹くらい。それらがすごい勢いで近づいてきている。
私では大雑把な数しか分からない。
獣で、魔力となれば、魔獣だろう。
私はホウキで逃げられるが、他の人は大丈夫なのだろうか?
「おじさん、馬車とめて! 」
扉を開け放ち、声をかける。
私たちが乗っている真ん中の馬車が止まると、後続の一台も一緒に止まった。
しかし、前の一台は気づかずに走り続ける。
100メートルほど行ったところで、馬の方が怯えて、統率が乱れ前に進まなくなってしまった。
他の馬たちも不安げに足踏みをしている。
「ど、どうしたんだい?」
おじさんは驚きに満ちた声で、一人で地面におりて辺りを見回す私に聞く。
「なんか来てる」
後続の馬車に乗っていた3人も、何事かと確認しに来る。その内の、一人、護衛の顔が引き締まっているのは彼も気配に気づいているからだろう。
おじさんに声をかけてから今まで、わずか3分もたっていない。
ーあ、きた。
すごい勢いで山から、イノシシの集団が土埃をあげて下ってきていた。