≪一章≫平穏なひととき ~シュウヤ~
今晩の献立を考えながら、冬弥も礼拝堂をあとにする。
宿舎の玄関を開けると、靴は三足あった。
一つは司の。もう一つはグータラな義姉の。
最後の一つ、いつもは帰りの遅い天枷家の長兄は、今日は早い帰宅らしい。
「ただいま」
リビングにはいると食欲をそそるいい香りが鼻腔を駆けぬけて胃を刺激した。
「おかえり」
抜き身の刃を錯覚させる鋭くも耽美な声に迎えられた。
ハッと覚めるほどの美貌がキッチンから顔をだす。
怜悧な眼光に一流の画家が心血注いで筆を入れたような細面。
一八〇を超える長身。
見てくれではなく機能美として発達した肉体。
どれをとってもモデルも裸足で逃げ出すほどだ。
ご近所には近づきがたい硬派でとおっている天枷教会の管理者である天枷秋夜は、クールな雰囲気とは正反対の微笑ましい出で立ちで冬弥を迎えていた。
黒のシャツとスラックスに、猫の足跡が描かれたエプロン+右手にお玉である。
信じ難いことではあるが、これでも秋夜は半分“鬼”の血を継いでいる人外である。
伝承や童話にある“鬼”とはかけ離れた人間臭さに、これでいいのだろうかと疑問に思うこともしばしばある。
「遅かったな。晩御飯はどうする?」
普段より帰宅時間が遅れただけでも、だいたい何があったのか秋夜は察する。
幸いにも冬弥は美月にパフェを奢っただけで自身は間食していなかったので、夕食の時間は家族に合わせられる。
「食べる。夏姉は?」
「書庫だ。調べ物でもあるんだろう」
「あの夏姉が!?」
冬弥は大袈裟に驚いた。
ただ、普段の義姉がどんな人物かを知っていれば、この驚きかたも大袈裟ではないかもしれない。
「ちょうど出来上がったところだ。呼んできてくれ」
「わかった」
「俺はこれから出かける。戸締りは頼むぞ」
「忙しいのはわかるけどさ、晩飯くらい食べて行ってもいいんじゃないの?」
秋夜がどんな仕事をしているのかを冬弥は知らない。
口の堅い義兄に訊ねたことは何度かあるが、明確な答えが返ってきたためしはない。
「ゆっくりしている余裕はなくてな」
「鬼だからって無尽蔵ってわけでもないっしょ」
「人間よりは無茶が利くさ。行ってくる」
エプロンを外して外套を羽織った秋夜は、返事も待たずにリビングを出ていった。
次回は11/12
23:00投稿予定です。