≪一章≫平穏なひととき ~ナツル~ ②
何の因果か、この世界にはまだ『魔術師』と呼ばれる稀有な存在が生き残っている。
“鬼”との混血である天枷兄妹しかり、冬弥もまた『魔術師』の端くれだ。
この世に定められた法則を遡り、この世が創りだされた一が始まる前の、零に到る経路を探求する者達。
途方もない事象のさらに中核をも掘り下げて検分する。それが魔術師だ。
無論、一般的な生活を営んでいる現代人はそのようなオカルトを信じたりはしない。
魔術師側としても一般人に己の存在を公言することはない。
この『預言書』にしても、たとえば美月のような一般人からしてみればただの古い書物でしかない。
冬弥は手渡された『預言書』の表紙を眺めながら、これにどんな意味があるのかを読み解こうとする。
「………………まるで分かんねえ」
率直な感想だった。
冬弥は魔術師ではあるが、魔術師として生きていない。
多少の見識があれば読めるのだろうが、どんなに角度を変えたところでミミズみたいな外来文字は、奇妙な歪みかたをしているだけに見える。
「ふっふ~ん、降参?」
意地悪そうな含みをこめて夏流が冬弥の顔を覗きこんだ。
「ヒントくらいくれよ」
「う~んとね、古代インド語」
読めるはずがなかった。古代ということは紀元前だ。
授業で習う歴史もさほど得意ではなく、英語ですら完璧ではない冬弥には荷が重い代物だった。
「考古学者でも連れてこい」
「“アガスティアの葉”って知らない?」
得意げに答えた夏流は至極ご満悦だ。
普段はグータラしているくせに、何気に天才肌な義姉に負かされたのを素直に受け入れるのは悔しい。
「知らないよ。そういうの俺は興味ねえから」
「もう。そうやってすぐ拗ねるんだから。冬弥くんかわいい♪」
「ぬぁ!? だから抱きつくなってば!」
夏流の抱きつき癖は今に始まったことでもないが、いつも突発的すぎて回避できない。
乱暴に振り払おうにも、女性相手に暴力はいけないと自制する。
「ホントに冬弥くんは恥ずかしがり屋ね」
抱きつかれた弾みで肘に柔らかい感触が当たり、煩悶とせざるをえない。
夏流に悪意がないおかげで、どうやって説明すればいいのか大いに悩むのが常である。
「わかったから放せよ」
「はいは~い」
せっかくの感触が離れてしまう。
微妙に惜しいことをしたと後悔したが、頭を振って煩悩を退散させた。
「で? なんでこんな物を?」
内心を悟られまいと話を戻したのはいいが結局は興味のない話題だったりするので、このあとの対応に困るのだが。仕方あるまい。
「ん~? 別に意味はないよ。新しい頁も増えてなかったし、骨折り損かな」
普通の本といえば、すでに記載された文章があるだけなのだが、この『予言書』はまるで木々が新芽をつけるように新たに頁が増えるという特異性がある。
時代ごとの所有者にとって大きな関わりを持つ出来事が近づくと、『予言書』はその出来事分の頁を自動で追記していくのだ。
逆に、大した事件がなければ項は増えない。
「あ~……オーケー。ようは誰にも異常なく生活できるわけだ」
「そゆこと。よかったね冬弥くん。当分は平和に暮らせそうだよ」
「そりゃあよかったね」
投げやりに答えて“アガスティアの葉”を棚に片す。
夏流は気にした素振りもなく、また冬弥の腕に抱きついた。
「えへへ~、今夜の献立は何かな?」
「だーもう! いちいちくっつくな!」
振りほどいても食い下がる夏流を引きずって、冬弥たちはリビングに戻っていった。
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冬弥と夏流が去った書庫で、外界には届かない光が瞬いた。
数ある本棚の中。
万を数える魔導書の内の一冊。
真名を“アガスティアの葉”と銘打たれたそれは、主なき時に――不吉を記し始めた。
次回は11/14
22:00投稿予定です。