≪一章≫平穏なひととき ~ナツル~ ①
多忙な義兄の背中を見送った冬弥は、鞄をおいて廊下の奥へと移動する。
木製の宿舎には不釣合いな鉄扉を押して中を見やると、うず高く積み重ねられた、まさに本の森があった。
「夏姉。晩飯できたよ」
「あっ、冬弥くんおかえり~」
力の抜けた声が書庫に響く。
天枷家の長女、天枷夏流。
後頭部で結った髪を尻尾のように揺らし、満面の笑みを浮かべた女性が、本を片手に空いたもう一方の手を振った。
秋夜の美貌を女顔にして、さらに柔らかさを加えた容姿。
きゅっと締まった股下は日本人らしからぬ長い脚。
厚手のセーター越しからでも分かる強調された胸元は思春期の少年には毒だろう。
まるで女性の理想像を具現したような人物がそこにいた。
(鬼ってみんな美形なのか?)
本人に訊ねるとすぐ調子に乗るので、絶対に口を滑らせたりしない。
が、心の中では素直にほめつつ、必要とあらばおだてるのも手かと冬弥は思案した。
(夏姉からカンパしてもらう……いやいや、秋兄にバレたら怖いしな)
「待っててね、すぐ行くからっ! っふにぁあああああああああ!」
脚立の上で高い本棚と格闘していた夏流がバランスを崩して、脚立ごと倒れた。
ついでに整理中の本も大量に。
「あちゃあ」
冬弥は思わず片手で顔を覆って、指の隙間から惨状を確認する。
落下した本は乱雑に山を形成し、その下敷きになった夏流は這いでようとして身じろぎしている。
もぞもぞと夏流が動くたびに積み重なった本の山も振動して、そして山の頂点で少しずつ揺れていた一冊の本が落下した。
「ふみゅ!」
ゴツンッ、と固い表紙がぶつかった音と、なんとも情けのない悲鳴があがった。
「夏姉~、大丈夫か?」
「はうぅぅぅ、助けてぇ~」
「へいへい」
頼まれる前に片づけを開始していた冬弥は、とりあえず適当な返事だけ返しておいた。
十数冊の本を無秩序に棚へ戻し、いまだに床に座り込んでいる夏流に手を差し出す。
夏流は花が咲いたように微笑んで、冬弥の手をとった。
「助かったぁ。もう少しで生き埋めになるところだったわよ。ありがと、冬弥くん」
(すでに埋まっていたんだが)
とは言わない。
「どういたしまして。で、何してたのさ?」
「えっ? あ~……えっと、ねぇ?」
明後日の方向を見ながら小首をかしげる義姉の挙動はどこか少女めいていて、年上の女性がとる行動ではないような気がする。
けれど夏流がもつ天性の茶目っ気も加わってか、それほど違和感はない。
「あのな、かわいらしく首傾げられてもわからないっての」
「え? かわいい?」
「わざとらしい反応するなよ。そんなに言いにくいことなのか? エロ本みつけられた中学生でもあるまいし」
「あはは~、隠すようなことじゃないんだけど、ねぇ。あとそれセクハラだよ。ほかの女の子に言っちゃメッ! だからね」
そう言うと夏流は手にしていた分厚い『予言書』を冬弥に寄こした。
なるほど、と冬弥は納得する。
次回は11/12
23:10投稿予定です。