≪四章≫連理の枝 ~終焉の刻~
視界すら霞む暴風が突如、吹き荒れる。
風に叩かれて散り散りに舞う針葉樹の葉。
それらを蹂躙するように現れた枯渇した木の葉の群れ。
二人は一瞬にして硬直した。
空の美しさも、風の優しさも、草木の瑞々しさも、すべての感動が征服された。
暴風が止み、深緑は地に落ちる。
枯渇した楓の木の葉だけがユラユラと、中空にとどまっている。
その向こうに、月を背景に聳える人影が一つ。
少年の姿をしたソレは、口を三日月に歪めて嘲笑った。
「クククッ、いずれ貴様が裏切るとは予想していたが、これほど早くとは思い切ったものだな」
「……カエデ…………」
№108はようやく悟る。
計画の要となる女の子の部屋の警護は他と同様に薄すぎた。
ヤツはずっとこのときを待っていたのだ。
やっと束縛から逃れたと思えたのは錯覚だ。
ここはカエデが用意した儀式の場。
月が天上に栄えるこの広場に誘いこまれたのだ。
「オレが貴様の離反を予想していないとでも思っていたのか?
だとしたら浅はかだ。あれほど叩き込んでやっただろう?
他人を信じるな。常に裏切りを想定しろ。最悪に対処してこそ最善と成せ。とな」
女の子は№108とカエデを交互に見比べる。
その眼には明らかな怯えの色がある。
「貴様が廊下で盗み聞きしていることくらい気づいていた。だがあの場でおまえを殺すより、ツカサの目の前で殺したほうが有益だと判断したのだ。
ただの人形が一人前に恋心を抱くのは予想外だったが、結果は変わらん。
なあツカサ? 一度ならず二度までも、好意を抱いた人間が目の前で殺されるのは耐えられまい」
わざと癪にさわる喋りかたをする。
ツカサと呼ばれた女の子はビクリッと肩を震わせて№108の背に隠れた。
「ククッ、そんなにこのオレが恐ろしいか?
オレがお前を殺したがっているとでも?
勘違いだ。オレほどお前を愛せる者はいない。ほらツカサ、こちらへ来い」
差し伸べられた手は毒々しく、ツカサの心を鷲掴む。
怖気を誘うその挙動。その仕草。
憎悪を誘うその言葉。その口調。
「“原初”に辿り着ければ『神』の力を得ることができる。アンタは『神』になったあとでツカサを生き返らせるつもりなのか?」
「ふっ、馬鹿な。生き返らせる必要などない。『神』の力など人間には不要なのだ。
そも、この世界そのものが間違いだらけだ。ならば世界ごと殺し尽くせばいい。
世界がなくなれば生命は存在できぬ。そうなれば誰も苦しまなくてすむだろう?
ソレこそ理想ではないか。そのための犠牲であれば、自分の命すらも差し出そう。だが残念なことに、オレは『転生体』ではない。よかったなツカサ。おまえが『転生体』であるからこそ、世界は救済される」
№108はカエデの歪んだ人類愛に戦慄した。
ソレの異常性に対する畏れに然り。ソレに対する憤怒にも然り。
「勝手なことぬかすな! 世界を滅ぼして世界を救済する? そのためにツカサを犠牲にするだって? アンタは狂ってる!」
煮え滾る血液は純度を上げて魔力に変換されていく。
激震する怒りは物質と化して具現する。
右腕に纏われた氷の外装。
刃と違わぬ鋭さを得た氷爪。
№108が会得した、神代から現世において唯一無二の、『神』のみに伝えられた秘術。
三種の魔術しか使えない№108にとって、切り札ともいえる秘中の秘。
かつて神代の王を喰らったと称される魔狼の爪は、触れたモノを凍結させ、切り裂く。
この世に存在する万物の法則をことごとく無視する絶対魔術。
それを目の当たりにして、少年の姿をした死神は嘲笑を高らかにする。
「クハハハハ! なんだ貴様、このオレと殺るつもりか?
クククッ、どこまでも愚かな。所詮は出来損ないの人造魔道師か。
せっかく手足として使役してやったのに、恩を忘れて飼い主に噛みつくとは……。
そこまでして何を守る? ツカサか? 世界か? それとも貴様自身か? 笑止! 戯れるにも分をわきまえるがいい!」
怒号に呼応して、停滞していた木の葉が揺れる。
魔力量では時計塔の上位魔術師でさえ凌駕する№108をもってしても、カエデの絶対性は微塵も揺るがない。
「ツカサ……ボクがアイツを止める。その隙に逃げて」
№108は武装していない左手でツカサを後ろへ押す。
しかしツカサは離れない。
恐怖に震える小さな手が、弱くも強く、№108の服を掴んで放さない。
「ト――――」
「あとで必ず追いつくから。だから少しだけ、ひとりにさせてごめんね」
「茶番は仕舞いだ。死ぬがいい」
左右から№108だけを射抜く軌道で魔弾が放たれる。
№108はツカサを押し退けて直進。
弾幕を潜り抜けてカエデに迫るが、ここでカエデが予想外の奇策を打った。
「守らなくていいのか?」
魔弾の第二波が、ツカサに矛先を向けた。
目に見える殺意を向けられたツカサは、恐怖にすくんで動けない。
「なッ! クソッ!」
とっさに急制動をかけ、振り向きざまに疾走する。
だが、魔弾の発射のほうが圧倒的に早い。
ツカサを突き飛ばせば死なせずにすむ。
それは同時に、弾幕を防ぎきれない№108が蜂の巣にされる結果に直結する。
一歩が遠い。
一秒足らずの時間が果てしなく遠い。
守ると誓ったはずなのに、ここで№108が死ねばツカサの心は死んでしまう。
ツカサを見殺しにすればカエデの計画は潰せるだろう。
だけども、そんな結末は望んではいない。
(届かない……届かない届かない届かない届かない!)
絶望する。
どんな恨みでも呪いでも背負おうと覚悟した。
その結末がこれではあまりにも報われない。
人間の不幸を悦ぶ嘲笑が木霊する。
諸悪の根源を憎んでも届かない。
恐怖に固まったツカサの顔が目に映る。
このまま進めば、どちらも死ぬ。
足を止めても、どちらも死ぬ。
最悪の結論に希望を失いかけた。
それでも選んだ。
№108は死地に足を踏みいれ、ツカサを突き飛ばした。
ツカサは№108の手を掴もうと必死の手を伸ばす。
だが届かない。
「―――――――――――――――――――――――ッ!」
声にならない叫びはどちらのものか。
必殺の魔弾が№108を貫こうとした。瞬間、
「伏せろ!」
次回は12/12
22:00投稿予定です。




