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雪華の月に踊る獣は  作者: チェーン荘
1/59

プロローグ

時間つぶしにでもどうぞ

 ある冬の夜だった。


 誰もが寝静まる夜の(とばり)に、ネオンが誇る煌びやかな光は埋もれることがない。

 その虚空の下。名もなき少年は目的もなく、ただ歩く。


 夜通し歩き続けた小さな足は、闇にまぎれて見えない。

 その足裏は、血に汚れて黒く変色していた。

 カレは、誰もが身をすくめる寒風にさらされながら、素足で歩いていた。


 よく見れば、カレが身に纏っていたのはたった一枚の、薄汚れた大きなシャツだけだった。


 吐く息が粉雪のように天に昇る。そのたびにカレは身体を震わせて、前へと進む。


 やがて繁華街のネオンも遠のき、閑散とした住宅地へと足を踏み入れた。

 人影は、やはりない。


 このままではいずれ力尽きるだろう。

 カレは自己さえも見出せない茫洋とした瞳のまま、その事実を他人事のように受け入れる。


 いったいどれだけの日をまたいだのだろうか?


 枯れ枝のように痩せ細った身体は、たった一歩の歩みでさえ崩れてしまいそうなほどに弱々しい。

 か細い吐息は、今にも止まってしまいそうなほど不安定である。


 やがて住宅地からもはずれ、カレの目の前には緩やかな傾斜が長く続いていた。


「………………」


 もはや動こうとしない肉体を、忘我の内に残した意思で懸命に動かしていく。

 万全でさえあればなんの苦にもならない坂を、息も絶え絶えに上っていく。


 そうして、これまでに見たこともない建物が眼前に現れた。


 陽にさらされていれば、どこまでも果てのない蒼穹に似た青い屋根には、物見櫓のような塔がある。塔には、長年の時を刻んだ鐘が吊るされている。


 そこは教会だった。


 ふらつく足取りで、礼拝堂の扉まで歩み寄る。

 重厚な扉は、ただそこにある。


 細い腕で重たい扉をおすと、扉はまるでカレを祝福するかのように、静かに音を立てて開いた。


 礼拝堂の中は、夜に包まれているとは思えないほどの光に満ちていた。


 無論、人工の灯りは何一つない。

 ステンドグラスを通す月明かり。それだけで十分だ。


 初めて目にした神聖な屋内は、我を忘れていたカレに新鮮な感動を与えた。


 両脇の壁にいくつか開けられた窓からは遠く、儚く光る星が見える。

 深紅に染められた赤絨毯(バージンロード)は、往くべき道を指し示すかのように伸びている。


 暗闇に染まった赤い絨毯の先に祭壇があった。


 ただし、カレの目を奪ったものは、それら冷厳なる装飾の数々ではなかった。


 その道の先。

 祭壇の手前には、天窓から降り注いだ円形の月光が、小さな少女を照らしていた。


 少女は(こうべ)を垂れ、

 両手を胸の前で組み、

 片膝をつきながら、

 真摯(しんし)に祈りを捧げている。


 開いた扉から流れる風が、カノジョの背にかかる漆黒の髪を揺らす。


 身震いするほどの零下に落ちた空気を受けながら、それでも少女は身動きひとつしなかった。


 カレは、足音もたてずに道を進んだ。

 カノジョは、息も殺して祈り続けた。


 ふたりの纏う空気が、闇夜の静寂さえも雑音に変える。


 どれほどその無音に佇んでいたのか。

 少女は背を向けたまま立ちあがった。


「…………ダレ?」


 精巧に精密に磨きあげ、穢れを払うほどに練磨した水晶を打ち鳴らしたような声が、静かに響き渡る。


 その声を、少年はなぜか懐かしいと感じた。それと同じくして、初めて聞いた人間の声はどこか寂しく、悲しいモノだった。


「――――ァ」


 ろくに言語を発したことのない(のど)が、焼きついたように張りついている。


 返ってこない声に、少女は振り返る。


 少女はまるで……人形のようだった。


 蝋のように美しい白磁の肌は、蜂蜜を溶かしたかのように滑らかで……。

 絹糸のような黒髪は、流れる水のように流麗で……。

 心を読ませない瞳は、透き通るような黒色……。


 そこにいるという事実だけで視る者の心を霧散させてしまうほどに、不完全という完全性を体現した、美しい人形(ヒトガタ)だった。


「…………あなたは、ダレ?」


 少女に魅入っていた少年は、ふたたび発せられた問いに、返せる答えを持ち合わせてはいなかった。

 カレは、自分がダレなのかという自我もなく……自己の存在を確立するために必要な、最低限の記憶さえ失っていたのだから。


 それでいてなお、己の意思とは無関係に声を出していた。


「…………ボクは――――」


 これが七年前。石動(いするぎ)冬弥(とうや)天枷(あまかせ)教会に保護された夜――御影(みかげ)(つかさ)との出会いだった。


次話は11/12

22時投稿予定です

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