第一章 3
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ある日、リンが帰った後、リンが財布を忘れているのにジェシカが気づいた。
「あ~あ。リンったら財布忘れてる。大丈夫かな?」
「明日も学校あるんだろう? まずいんじゃないか? でも、途中で気づいて取りに来るかも」
トニーがそれに応じ、
「そうだよね。それでも取りに来なかったら、私が後で届けるわ」
「そうだな、その方がいいだろうな。でも、どこに住んでるか知ってるのか?」
「いいえ、……そういえば知らないわね。マスターに聞いてみるわ」
ジェシカは、仕事が終わってから、リンが忘れていった財布を届けに、
マスターから聞いた住所のあるアパートまで行った。
リンの住むアパートは、山の手の少し奥まった所にあるが、
閑静な感じで落ち着いた雰囲気があった。
目的のアパートは、すぐに分かった。
「ここなら、リンも迷ったりしないわね。分かりやすいもの」
アパートは、三階建てだった。
セキュリティーなんてものとは縁遠いが、
ここまでわざわざ来るような人は、住んでる人くらいで、
見慣れない人が歩いていれば目に付くだろう。
だから、ジェシカもここには初めて来たからか、さっきから視線をいくつか感じていた。
いやらしい目ではないが、余り長くは居たくなかった。
「さっさと済ませて帰ろう」
そう言ってしまうくらいだった。
アパートの階段を上がって、二階の中央辺りの部屋でドアの前に立った。
呼び鈴を押してみたが応答がなく、何度か押してみたが全く出てくる気配がなかった。
そこに隣の部屋の住人が帰ってきたので、ジェシカは意を決して聞いてみた。
「すみません。ここの人訪ねてきたんですが、帰ってるかどうか知りませんか?」
すると、隣の住人からは、思いがけない話を耳にした。
「ここ、誰も住んでないよ。
先月まで若い男が住んでたけど、出てったしそれからは誰も住んでないよ」
「男の人、ですか? 女の子じゃなくて?」
「おんな? 違うよ。君どこかと間違ってない?
ここには俺二年住んでるけど、女なんて入ってきたことないよ」
そう言ってその男性は、自分の部屋に入って行った。
「もう一回聞いてみたら? 電話するとか」
そういったアドバイスまでしてくれた。
そこで、ジェシカはマスターに確認した。
そして、今いる住所が間違いなく届けられている場所と同じだと確認した。
ジェシカは、その日はリンの財布を持って帰ることにした。
明日、返すつもりで。
マスターには、リンに会えなかった、財布は明日渡すと伝えて、ジェシカは家に帰った。
家に帰ったジェシカは、隣人が言っていた言葉が、気になって仕方なかった。
「……リンはどこに帰って行ったの?」
そんなことをずっと考えていた。
翌日、出勤したジェシカは、昨日のことをマスターに伝えるかどうか考えていたが、
結局言えないままに時間だけが、確実に過ぎていき、リンの出勤時間がやってきた。
「こんにちは。マスター、今日もよろしくお願いします」
「リン。来たの?」
ジェシカが、どこかよそよそしかった。
「リン、昨日財布忘れて帰ったでしょう? これ」
ジェシカは、財布を渡した。何気なく、ごく普通を心掛けて。
「あっ、すみません。ありがとうございました。
探してたんです。よかった、ここにあったんだ」
「そう、よかった。どうしようか思ったんだけど、今日来るからいいかなって」
ジェシカのこの言葉に、
「あれ、昨日持って行ったじゃないのか?」
トニーが言うと、ジェシカは、
「急用が出来て、早めに帰らなきゃならなくなったの。」
「なんだ。そうか?」
そんなやり取りをリンは聞いていたが、特に気にしてなかった。そして、
「もし、忘れてても、ここに置いててもらっていいですか?
どっちにしてもまた来るし、急ぐ物なら、取りに来るので」
リンはそう言って、仕事に入っていった。
その後を追うように、休憩を終えたジェシカも仕事に戻った。