≪三章≫幕間 ~ちいさなちいさな逃避行 ②~
時間は、早朝にまで遡る。
カエデの標的になったわたしは、秋夜と夏流に、礼拝堂へ呼び出された。
事のなりゆきをひととおり聞かされたわたしには、答えられることなんてなにもない。
「…………関係ない」
表情を崩さないだけで、精一杯だった。
「関係ないってどういうことよ! カエデはあなたを狙ってこの街に来たのよ。
あなたの代わりに冬弥くんが殺されかけたってゆうのに、あなたは何とも思わないの!」
「落ち着け、夏流」
夏流の怒りは的外れなようでいて、その実、事態の中心を鋭く突いていた。
そもそも、わたしは生まれたときからずっとカエデに狙われ続けている。
それをわかったうえで、わたしはこの場所に七年も留まっていたのだから、今回の惨事の元凶が私だと指摘されても、否定することはできない。
だって……知っていたから。
いずれカエデはわたしの“魂”を奪いに、この街へやって来るのだと。
それはつまり、わたしの近くには必ず、災厄が降りてくるという意味になる。
それなのに、何もしらせず、何も語らず、独りで逃げ出す勇気もなくて、ずっと迷惑をかけていたわたしが、怒りの矛先を向けられるのも仕方がないのだと思う。
争いごとが嫌いで、分け隔てなく優しくて、ほんとうのお姉ちゃんみたいな夏流が、ほんとうの弟みたいに思っている冬弥が傷つけられたのを嘆くのは、とうぜんだと思う。
ほんとうは、怖い。
ずっと独りでいるのは、どうしようもなく怖いの。
でも、わたしは誰にも好かれないように、誰からも疎まれるように、他人を拒絶して生きてきた。
そんなわたしにさえ優しくしてくれた夏流を傷つけるのが、怖い。
それでも、わたしは――
「…………関係、ない」
自分を傷つけるために、誰かを傷つけなければいけないの。
「わたしには……関係ない」
「どうして? 私たちは家族じゃない。どうしてそんなに無関心なフリをするのよ」
家族?
どうして……そんなことが言えるの?
わたしたちは血も繋がっていない他人。
わたしには、家族なんていない。
どう思われようと、そんなのは一方的な思いこみでしかない。
違うよ。
ほんとうは、わかっているよ?
夏流はわたしのお姉ちゃんだし、秋夜はお兄ちゃんだし、冬弥だって……。
表情の作りかたも忘れたふりをして造りだした無表情に隠して、壊れてしまいそうな心を、必死に押し殺した。
「………………家族なんかじゃ、ない」
考えて出た言葉じゃなかった。
本心からの言葉なんかじゃ、ない。
それなのに、いままで培ってきた無表情と淡泊な口調は、本心とは真逆の言葉をつむいでいく。
「冬弥が死んでも、わたしには、関係ない」
夏流の眼に、憤怒の火があった。
「わたしが死んでも、夏流には、関係ない」
それが、わたしの限界だった。
そして、夏流の臨界だった。
「本気で言ってるの?」
「…………関係、ないよ」
もう、ダメ。
これ以上は耐えられない。
だから早く――わたしを嫌いになって。
「死んでも……関係、ない」
わたしに関わらないで……!
「―――――――――ッ!!」
バチンッ
乾いた音が、木霊した。
鋭い痛みがあったはずなのに、感じなかった。
冷たい空気に触れられて、頬が熱くなっていると理解して、鈍い痛みを感じて、ようやくわかった。
わたし……ぶたれたんだ……。
「ふざけないで! 何様のつもり? どうしてそんなに勝手に振舞えるの!? あんたには感情がないの? 本当にどうでもいいって言うの!」
暗鬱とした負の感情が、罵声となって溢れだす。
内臓を捻じ切るほどの痛みが内側で暴れるマグマとなって渦巻く。
自制なんて、効くはずがない。
苛立たしさは消えない。
その感情を捨ててしまえば、彼女は”人”ではなくなってしまうから……
人間に疎まれる存在だから。
人間として生まれたかったと願う”鬼”だから。
だから……ヒトとしてのつながりを……家族という絆に憧れる夏流だから。
灼熱のような怒りを抱かずにはいられないのだとわかる。
濁流のような激情が口をついて、わたしを責める。
「冬弥くんが死にかけたのよ! 大事な家族が傷つけられたのよ! それなのに……それなのにどうしてあんたはそんなに冷徹でいられるの? どうしてそこまで……」
抑制が利かないのだろう。
制御しようともしないで、言葉を探している。でも、うまく次の句が続けられないみたい。
肩をわななかせてわたしを睨む。
あぁ、ほんとうにこのヒトは、冬弥が好きなんだ。
みんなが、大切なんだ。
うん、知っているよ。
だからね、夏流。
もう、関わらないほうがいいの。
「…………もう、ほうっておいて」
赤くなった頬に触れもせず、逃げるように背を向けた。
「本当にそれでいいのか?」
いままで黙っていた秋夜の声が背中に届いた。
何かを伝えたくて、一瞬だけ立ち止まる。
けれど、伝えられる言葉はなくて……。
「…………ほうって、おいて」
足は自然と、教会の外を目指す。
誰にも見つからないように、遠くに行こうと思う。
それなのに、私が辿り着いたのは、自分の部屋だった。
独りになるのは怖い。
死ぬのは恐い。
殺されるのはコワイ。
傷つけて傷ついて、孤独になろうと決意したはずなのに……どうして……わたしはまだこの場所にすがろうとしているの?
一人きりになってはじめて、ぶたれた頬に触った。
「…………ッ」
胸が苦しい。
呼吸が喘ぐ。
心が軋む。
それでも、涙は流れない。
流してはいけない。
流す資格なんか、ない。
「――――――ァ――――ッ!」
わたしの記憶が嘆く。
わたしの“魂”が疼く。
わたしの心が……疵む。
もう、昔のことだと思いたかったのに。
カエデの名を聞いただけで、言いようのない恐怖が襲ってくる。
背筋から這いよる悪寒に震えている。
カエデは必ず、わたしを殺しにくる。
昨夜襲われなかったのは、偶然。
安心なんてできない。
それどころか、わたしはずっと、不安なまま。
七年前、あの施設から逃げ出したときから、ずっと、わたしは死に怯えている。
いまも、震えが止まらない。
でも……自分が死ぬのを恐れているわけじゃない。
またわたしのせいで、誰かが死ぬのを、恐れている。
夏流には悪いことをした。
どんな理由があっても、あんな言い方は、しちゃダメだった。
もしも冬弥が生き返ってくれなかったら、もし天枷の誰かが殺されていたら……わたしは壊れていた。
だからせめて、そのことだけでも伝えられればよかったのに……どうしても、ほんとうの気持ちを、伝えることができない。
「助けて……」
無力な私はベッドでうずくまって、無様に、愚かしく、叶わない祈りを口にする。
「助けて……トウヤ……」
次回は11/25
22:00投稿予定です。




