≪一章≫平穏なひととき ~ツカサ~
「送ってくれてありがと。ツカサちゃんにお大事にって言っといてね」
大好物のパフェを心置きなく堪能し、すっかり上機嫌になった美月を家まで送り届けると、空はすっかり暗くなっていた。
まるで財布の中身と一緒に気持ちまで寂しくなった冬弥を照らすように、澄んだ空に月が浮かんでいる。
「……今月どうすっかな」
割と本気でうな垂れた冬弥は、無駄に長い坂道をとぼとぼと進む。
今月の小遣いはあと半分。まだ十二月も前半だというのに、同居人に前借を頼むのは気が引けた。
そもそも冬弥には血の繋がる家族がいない。
彼が暮らしているのは二人の“鬼”と一人の少女が住む小さな教会だ。
七年前、記憶を失って彷徨っていた冬弥は、半人半鬼である天枷秋夜に保護された。
親族はおらず、記憶もなく、ましてや戸籍もない冬弥を人間らしく育てたのは、紛れもなくこの“鬼”だった。
無論、科学が発展した現代において“鬼”が無作法に人間を喰らって生きるなどナンセンスだ。
人間の血が半分通っている秋夜は、誰よりも人間らしく社会に溶けこんでいる。
つまるところ、生活基準は人間のソレとなんら変わりない。
礼儀正しく。規則正しく。節度をもって生きる。
それが天枷家の家訓である。
結論、小遣いの前借など、ド真面目な秋夜には相談できないのである。
(足りなくなったら考えるか)
緩やかな傾斜をのぼりきると、もう目を閉じながらでも描けるくらいに見慣れた礼拝堂がある。
冬弥たちの住まいは礼拝堂裏の宿舎だが、日課で冬弥は必ず礼拝堂に足を運んでいた。
けっして敬虔な信者ではない。
もとよりここに住んでいるのは“鬼”である。
神に祈ったところでご利益は期待できそうにない。
彼の目的は別にある。
「よっと」
重厚な木製のドアを押し開ける。
ギイィィと、木の軋む音が内部に響き渡る。
礼拝堂の内部は年季が入っており、木造部分が多く、哀愁を漂わせている。
その雰囲気に当てられて数瞬、冬弥は目的を忘れた。
質素でありながらも美しい装飾。
昼夜を問わず光を差し入れる大きめの窓。
陽の光を反射するステンドグラス。
教会は申し分なく美しかった。
しかし、それらはすべていつもとなんら変わりもない空間だ。
彼の眼を引いたのはそのどれでもない。
赤絨毯の道を真っ直ぐ行った先にいる、一人の少女。
片膝を床につけ、手を胸の前で合わせ、頭をたれている小柄な少女の背中。
その姿にこそ、眼を奪われていた。
このまま黙っているわけにもいかないが、こんなにも真摯な姿を見せられては声をかけるのもはばかられる。
数分か数秒か、やがて少女はゆっくりと立ち上がった。
そして振り返り、長い黒のスカートが軽く弧を描いて舞い、白い無地のブラウスが月光に色づき、背中にかかった絹のように綺麗な黒髪が遅れて揺れる。
蝋のように病的な白い肌と、どこか遠くを見つめている深い黒の瞳と相対する。
もう何度も眼にしている光景なのに、冬弥は視線を逸らすことも、指一本動かすこともできずにいた。
けれども、決して色気のある話にはならない。
何といっても目の前の少女――御影司は、誰にも心を開かず、誰からも関わられることを拒否しているのだから。
どれだけ見詰め合っていたのか。
ようやく我に返った冬弥は呆れた声をだす。
「体調はもういいのか?」
「……」
「風邪引いてるのに無理するなよ。悪化してもしらねえぞ」
「……」
冬弥の小言に司は反応を示さない。
どんな思考をしているのかさっぱり読めない無表情で、ただ立っているだけだ。
「ところでさ、司って神様信じてないんだよな。いつも何にお祈りしてるんだ?」
「……」
「はぁ、まあいいけど。これから晩飯作るから司もこい。好きなもの作ってやるから。シュンチャン料理とか無茶ぶりはナシだぞ」
くだらないボケにツッコミなど期待してはいないが、無言で見つめられると羞恥心も芽生えてくる。
司はまったくの無反応で冬弥をジッと見ている。
何か思うところがあるのだろうか、と思いきや、研磨した鈴を鳴らしたような感情をこめない声で、
「……いらない」
と、一言だけ小さく呟いて冬弥のわきをすり抜けていった。
「あっ、おい」
呼び止める声を無視して司は礼拝堂を出ていってしまった。
あの娘のことだ。例によって自室に篭るつもりなのだろう。
無愛想なのはいつものこと。
関わり合いたくないのなら放っておいてやるのが優しさかもしれないが、突けば脆く崩れてしまいそうな危うさがときおり垣間見えて、冬弥は放っておけない。
(ったく、あとで部屋まで持っていってやるか)
次回は11/12
22:40投稿予定です




