≪三章≫砕かれた記憶は ④
無抵抗な肉体は、慣性に従って鉄橋から落ちていく。
この時にはもう、冬弥の意識はなかった。
「――――――――――――トウヤ!!」
夕闇をつんざく司の絶叫も届かない。
心残りを考える猶予すら与えられなかった。
それでありながら、冬弥に眠る“想”だけは、まだ――冬弥に眠る記憶を呼び覚まさせる。
白い施設。
昏い森林。
冬の満月。
膨大な魔力。
薄れゆく意識。
懐かしい獣の雄叫び。
泣いてすがる女の子と、哀しく微笑む男の子。
殺戮と蒐集に溺れ、嗜虐に満ちた嗤みを浮かべるカエデ。
一瞬のうちに駆け巡る、かつての記憶。
“魂”からの衝動に、失われていた意識が覚醒する。
「―――― ■■■■■■■■(ディガロ・シュバイン)」
落水する直前に、死体になった冬弥の身体が動いた。
たったの一度、右腕を振るう動作のみだったが、その奇異な現象を視認できていなかったカエデは、突如鉄橋を貫いた巨大な氷柱に瞠目する。
「な! これは!?」
「――――――ッ!?」
驚愕は司も同様であった。
それはまさに、現存の魔術師ではおよびもつかぬ至高の質を備えた魔術。
そしてこの魔力の波長は、カエデが七年前に葬ったとある魔術師の魔力そのもの。
司にとって、絶対に忘れることなどできない、悪夢の過去を共有したカレの――
カエデにとっては忌々しい、出来損ないの反乱分子だった過去の汚点たるヤツの――
――この世から抹消された少年の、絶対なる力。
ガゴンッ!
「ぬっ!」
「あっ!」
氷柱はカエデと司の間に突貫してきた一本だけではなかった。
五本の氷柱のうち二本が橋の両端を穿ち、さらに二本が支柱を粉砕。
中骨を破損して強度を保てなくなった鉄橋が崩壊する。
「チィッ! クソがぁ!」
飛び散る瓦礫の数々を蹴って中空から陸地まで跳びすさったカエデは、激しい憤慨とともに吐き捨てる。
つい先程まで愉悦に歪んでいた嗤顔はなりを潜め、子供が思いどおりにいかなかったときと似た表情で、瓦礫が沈んでいく水面を睨んだ。
対岸に眼をやるが、司の姿はない。
瓦礫と一緒に水中へ落ちたのだろう。
あの崩落の中では、生存している確率も少ない。
「おのれ……どこまでも邪魔をしおって!」
カエデの怒りに呼応した木の葉が爆散し、足元の土砂を破砕する。
土砂の落下に乗じて川べりまで降り、念のために瓦礫の隙間に人影がないかを確認して回るが、やはり何も発見できない。
「血も浮かばぬか。ならばまだ生きているか」
忌々しさに歯噛みし、次の瞬間には能面のような表情で思索にふける。
本来の目的は司の内包している“魂”だ。
司さえ生き残っていれば、当初の目的は達成できる。
しかし……冬弥が発動したあの魔術が、カエデにとってはよほど因縁深いものであった。
それはかつて滅殺したはずの少年のみが発動できた、失われた秘術。
それを肉体強化しかできない冬弥が再現したとは、いったいどのようなカラクリなのか。
「よもや、肉体を滅ぼされてなお生きながらえたのか……?」
殺し損ねたかと過去を模索し、それこそありえないと否定した。
七年前。カエデは間違いなくその少年の肉体を、肉片一つ残さず消滅させた。
生き残れるはずはなく、生き返れる道理もない。
それでもなお、あの氷牙は少年にしか発動できない魔術であるはずだ。
「よかろう。死してなお邪魔すると言うのなら、今度こそ完全に滅してくれる。フッ、ククク、ハハハハハ」
陰鬱な嗤い声は誰にも聞き咎められることもなく、すでに漆黒と化した夜の空へと吸いこまれて消えていく。
流れた血と過去を洗うように、真冬の夜に、冷たい雨が降りそそぐ。
次回は12/1
23:25投稿予定です。




