≪三章≫砕かれた記憶は ③
息を吸うことすら忘れて冬弥は攻める。
どれほどの無謀であろうと理解していても、
酸欠で意識を失おうとも、
ただの一瞬でも動きが止まれば敗北するとわかっている。
「…………一つ、教えてやろう……」
髪の毛一本たりとて触れさせることのない絶対者は、人間になりたいと願う獣を憐れむ神がごとき冷酷な眼で、語る。
「ハァハァ、オォ!」
「貴様がツカサを守る理由など知らぬ。だがな、オレにはツカサを殺す理由がある」
「ふざっ……けんな!」
「貴様の挙動から、貴様が魔術師でないことは明白だ。
ゆえに理解できぬであろうが、魔術師はみな“世界の始点”に至ることを生涯の目的としている。
オレはその方法として人間の体内に宿る『神』の“魂”を蒐集している。
知っているか? 現代の人間は“原初”から遠く離れ過ぎ、一代では“原初”まで遡れない。
なればこそ“原初”から近しい魂――『神』を採取して“原初”への鍵とすることでそこへ至る。
それこそがオレの目的。『転生体』たるツカサを殺す理由だ。それと――――」
「黙れ!」
語られた身勝手な理由に冬弥の怒りは沸騰した。
魔術師の理屈が全部そうなら冬弥は魔術師など全否定する。
自分だけのために誰かを犠牲にしていいはずがない。
突出した力は、弱きを助け守るからこそ価値がある。
行き過ぎた妄執は害悪でしかないと、彼を育てた“鬼”は教えてくれた。
負けるわけにはいかなかった。
退くわけにはいかなかった。
だから攻め続けた。
ようやく得た必勝の間合いに強く踏みこんで放った拳は、ついに木の葉をすり抜けて元凶に届く。
しかし、その拳はあっさりと受け止められた。
ヒビ割れた手が万力の如き力に握られる。
「ぐっ、があぁ!」
「いつまでも調子に乗るな、下郎!」
嘲弄を浮かべていた貌に、明確な殺意が表出した。
カエデは掴んだ手をそのまま引きつけ、力任せに投げ飛ばす。
「――――――――ッ! ヵァ!」
冬弥は勢いのまま欄干に背中を強打し、息が詰まる。
肺に残っていたはずの空気さえ吐き出して、視界がだんだんと暗転してゆく。
一度停止した身体は、もう動きそうにない。
(くっあ……ま、だだ……)
思考はめぐる。
心はさけぶ。
けれど指先ひとつ動かせない。
(……うご、け……)
「さて、茶番は終わりだ。そろそろ頂くとしよう。愚物にしてはよくもったな。クククッ」
少年の姿をかたどった死神の足音が徐々に近づく。
限界を無視した運動の連続によって身体の自由を失った冬弥は、迫る死を覚悟するほかになかった。
「ツカサ、よく視ておけ。また一人、貴様と関わった人間が死ぬ」
「―――――――――――――ッ!」
絶望のみを突きつける現実に眼を逸らせないのは、司も冬弥も同じだった。
すがるようにカエデの挙動を見ている司にはしかし、やめてと叫ぶ気力はない。
ただ震え続ける体は自分の体ではないように、まったく思いどおりに動かない。
冬弥は息を吸うことでさえ苦痛だった。
酷使し、ダメージを負った体は痙攣して、力がはいらない。
そんな二人を嘲嗤うカエデの口元はさも愉快そうに、三日月に歪んでいる。
「テ、メェッ」
耳に届く嘲弄に憤怒が再度、燃え盛る。
しかし肉体は限度を超えていていまだ回復していない。
手すりに寄りかかって立つのがやっとだ。
底知れぬ余裕を見せる敵とは勝負にもならない。
カエデは嗤う。
絶体絶命の状況になってまで抵抗しようとする冬弥の姿を嘲笑う。
「クククッ、クハハハハハハハハ! 面白い、まだ抗うか。それも是。
その愚かさだけが人間の美徳だ。
貴様のような無礼者も、そこまで愚かだと貴重だ。ずいぶんと久かたぶりだ。
ここまでオレを不愉快にさせたのはあの出来損ない以来だ!」
高々と声を張りあげて甲高い声で罵るカエデは遜色なく愉快そうに顔を歪める。
はたして同じ生物なのかと疑うほどに、醜悪で歪な笑み。
冬弥は奥歯を噛んで震える脚を叱咤する。
もはや表現できぬ憎悪だけがその表情に浮かぶ。
その鬼の形相さえ嘲笑う魔術師は、天を仰いで両腕を広げ――
「あぁ愉快だ。奴と同じ無様さを持つ者がまだいたとは、世界はつくづくオレを楽しませてくれる。
だが二番煎じだ。ゆえに貴様はもういらん」
――指を弾いた。
「――――――――――――ゴフッ」
パチンッ、と乾いた音が響いた時には、必殺の魔弾の群が冬弥の全身を貫通していた。
次回は12/1
23:00投稿予定です。




