≪二章≫開戦 ①
風も寝静まる深夜。
静謐な青光を降らせる月が中天にある。
枯れた冬の大気にその身を凍わせるのははたして人か。
それとも、ヒトの形をしたアヤカシの類か。
住宅地と繁華街を二分する大河に架かる鉄橋の中央に、その男は直立不動で瞑想していた。
男は奇妙な出で立ちをしていた。
夜の闇さえも霞むほどに暗い黒衣を身にまとい……。
内に着込んだ仕立てのいいスーツには、喪服を連想させる黒いネクタイ……。
これだけならば、さして異常と思わぬだろう。
されど、彼が手にしている物は、日常で目にかかることのない逸品であった。
光すら飲みこむほどに深い漆黒の鞘に納まった刀である。
「よい月だな」
その異常者に、声をかける者がいた。
寒気の中、無音でたたずんでいた男は、やはり無音の足運びで背後を振り返り、目を開く。
眼前に現れたのは見た目、十三・四ほどの小柄な少年だった。
少年の姿は、これもまた異様だった。
零下も下回る冬空の中にあって、白いワイシャツに黒いジーンズのみ。
肘まで捲り上げた裾から先の両手首まで、まるで黒魔術の儀式にでも使用するかのような複雑な文様が這っている。
「思ったより早かったな、カエデ」
『カエデ』と呼ばれた少年は、見た目からは想像もつかぬほど醜悪な嗤みで、男に返す。
「七年ぶりの再会か。よもや単身でオレの前に現れるとは思わなんだぞ? 天枷秋夜」
男――天枷秋夜は、左手にたずさえた刀の鍔を鳴らし、答える。
「ここは俺の管理地だ。外部の魔術師が来訪するのなら、当主みずから出迎えるのが筋だろう」
「ふんっ、あいかわらず堅苦しい奴だ。五百年来の仲にしては、ずいぶんと仰々しいぞ」
「貴様こそ、昔から無粋なままだ。少しは礼を重んじてみてはどうだ?」
「フフッ、ククククク。現世でこのオレを恐れぬのは貴様くらいのものだよ。鬼の子」
「俺を恐れずに話しかけてくる魔術師も今となっては貴様だけだ。原書の怪物」
片や、二十代半ばの容姿をした秋夜が、
片や、十代前半の肉体であるカエデが、
たがいに五百年という長大な歳月を平然と語り合う。
だが、それもこの二人にとっては小さな尺度でしかない。
年月という基準はおもに短命な人間が共通の認識として広めただけのものであり、ここにいる二つの存在は、生物としての限度を超越した異端同士なのだから。
この世の始まる以前。
俗に“原初”と呼ばれる『無』へ到る道程を探求する者。
そこには当然、この世に生まれ出でたありとあらゆる現象・万物の法則を取りいれるための技法が存在する。
その内のひとつに、不老不死への妄執があった。
無論、有限世界において完全なる不老不死など成りたつ道理はない。
されど、人間は科学の力によって延命という措置を開発してきた。
なればこそ、科学よりも遥か古代から受け継がれてきた魔術にも当然、不老長寿の技法がある。
天枷秋夜は、己が肉体の九割を“鬼”と呼ばれる魔と入り混ぜた正真正銘の異端。
カエデは、生物では許容しきれない魔力を宿した『魔導書』に見初められた異端。
両者はすでに五百年以上もの歳月を生き、かつ、世界中の魔術師から畏怖と畏敬を集める、二極の最強だった。
二人の魔術師はたがいに気配を探り合いながら、己の力を徐々に解放していく。
秋夜の殺気が、明確な刃となって大気を軋ませていく。
カエデの殺意が、明確な意思をもって幻想から現実へと具現していく。
「いいのか? こんな公の場で戦闘など協会は認めまい」
「いまさら人間の魔術師を恐れたか? どちらにせよここはすでに俺の領域。俺を殺さない限り、虫一匹たりともここで起こる異常には気づかない」
「ふっ、人払いの魔術か……。無駄な手をこめる」
「それが遺言か? ならば――――往くぞ」
次回は11/16
22:30投稿予定です。




