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雪華の月に踊る獣は  作者: チェーン荘
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≪五章≫災いの足音は軽やかに ①

 天枷夏流はワイングラスを片手に(せわ)しなくテーブルを指で叩いていた。


 時刻は日付をとうにまたいでいる。


 それなのに誰一人として帰ってこないのは何事なのかと、心配でたまらない。


 しかもカエデへの対抗策を練るのに集中しすぎたせいで、冬弥が目覚めていたことにも気づかなかった己の不注意に、向ける先のない怒りが湧きあがる。


 昨日の今日でこの状況は、何とも言い切れない不安が内側から襲ってくるには充分すぎる理由だった。


 秋夜はともかく、冬弥と司はろくな戦闘力がない。


 もし襲われれば、ひとたまりもない。


 無論、とっくに二人を探しに行ったが、それでも見つからなかった。


 今は秋夜が代わって探しに出ている。


 夏流は二人が戻ってきたときのための留守を預かっている。


 なみなみと注いだワインを一口で飲み干して、空になったグラスにまた注ぐ。


 こんな調子でもう二時間も経っているのだ。


 テーブルの上には空になった四本の瓶が並んでいる。


 嫌な予感を振り払うようにアルコールの助力を得ようとしても、極度の緊張状態ではその効果も薄かった。


 夏流は暴力と同じくらいに魔術も嫌っている。


 会得している治癒魔術はあくまでも、家族に万が一の事態があった場合に必要として得ただけの、本来ならば使いたくもないモノであり、魔術師同士のいざこざに関係のない冬弥が巻きこまれたこと自体が、夏流にとってもっとも拒絶したい現実なのである。


 やりきれない気持ちをごまかすために酒をあおるが、味などわからない。


 注ぎなおしたワインも空になり、次のワインを取りにリビングを出た。


 同時に、玄関から息遣いを感じた。


 ワインセラーに向けた足を反転させて、急いで玄関まで走ってドアを勢いよく開けた。


「冬弥くん!? …………お帰りなさい」


 玄関に立っていたのは、魔術戦闘用のロングコートを羽織った秋夜だった。


 あからさまに落胆しているのが自分でもわかる。


 とり繕った言いかたになってしまうが、一応は足労を(ねぎら)った。


 たがいにテーブルを挟んでソファに腰かける。


 夏流は早速、詳細を訊く。


「それで、どうなってるの?」


「どこから説明するべきか……」


 秋夜は困ったように髪をかきあげ、まずは結論から話し始めた。


「冬弥と司は見つからなかった」


「ちょっと。それで戻ってきたの?」


 さらに困ったふうに眉間に皺を寄せる秋夜。


「落ちついて聞け。これは推測だが、おそらく冬弥たちはカエデと戦闘している」


「…………え?」


「鉄橋が陥落していた。河に瓦礫が積もっていたからな。カエデが二人もろとも破壊したとも考えられる」


 夏流は当惑しつつも、秋夜の言い回しが奇妙であることに気がついていた。


 秋夜は「二人もろとも破壊したとも考えられる」と言ったのだ。


 つまり、他にも推察がたっているのだ。


「はっきり言って。兄さんは他にどんな可能性があると思っているの?」


 普段の気の抜けた姿など想像もできない厳しさで詰め寄る。


 下手な誤魔化しなど通用しない。


「単刀直入に言っておく。冬弥を探すのはやめておけ」


 思いがけない兄の忠告に、疑念を抱いた。


 何故よりにもよって冬弥を探してはいけないのか。


 危険度で言うのならカエデに狙われている司を探すほうが、よほどリスクが高い。


 なのに秋夜の言葉からは、冬弥こそが危険だと警告を含んでいるように感じられた。


「どうして?」


「おそらく、あいつは『転生体』だ」


 思いがけない言葉に夏流は一瞬、言葉を失い、次の瞬間には、まさに食いつくように身を乗り出した。


「うそ……だって冬弥くんは魔術師じゃないんだよ! どうして『転生』されるの!」


「俺も信じられない。だが、破砕された鉄橋に混じって、巨大な氷の破片がいくつもあった。

 カエデの魔術は木の葉型。しかも使用後は形を失って不可視になる。

 司には属性がない。消去法で考えれば冬弥以外にありえない」


 秋夜自身も、己が導き出した結論に納得しきれていないのだろう。


 それでも検証の限り導かれるものは、他にない。


「そんな……勝手な推測だけで、信じられるわけが……」


「希望にすがるのは勝手だが、現実を直視できなければ早死にするだけだ。

 もしも“魂”が覚醒したのだとしたら、冬弥に元の人格など残っていない。俺たちのことを覚えているかどうかも怪しい。

 下手をすれば、夏流。お前は冬弥に殺されるぞ」


 “魂”の覚醒した『転生体』は例外なく自我を亡くす。


 それは人間ごときでは制御しきれぬ強大な魔力の塊たる『神』に、精神を圧し潰されてしまうからに他ならない。


 ならば、冬弥とてその例外からは漏れようがない。


 むしろ魔術師ですらない冬弥が、これまで『神』の意思を抑え続けていられたこと自体が、もはや奇跡に近しいのだ。


 過去、トウヤが覚醒して自我を保っていられたのは、『神』の力を半分も引き出せない不完全な『転生体』だったからに他ならない。


「――――――――――――ぁ」


 反論する余地はない。


 決して認めたくはないのに、それがどこまでも正論だと理解してしまって、腰が抜けてへたりこんだ。


 感情だけで議論などできない。


 肯定はできないが、否定するだけの材料は当然ない。


 夏流とて魔術師の端くれだ。


 事態の重さをいちいち説明される必要もない。


 全部が全部、悪いほうへと進んでいる。


 心は闇に覆われ、視界までも暗く落ちていく。


 守りたかったモノ。


 魔術師には無縁の、憧れていた平穏。


 一緒に過ごしてきた季節。


 なにもかもが崩れ去っていく音を、心の底から聞いた。しかし、


「……まだわからない」


 唇が切れるほど強く噛んで、搾りだすように吐きだした声には嗚咽が混じっている。


「まだ……冬弥くんが冬弥くんじゃなくなったかどうかなんて、わからない」


「馬鹿を言うな。もう手遅れだ」


「それは兄さんの理屈でしょ!」


 涙混じりに吐きだした声は、まるで幼子の癇癪(かんしゃく)だった。


 希望などあるはずがない。


 夏流がすがりつこうとしているのはあくまでも、そうあってほしいという理想だ。


 地獄に下げられた天からの糸を手繰るよりも不確かな奇跡を願っただけの、あまりにも幼稚で現実味のない、ただの理想。


 希望抽象を抜きにすれば、魔術を会得していない冬弥が魔術を行使したとあれば、“魂”の覚醒を疑うべきだろう。


 だが、誰も冬弥が覚醒したのを目撃してはいない。


 夏流はそんな未熟者以下の、まったく根拠のない理想だけを頼りに、最悪の予測を(こば)もうとする。


「確かめもしないで決めつけるなんておかしいよ! どうして兄さんはいつもそう悪いほうにばかり考えるの? もっと他に見方もあるでしょう!」


「曲がりなりにお前も魔術師だろう。なら現実を受けいれろ。期待すればするほど、現実を直視したときの絶望は大きくなる」


「そんな逃げ口上みたいな理屈、聞きたくない!」


「子供か! だいたい自分の身も守れないやつが外へ出て何ができる? むざむざ殺されに行くのか?

  もしも冬弥がお前を殺してしまったら、万が一自我をとり戻したとしてもあいつの心には一生をかけても償えない(きず)がつくぞ」


「!?」


 精一杯捻り出した反駁(はんばく)も一蹴された。


 理屈では勝てず、希望さえも打ち砕かれ、今度こそ夏流は黙るしかなくなった。


 それでも……完膚なきまでに論破されても、どうしても認めたくない一線がある。


「頼むからしばらく耐えてくれ。気持ちは痛いほどわかる」


 苦々しく呟いた言葉は、紛れもない本心だ。ただ……。


「ちっとも…………わかってないよ……」


 夏流と秋夜をへだてる温度差は、たがいを苦しめ合うだけ。


 夏流には秋夜の冷静さが許容できない。


 秋夜には夏流ほど直情的な感情が表せない。


 重苦しく息苦しい沈黙だけが、二人の共有できる唯一のものだった。


次回は12/16

22:00投稿予定です。

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